第15話 不穏な王弟の死


 王弟ドミンゴの葬儀から、リディアナは部屋で考え事をしている時間が増えた。

 レイニーから聞かされた王弟の死因がどうしても気になったからだ。

 レイニーは毒殺されたと言うが、世間では病死とされ毒殺のどの字もない。

 確認しようにも事が重大すぎて軽々しく口にすることも出来ず、逡巡していた。

 もし毒殺が事実なら、王族が短期間で二人も毒殺されたことになる。まさかまたルイスの命が狙われたのでは?


 扉がノックされ、父トマスが神妙な面持ちで入ってきた。トマスがわざわざ部屋に来たことにリディアナは無意識に居住まいを正す。


「どうかなさいましたか?」

「お前に薬を盛った男が遺体で見つかった」

「え!?」


 あの給仕が見つかった? しかも遺体で。

 ドミンゴの件が吹き飛んでしまうほど驚いた。


「調査官からお前にも詳しく話を聞きたいと言われた。役所まで来て欲しいそうだが、どうする?」


 トマスはリディアナを連れて行くのを迷っているようだ。

 リディアナは立ち上がると、トマスの不安を跳ね返すように「行きます」と即答した。

 すぐに支度をして父と共に急ぎ役所へ向かった。


 役所に到着すると部屋に案内され、意外な人物がリディアナ達を出迎えた。

 そこには何故かこの国の宰相であるバルサ=ランズベルトが座っていた。


「バルサ? 何をしに来た」


 トマスはバルサと親しい仲なのか、位はあちらが上だが不遜な態度で接していた。

 隣にはアルバートもいる。二人は目だけで軽く挨拶した。


「……」


 よく見ると部屋にはカルヴァン家の執事やあの日警護にあたった騎士も数人いる。どうやら事件の関係者が集められたようだ。

 そう考えると、宰相バルサの存在は異質だ。


「殺人事件の関係者から話を聴くために決まっている」

「殺人!? 給仕は殺されたのですか?」


 リディアナは遺体としか聞いていない。


「ああ殺された。しかしあくまで犯人らしき者だ。なぜならここにいる誰もその犯人を直接見てはいないからな」

「いいかげんにしろ。その件は私が断ったはずだ」


 父はリディアナとバルサが話すのを嫌がっている様だ。


「リディアナ嬢にも知る権利がある」

「……」

「私から説明しよう。その前に、皆はもう帰っていいぞ。話は聞き終えた」

 

 バルサに促され、リディアナとトマス、アルバートとバルサの四人以外が帰って行った。

 バルサは最後の一人の退出を待って話し始めた。


「さて、私も忙しい身だ。まわりくどい話も好きではない。なので簡潔に言わせてもらう。リディアナ嬢に死体の確認をお願いしたい」

「バルサ!」


 トマスが珍しく声を荒げた。

 父の不機嫌の理由が分かった。あの夜に犯人の顔をはっきりと見たのはリディアナだけ。父は年若い娘に死体を見せることをためらっていたのだ。

 バルサは続けた。


「死体は川で発見された。なんらかの形で錘が外れて浮いてきた。死体が着ていた服は舞踏会の夜にカルヴァン邸で支給された制服だ。そこにいる医者の検分で死後二週間ということも舞踏会の日と合致している。つまり男はリディアナ嬢の飲み物に薬を混入した直後に、殺された。だよな?」


 『医者』と呼ばれたトマスが渋々頷く。

 リディアナはアルバートを振り仰ぐと彼も驚いた顔をしていた。二人は今聞かされた事実に混乱していた。


「動機や関係性はすっ飛ばして、今私が何を言いたいかというと、これはただの殺人ではないということだ。何故私までが出向いて調べていると思う? 何故うら若き乙女に死体の確認を迫っているのか。私だって君にむごい水死体を見せたくはない」

「バルサ!」

「と、このように殿下やこの医者に止められてなおも私が強硬手段をとる理由、君達に分かるかな?」


 ルイスにまで止められたのか。

 挑戦的な問いかけに、アルバートが口を開いた。


「こんな時にまでふざけるのはよしてください。死因は何ですか?」


 珍しく真面目な態度のアルバート。

 トマスの苦虫を噛んだような顔とバルサの不敵な笑みで嫌な予感がした。


「毒殺だよ。給仕からは王妃殺害に使われたのと同じ毒の成分が検出された」

「そんなーー」


 驚くリディアナを制してアルバートが淡々と情報を聞き出す。


「自殺の可能性は?」

「ない。抵抗した痕があり、体に重石が巻き付けられていた」

「同じ毒が使われたからといって王妃殺害と関連付けるのは早計では?」

「特殊な毒だからな。あの先生が見たこともない珍しい毒物だそうだ。な?」


 話を振られたトマスは、おそらくこんな話をリディアナに聞かせたくないのだろう。話に消極的だったがここまで詳細をばらされては仕方ないと、諦めて重い口を開いた。


「王妃が亡くなられた時と同じ鬱血痕が給仕の男にもあった。成分の分析は途中だが、私が知る限りこの国で発見されたことのない有毒植物が使われている」

「給仕が殺された理由は謎だが、王妃殺害にこの男、もしくはその犯人が関わっている可能性が浮上したわけだ」

「……」

「そこで、まずは死体が給仕であることを確定したい。私が皆の反対を押し切ってでも死体の確認を頼む理由を分かっていただけたかな?」

「もちろんです。どんな協力も惜しみません」


 バルサは「よろしい」と言って満足げに頷く。トマスはまだ納得がいかないようだ。

 死体の確認は別にいい。父とルイスには悪いが、リディアナはそこら辺にいる娘とは違い、死体を見て卒倒する柔な性格ではない。


「カルヴァン邸でリディアナに盛られた薬ですが、本当に痺れ薬だったのですか?」


 アルバートの質問に三人は彼の言わんとしていることを理解して静まり返った。


「男が王妃と同じ毒で殺された。毒は珍しい代物で国内で使用されたのはこの二件のみ。男が給仕の格好で殺されたなら、殺される理由がその日にあったはず。その日、リディアナは給仕に痺れ薬を盛られた。その『理由』が男のミスだったなら? 本当は毒殺する予定が痺れ薬と間違えてしまった。給仕が殺される理由になりますよね」

「…………」

「リディアナが狙われたなら、王妃との共通点は? これが王太子の婚約者という地位を欲しがる輩に命を狙われたなら分かる。だが王妃は? 一年前、王妃が殺される理由があっただろうか。王座を欲しがるなら真っ先にルイス殿下が狙われるはずだが……」


 アルバートの推理を三人は黙って聞いていた。

 ルイスを庇って王妃が亡くなったという事実は一部の人間にしか知られていない。


「そこまでだ。……まあ、こちらにも色々と事情があるのだよ。後のことは皇室にまかせておけ」


 推理するアルバートをバルサがやんわりと止めた。

 中途半端な情報開示に不完全燃焼のアルバートは、「なら話すなよ」と納得がいかない様子で悪態をついていた。


「父上。リディアナの警護をより強化してください!」

 

 機密事項なら仕方が無いとしながらも、リディアナを心配し、忠告も忘れない。


「公子の言う通りリディアナが命を狙われた可能性は捨てきれないと私も思う。今まで以上に警護に力を入れるつもりだ」

「そうだな」


 バルサも深く頷く。


「最後に。カルヴァン邸で怪しい者、いつもと違った行動をした者はいなかったか?」


 バルサの質問にリディアナとアルバートは「ありません」と答えた。

 あれ?

 若干アルバートの返事が遅かった気がして視線を向ける。アルバートは視線を落として苦い表情を浮かべていた。

 父親達は気づいてないようだが、アルバートの表情に既視感を抱いた。

 そういえば、あの夜もアルバートは何か考え事をしている素振りを見せていた。

 ここでは結局何も言わず、用が済んだので先に部屋を出ていってしまった。


 リディアナはトマスと共に死体がある部屋に案内された。

 布が外され、男の顔を確認する。

 死体は水にずっとつかっていたせいで膨れあがり、表情は毒で苦しんだのか水の中で苦しんだのか分からないが、血走った目を開けて苦悶の表情を浮かべている。

 トマスは終始娘にこんなものを見せなければならないことに苛立っていた。

 変わり果てた男の姿に愕然としたが、お腹に力を入れてはっきりと答えた。


「この男に間違いありません」



  ***



 役所から外へ出ると、先に帰ったと思っていたアルバートが馬車の前で待っていた。

 このままトマスはバルサと共に城へ戻るというので、リディアナを送っていくと名乗り出る。


「それは助かりますわ。では行きましょう」


 互いに外行きの顔で外野に止められる前に急いで馬車に乗り込む。止められる前にすぐに馬を走らせた。

 今は誰にも邪魔されずに二人きりで話をしたかった。


「お前どう思った?」

「待ってアル。時間が無いから先に私の話を聞いて」


 そうい言うと、馬車の中で先日のレイニーの話を簡潔にした。


「新種の毒薬で殺害されたのは、ドミンゴ様も含めて三人かもしれない」

「レイニーはドミンゴ様の親族だ。あいつも何か気づくことがあってリディアナに忠告したのかもしれない。毒殺の話をされた後なら信憑性が高まるな」

「それだけじゃない。王妃はルイス様のお部屋で、ルイス様に出される予定だったお菓子を食べてお亡くなりになったの」

「……マジか」


 そこで馬車はエルドラント邸に到着してしまう。

 話足りないと焦った顔でアルバートを見る。アルバートは外の様子を窺いながら口早にリディアナに指示を出した。


「俺が調べてみる。お前は命を狙われているかもしれないんだから動くな。いいか、絶対何もするなよ。心配いらない。父上も侯爵もいる。殿下もあれで結構腕が立つし自分の身は自分で守れるさ。だから、大丈夫だ」


 馬車に護衛が近づき、最後の方は小声で消えていく。

 リディアナは強く頷いて後ろ髪引かれる想いで馬車を降りた。


 屋敷に戻ると自室に籠って今日の出来事を思い返し、考えに耽った。

 扉がノックされ、王城から戻ったトマスがリディアナの様子をみにきた。

 あたりはもう真っ暗で夜になっていた。


「気分が悪くなったりしていないか?」


 心配した父に大丈夫と答え、ソファに向かい合って座る。

 本当は大丈夫なんかじゃない。初めて死体を見た。強がってはいたが、あの水死体が何度も何度も瞼の裏に浮かんでは消えを繰り返していた。


「お父様、お聞きしてもいいですか?」


 トマスにブランデーを渡してリディアナは話を進めた。


「王妃はルイス様の身代わりになって殺されたと聞きしました。私とルイス様が命を狙われたと考えてよろしいですね?」


 被害にあったのは王妃だが、犯人はルイスとリディアナを亡き者にしようとした可能性が高い。

 トマスはリディアナが王妃殺害の真実を知っていることに驚いていたが、静かに「そうだな」と認めて頷いた。


「反乱分子がいるということですか?」

「いつの時代も権力に魅入られ己の欲だけで他者の命を奪う輩がいるものだ。次期王妃の座もまた魅力的な権力の一つ。お前を殺してでも奪いたいと思う者がいるのは否定できない。……怖いか?」

「いいえ。そんな邪な考えの者に甘い蜜を吸わせるくらいなら、死んでもこの地位を譲るわけにはいかないと思いました」

「頼もしくて何よりだ。……娘が暗殺の標的にされても、私はお前が次期王妃になるならばこの国は安泰だと確信している」


 それは地位に目がくらんでいるわけでも贔屓目でもなく、純粋に国の未来を憂う忠臣の言葉だった。


「親としては苦しいところだがな」


 それもそのはず、娘が命を狙われているのだ。親心より忠義を選ぶ己を責めているのだろうが分かっていると理解を示した。


「……もうひとつお聞きしても?」

「ああ」

「王弟のドミンゴ様も同じ毒で殺されたのですか?」


 飲みかけのグラスが宙で固まる。それだけで、もう真実であることが分かってしまった。


「ドミンゴ様も、もしやルイス様の身代わりとなられたのでは!?」

 

 帰宅してからあの水死体がルイスと重なって見えてしまう。

 目を見開き、苦悶の表情で横たわるルイスの姿を想像して恐怖した。

 一度零した不安が堰を切ったように溢れる。


「ルイス様は無事ですか? 自分を責めてはいませんでしたか? 犯人の手がかりはまだ掴めないのですか?」


 トマスはリディアナを落ち着かせるため席を立ち、隣に座った。


「互いの身ばかり心配して困ったものだ。お前も命を狙われたのだぞ。自分の心配もしたらどうだ」

「私の事はよいのです。妃になると決めた時に覚悟はしました」


 王族とは煌びやかなものだけではないとリディアナは理解していた。

 いつの世も権力には暗殺や陰謀が渦巻き、国の大事があればこの首を差し出す必要もあるだろう。

 不思議と自分の命が狙われていると知っても恐怖は感じなかった。

 ただルイスを失ってしまうのだけは避けたかった。その不安だけがいつも心を占めた。


「私の口からは何も話せないし、分かっているとは思うがこの件は他言無用だ。バルサが事件を調べているしあの時と違い殿下の周りは厳戒態勢が敷かれている。何も不安になることはない」


 そっとリディアナの頭に手を添え、幼い子供をあやす様に優しく語り掛けてくれる。

 これ以上は口を挟むべきではないと判断し、黙って頷いた。


「私も、殿下やお前を守るためにやるべきことをする」

「?」


 トマスは決意のこもった目でグラスをみつめていた。

 一体何のことだろうか。トマスは続きを話すつもりは無いようで、ブランデーを一気に飲み干すと立ち上がった。


「さあもう休みなさい。私は明日も早くから登城せねばならない。続きはソフィアも一緒の時に話そう」

「……はい。おやすみなさいお父様」

「おやすみ。また明日」


 トマスは頭にキスを落として部屋を後にした。

 しかし明日が来ても、トマスがリディアナの前に現れることはなかった。



 翌日、夜中になっても父が帰ってこない。

 王城に泊まる連絡も来ていないし、昨日の今日でまた城でよからぬことが起きたのではと不安になる。


 結局その日はトマスが帰ってくる事はなかった。

 翌早朝、代わりに王城から使者が一通の書簡を携えてエルドラント家を訪ねた。


 『トマス=エルドラント侯爵を王妃毒殺の疑いで拘束する』


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