第16話 不当な逮捕
父が王妃殺害の疑いで拘束された。
にわかには信じられなかったが、書状は確かに王城からのものだった。
全く身に覚えの無い罪状に、エルドラント家はすぐに事実の確認に動いた。
母ソフィアは自ら城に出向き、リディアナは情報集めと現状把握にネッドとアルバートに手紙で協力を仰いだ。
屋敷中が心配する中、母が城から戻って来た。
「お母様!? 誰かお母様をお部屋にお連れして!」
ソフィアは玄関ホールで力尽き倒れてしまった。
侍女に母を託すと、同行したジャンを連れて応接室に移る。
「ーーっ」
こんなに廊下は長かっただろうか。逸る気持ちをなんとか落ち着かせ、しっかりしろと自らを叱咤した。
「それでお父様は? 一体何がどうなっているの」
母の青ざめた顔といいジャンの浮かない顔といい、状況はよろしくないのだと窺えた。
「我々が到着した時には、既に旦那様が連行された後でした。面会を求めましたが捜査中で外部との接触を禁じているそうです。会うことすら叶わず追い返されてしまいました。申し訳ございません」
「侯爵である父を拘束したならそれなりの理由があったのでしょう?」
「今回の拘束は、『王命』であると。国王陛下が旦那様に嫌疑をかけ、取り調べるよう通達されたそうです」
「陛下が!?」
「はい。奥様が書状と国璽を確認されました。我々は手も足も出せませんでした」
王命。国王自らが父を疑っているということ。
「何故……」
リディアナは愕然とした。王族殺しは死罪がこの国の決まりだ。罪が決定しなくとも嫌疑が覆らなければ一生を牢獄で過ごす羽目になる。
「きっと何かの間違いに決まっています! 旦那様のような方が人の命を奪うなどありえません! きっとすぐに戻ってこられるはずです!」
ジャンは悔しくて目頭を押さえた。
「もちろん、そうでなければ困るわ」
たとえ一時の過ちだったとしても、国王に嫌疑をかけられた事が公になれば、エルドラント家の醜聞として残るだろう。それこそ真犯人を捕らえない限り疑惑は払拭できない。
まずは噂が広まる前になんとかしなくてはと手を考えた。
扉がノックされ、ナナリーが届いたばかりのアルバートとネッドからの手紙を持ってきた。
藁にもすがる想いで二つの手紙を開く。
『昨夜、エルドラント侯爵拘束の一報を受け、我々も寝耳に水で事実確認に奔走しました。すぐに殿下がお伺いを立てましたが、陛下は自室に籠って誰ともお会いにならず、未だ面会の許可がおりていません。侯爵の逮捕は殿下のあずかり知らぬとこころで起こりました。撤回を求めて関係各所に働きかけております。今暫くお待ちください。 ネッド』
ネッドの手紙から、トマスの不当な逮捕にルイスが関わっていない事を知り安堵した。
トマスの無実を信じ、真っ先に動いてくれたことに感謝した。
リディアナは続けて二通目の手紙を開いた。
『おかしなことが起こっている。というのもお前からの知らせが届いたと同時に、エルドラント侯爵が王妃殺害の嫌疑で拘束されたという噂が社交界に流れた。城下にも新聞がばら撒かれ、王都はその話題でもちきりだ。どちらも出所は分からないが何者かが裏で動いているのは明らかだ。もしかしたら侯爵は誰かに嵌められたのかもしれない。もう少し調べてみる。気持ちは分かるが冷静に、慎重に動いてくれよ。 アルバート』
「噂がもうーー」
ネッドの話では逮捕状が出されたのは昨夜。夜が明けてすでに噂が広まっているのなら、誰かが故意に侯爵家の醜聞を広めた可能性が高い。
エルドラント家に置かれた状況は厳しくなったが、これで確信した。
誰かが父を嵌めようとしている。
「お嬢様……」
リディアナの元に集まっていた使用人達が不安気に様子を窺っていた。
侯爵家の一人娘として、侯爵家と使用人を守る責任がある。この子達を路頭に迷わせるわけにはいかない。
今父を、母を支えられるのは私しかいないと己を奮い立たせた。
「こちらも逮捕は不当なもので事実無根であると新聞を使って市政に流すわ。そして陛下に嘆願書を出しましょう。お父様と親交のあった貴族に協力を仰いで。出来上がった嘆願書はアルバートにお願いするわ。筆とペンを。父を拘束している捜査機関に圧力をかけなさい。あくまでも嫌疑をかけられただけ」
噂を放置しては好き勝手な噂が一人歩きし、取り返しがつかなくなる。その前にリディアナが真実を話して収拾を図る。
指示を出しながらリディアナは立ち回った。
***
翌日、アルバートが手紙ではなく直接エルドラント家を訪ねてくれた。
応接室で二人きりになると、現段階で集めた情報を話してくれた。
「トマス様の研究室から毒薬の成分が検出されたそうだ」
嫌疑をかけられた理由があまりにもお粗末で言葉を失った。
「『毒薬の精製』に携わったと疑われたんだな」
「お父様は薬学に詳しいから捜査の依頼を受けたのよ!? 検体を調べてのだから成分が検出されて当たり前じゃない!」
「わかっている。俺の父が経緯を説明した」
「ありがとう。だけどお父様は未だ拘束されたままよ。疑いは晴れたのでしょう?」
結論を急かすリディアナに、アズベルトは順を追って説明した。
「毒薬が新種であったことを逆手にとって、国王に嘘を吹き込んだ輩がいた。トマス様が優秀な医者兼研究者であるため、陛下も新種の毒薬の精製はトマス様にしか成しえないと思い込んでしまった」
「馬鹿げているわ。そんな想像だけの理由で侯爵である父が捕らえられるなんて!」
優秀だから犯人にされた? そんな理不尽な話があってたまるか。
「落ち着けリディアナ」
これが落ち着いてなどいられようか。お茶に口もつけず肩で息をつく。
「父は侯爵の地位よりも医者としての自分に誇りを持っていた。救うのが仕事の医者が毒で命を奪うなどありえない。なぜなら命の尊さを誰よりも感じその道に人生をかけた人だから」
トマス=エルドラントは、元々子爵家の次男として生まれた。
爵位を継げない彼は医師として生きる道を選んだ。そして母であるソフィアと劇的な恋におちた。ソフィアは現在のリディアナのように、跡取りのいないエルドラント家の一人娘だった。トマスソフィアとの結婚で結果的に侯爵の地位に就いたのだった。
「父は最初、母との結婚を諦めていたの。医者であり続けることができなくなるからと。医者は人々の暮らしに寄り添い生活を守るために在ると考えていたから」
しかしソフィアはトマスが医者で在り続けることを望んでいた。侯爵家の後押しもあって、二人は結婚した。
「侯爵になってからも医者としての精神を捨てることはなかった。医者として患者の元へ駆けつける機会が減っても、研究者として薬や治療法の確立に力を注ぎ、今は医薬大臣として医療制度の改革に力を注いでいる。形を変えても根本は変わらない。私はそんな父を尊敬するし、誇りに思う」
絶対に父じゃない。
感情の蓋がが外れて想いが溢れた。リディアナの頬に一筋の涙が零れる。
「それなのに……。陛下は利己的な者の話に耳を傾け、忠臣である父をお疑いになるの?」
悔しかった。ただただ悔しかった。
「陛下は王妃を失った際にトマス様をひどく責めたそうだ。なぜ助けられなかったのか。なぜ解毒薬を作れなかったのか。行き場のない悲しみをぶつけた。トマス様は陛下の深い悲しみを理解し、いわれのない非難を黙って受け入れた。父や殿下が侯爵を庇い、陛下をお慰めして諭したそうだ」
「……知らなかった」
父がそんな素振りを一切家で見せたことはない。
「王妃を亡くされた悲しみと犯人への憎しみ、進まぬ捜査への苛立ちで、陛下は徐々に心を弱めていった。その隙間に偽の証拠を持ってあることないこと国王に吹き込んだ者がいたんだ」
「何の目的でそんなことを!」
「侯爵を陥れようとしたのは陛下の侍従だ。侍従だが陛下に一代貴族の男爵位を賜っている。男爵は昨日の内に殿下が捕らえた。私見を述べただけでトマス様を陥れる気はなかったと謝罪した。が、社交界や王都での噂の広まる早さからみて計画的な犯行だったと思う。トマス様を一時でも犯人に仕立てれば侯爵家に傷が付く。おそらくそれが男爵の目的だった」
「私のせいで嵌められたのね。私が王太子の婚約者となったから」
アルバートははっきりと言及しなかったが、リディアナ自らそう言うと肯定した。
目的はエルドラント家の失墜から起こるルイスとリディアナの婚約破棄。
アルバートは男爵の背後に高位貴族が存在していると言った。次期王妃の座を欲する貴族が引き起こしたのだろう。
「殿下は裏で糸を引いた者を捜査しているが、尻尾を掴むのは簡単じゃない。高位貴族相手なら尚更、確固たる証拠がなければ捕らえることはできない」
すでに男爵もトカゲのしっぽ切りで有益な情報は得られなかったそうだ。
「でも父を嵌めた男爵は間違いを認めたのでしょう? それなら父は拘束を解かれて戻ってくるのね?」
解決の糸口を掴めたと安堵したリディアナだったがが、浮かない顔のアルバートに首をかしげた。
「父が犯人でないことは証明されたはずよ。お父様はすぐにでも帰ってこれるのでしょう?」
そうだと言って欲しいのに、アルバートは間を開けてリディアナと視線を合わせると、言葉を選びながらゆっくりと口を開いた。
「陛下は真実を告げて尚、侯爵の嫌疑を撤回しなかった」
「なぜ!?」
リディアナがソファから立ち上がる。
「わからない。殿下も父上も困り果てている」
「そんな……」
呆然と立ち尽くすリディアナ。
「これは機密事項だが、王妃の事件後病に倒れられた陛下は飲んでいる薬の影響で意識が混濁する時がある。日常会話もままならず、話が二転三転していた。体調を考えるとこちらも強く出れないんだ」
膝の力が抜け、崩れるように再びソファへ座り込む。
虚ろな視線は焦点が定まらず、言葉が出てこなかった。
陛下の体調がそこまで優れないとは……。聞いた状態なら勅命を取り下げるのに時間がかかりそうだ。
他に打つ手は無いのか。
無実だと分かったのにまだ父は牢獄で過ごさねばならないのか。
「お前が用意した嘆願書に殿下がサインしてくださった」
憔悴したリディアナが僅かに顔を上げる。
「父と王太后やソレス殿下も署名をしてくれた。トマス様の人柄を信じて共に動いてくれる官僚もいる。だから……、こんなことしか言えないが、待っていてくれ」
侯爵家のために奔走してくれたアルバートが頭を下げた。感謝で頭を下げるのはリディアナの方だと上げさせる。
皆が嘆願書にサインをしてくれた。父を信じてくれる人達がいる。
リディアナは心から感謝し、涙を拭いた。
ルイスやアルバートを信じて、陛下が回復するのを願うしかない。
応接室の前には使用人達が集まっていた。皆が父とエルドラント家の行く末を心配していた。
リディアナはアルバートに礼を告げて見送ると、使用人達を労った。
「皆に感謝するわ。やれることはやった。後は神に祈りましょう」
しかしその願いは届く事は無かった――。
***
その日、国王の崩御を知らせる鐘が国中に響き渡った。
第十五代フェルデリファ国王ルーカス=ハビエ=フェルデリファ。崩御。
王妃亡き後体調を崩していた国王は、そのまま天に召された。
それは父トマスが拘束されてから一月後のことだった。
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