第12話 忠告
『陛下に代わり皆に素晴らしい報告がある。第一王子ルイスとエルドラント侯爵家のリディアナの婚約が決まった。離宮に滞在していた候補者は皆魅力的で素晴らしい令嬢だった。中でもリディアナはその博識からルイスの良き話し相手となり、多くの時間を過ごす中で互いに惹かれあったのだという。二人は長い時間をかけて私に失われた思い出を贈ってくれた。庭園作りを通して協力し合っていた姿にフェルデリファの未来を託せると確信した。生前リディアナを気にかけていた亡き王妃もきっと喜んでいることだろう』
国王とソレスは舞踏会を欠席したが、二人からは祝福の声が届き、会場で読み上げられた。
王弟ドミンゴをはじめ、宰相バルサ、国内に留まらず近隣諸国の有力貴族もお祝いに駆けつけ、ルイスの誕生日と婚約披露パーティーは盛大な宴となった。
大舞台に終始緊張しっぱなしのリディアナは、とにかく笑顔を貼り付けてその場をやり過ごすのでいっぱいだった。
品格は一朝一夕で身につくものではない。とにかく大きなミスをしない事だけに全神経を集中させた。
パーティー中盤からは宴席からホールへと降り、参加者の祝福を直接聞いた。危なっかしいところは全てルイスが拾ってフォローし、月夜に言い争ったのが嘘のように側でずっと助けてくれた。
気まずかったのはリディアナだけのようだ。
父と母も来ていたが、リディアナ同様ゲスト対応でいっぱいで互いに余裕なく目配せしただけで終わった。
会の主役であるルイスとリディアナがダンスホールで踊る。二人に追随して招待客が順にダンスホールで踊り出した。
二百人近い招待客の中から友人を探すのも一苦労だった。
終盤になってようやくサラの姿を見つけた。
「サラ!」
考えるよりも先に駆け出していた。
サラは驚いた顔で振り返る。リディアナが話の途中で抜け出してしまったのを心配していた。
しまったと後悔しても既に冷たい視線が向けられた後だった。
もう一人の問題ではない。リディアナの失態はエルドラント家と王家の信用問題に繋がる。そう何度も自分に言い聞かせていたのに――。
青ざめているとルイスが手をかざして『大丈夫だ』と口を動かした。
ゲストに声をかけると「わあ」という歓声と共に招待客が移動していった。
「……」
「殿下に助けられたわね」
背後まで近づいたサラが耳元で囁く。
「サラーー」
振り返るとサラの目はまだ腫れぼったくて痛々しかった。
なんと声をかけようか。話したいことはたくさんあるのに何から伝えればいいのか分からなかった。
「お兄様とレイニーがリディアナに近づくことも出来ないと嘆いていたわ。さっきまで一緒だったのに惜しかったわね」
ふふふと楽しそうに笑う。
いつもと変わらない態度にリディアナは泣きそうになった。
「御婚約おめでとうございます」
「ーーっ」
サラはリディアナにお祝いを述べ、その曇りない笑顔は心からの祝福であるとわかった。
リディアナがサラの祝福を素直に受け入れられないのを、その表情で気づいた彼女は申し訳なさそうな顔をして詫びた。
「ごめんなさい。あなたにあんなことを言うべきではなかったわ」
「違う、サラ、ごめんなさい。私ーー」
「私は大丈夫よ。少し寂しいけれど、あなたが私に気を遣って遠慮しないかと心配だった。それは私の望むところではなかったから、よかったわ」
「でも」
「リディアナ。あなたはあなたの幸せを掴んで。ね?」
サラはリディアナの手を両手で包み、目じりを下げた。その仕草はいつもの優しいサラで、リディアナは堪え切れずに泣いた。
「泣いたら駄目よリディアナ! お化粧が取れてしまうわ。あなた、とってもきれいよ。私の言った通りだったわね」
サラが笑顔で送り出してくれるのに、リディアナが泣く訳にはいかない。
「……ありがとう」
心のわだかまりを一つ取り除いてくれたことに感謝しながら名残惜しくサラと別れた。
その後ルイスと二人きりになる機会はなく、宴は滞りなく済んでリディアナは深夜に離宮へと戻った。
翌日、社交界はルイスとリディアナの婚約の話題で持ちきりとなった。
後日国王からの通達で正式にリディアナは王太子ルイスの婚約者となった。
ソレス王子は未だ体調が回復しないことから、今回は婚約者を設けない旨も伝えられる。
この通達により候補者は解散となり、リディアナも家に戻ることになった。
別れ際にサラが「落ち着いたら遊びに行くわ」と言ったので、その時にでもゆっくり話そうと思う。
ルイスは政務が忙しく、離宮を離れる時も別れの挨拶は出来なかった。
「忙しいだけじゃないわよね」
侯爵家からの迎えの馬車に揺られながらぽつりと呟いた。
舞踏会では普通に話していたので勘違いしていたが、婚約者になる事を最後まで拒絶したのだ。きっと怒っているに違いない。
ようやく家に帰れるというのに心は晴れるどころか曇ったまま、わだかまりを残して帰路に着いた。
***
侯爵家に到着すると、両親と使用人が集まってリディアナを出迎えた。
王太子の婚約者となって帰ってきたリディアナに、さっそく両親から経緯の説明を求められた。
母ソフィアは「まさかあなたが選ばれて帰ってくるなんて」と未だに信じられない様子で、父トマスは「寂しくなるな」と一言だけ言ってリディアナを抱きしめて祝福してくれた。
その日の夜は久々に家族そろって食卓を囲み、離れていた時間を取り戻すかのようにたくさん話をした。
「それでね、ルイス様ったらいじけちゃって。自分用のクッションも用意しろって言うの。司書の方も驚いていたわ。ルイス様って変なところで子供っぽいところがあるのよ。前も私がクッキーを焼いたら……何?」
ソフィアが笑っているのでリディアナは話を中断した。
「あなた気付いていて? 帰ってからずっと殿下の話ばかりしているのよ。楽しそうに話すものだから嬉しくて……ねえ、あなた」
「ああ。意外だったな」
父まで顔を綻ばせるので、リディアナは口を尖らせて反論した。
「ルイス様と私は別に、そういう関係じゃないからね? 結婚はするのだろうけど、それはよくある打算とか政治的な理由があってで、ここだけの話ルイス様は私の賢さを買ってくださっただけで、この婚約に深い意味はないの」
トマスもソフィアも「はいはい」と返事をするだけで請け負ってくれない。
これ以上は言っても無駄だとリディアナは食事に没頭することにした。
翌朝、起きると一瞬自分がどこにいるのかわからない感覚に陥った。
「そういえば、実家に戻ってきたのよね」
一年も城で暮らしていれば寝ぼけて混乱もしよう。
ナナリーに支度を手伝ってもらい、部屋で朝食を済ませる。今日は一日中本を読んでいようなどと考えながら部屋を出た。
すると目の前を執事のジャンが走って通り過ぎていった。
「な、なに?」
ジャンの後を追ってみると、階段下では使用人達が慌ただしく動き回っていた。チャイムが鳴り続け婚約祝いの品が次々と運びこまれている。
保管用にあしらわれた部屋からは贈り物が溢れ、運ぶと同時に仕分け作業をしている。
手紙類の郵便物は3つも束があり、そのほとんどがリディアナ宛でパーティーへの招待状だそうだ。
母は祝いの贈り物にお返しと礼状を用意し、父は来客の対応に二人共忙しそうだ。この騒ぎが落ち着くまで父は登城せず屋敷にいるという。
リディアナの婚約が決まってから毎日がこうだという。
そういえば着替えを手伝ってくれたナナリーの姿も見当たらない。リディアナの前を再びジャンが走り過ぎていった。
「……」
皆が忙しく動き回る中でさすがに読書に励むのは気が引ける。そういえば妃教育に今日から毎日宮廷作法を指導する教師が通いに来るそうだ。
王家へ嫁ぐのがどれだけ大変なことか、思い知った一日となった。
***
婚約発表から一月が過ぎると、エルドラント家も落ち着きを取り戻していた。
空いた時間ができると宮廷作法の授業以外は読書に励んだ。暫くは屋敷で大人しくしていたが、徐々に禁断症状が現れ体を動かしたくなった。
新調したばかり乗馬服にまだ袖も通していない。男装すれば一度くらいなら遠乗りに出かけてもバレないのではないか? 久々にアルバートやレイニーと会いたい。
二人とは手紙のやり取りをしていたが、紙には書ききれない積もる話もあった。
二人は、この春学院を卒業し、王城に出仕していた。
リディアナと入れ違いで王城で忙しく働く二人も、今日は休みだと連絡が来た。
心弾ませながら着替えの準備をしていると、ナナリーがリディアナ宛の手紙を持ってやってきた。
「ルイス様から?」
王家の紋章入りの封蝋が押された上質な手紙を受け取る。
『くれぐれも婚約者らしからぬ行動をとらぬよう、勉強と準備を怠るな』
「うわあぁ」
まるで見ていたかのようなタイミングで手紙を放り投げてしまった。
手紙には他にもルイスの小言と婚約期間中の注意書きが事細かに書かれていた。
お、恐ろしい!
これでは遠乗りは諦めるしかない。
がっくりと肩を落とし、新調した乗馬服を泣く泣くクローゼットに戻すと、回れ右をして机に向かった。
ルイスの手紙の最後にはこう書かれていた。
『たまには顔を見せに来い』
むず痒い気持ちでペンをとり、返事をしたためた。
***
ルイスから手紙をもらった日から、一日と開けず二人の文通が始まった。
『まさか監視を付けていたわけではありませんよね? 効果は抜群で淑やかな令嬢になれそうです。借りていた本を返しに登城する予定です。都合が合えばいいのですが、無理はなさらないでください』
『私に会うのをついでにするな。君のいない王城がこうも平穏でつまらないものだとは思わなかった。近衛や使用人達が会いたがっていたぞ』
『わざわざお時間を取らせるのも申し訳ないと思っただけです。私も皆さんにお会いしたいです。ルイス様は、私に会いたいですか?』
「……」
リディアナの筆が止まる。
ルイスとは気まずいまま別れてしまった。
あの夜の無礼をルイスは許してくれただろうか。手紙ではいつもの気安い雰囲気に戻っていたが。
迷いながら最後の一文を消すことなく王城に手紙を届けた。
いつもの時間にリディアナはジャンの元へ向かった。
ジャンの手には届いたばかりの手紙の束があり、リディアナに優しく微笑んで一通の手紙を差し出した。
待ち望んだ手紙を受け取ると、逸る気持ちを抑えて自室に走り丁寧に封を開けた。
『司書から君好みの本を聞いて用意しておいた。ついででもなんでもいいからいつでも遊びに来い。私も、会いたい』
がん!
「お嬢様どうなさいました?」
机に突っ伏しているリディアナに不思議そうにナナリーが訊ねる。ノックの音も聞こえなかった。
「……痛い」
「でしょうね。思いきり机に額をぶつけていましたから」
「……そうじゃなくて、苦しいの」
「我慢してください。幼児体系をなんとかするよう皇室からのお達しです。あと三センチは締めませんと」
コルセットの話ではないのだが。ナナリーは、部屋中に落ちている本を拾い上げ片付けていた。
「はぁ……」
まさかこんな爆弾が投げられるとは。まるで恋人のような甘い言葉に赤い顔を机に突っ伏したまま溜息を溢す。
ほてった顔を起こしてペンを取るが中々動かなかった。
***
「リディアナもいつの間にか恋をする年になっていたのね」
「へ!?」
その夜、談話室でくつろいでいると母に声をかけられた。
父は読みかけの本から顔を覗かせ、母はソファで編み物をしている。
ちょうどリディアナが絨毯の上でルイスの手紙を読み返していたところだ。
「以前は本を読み始めると部屋から出てこなかったのが、今では郵便が届く時間になると飛び出して来るのよ。手が空けば殿下の手紙ばかり読んで。余程嬉しいのね」
「あっというまに成長するものだな」
母の誤解を解こうとするが父も参戦してリディアナをからかってきた。
むきになれば逆効果だと最近わかってきたので、口をとがらせながら手紙をハンカチに包んで大事にしまう。
三人の談笑する部屋に青ざめた顔のジャンが慌てて入ってきた。
「何かしら……」
手紙のようなものを渡すと、それを読んでいた父の表情も険しくなる。
リディアナとソフィアは互いに顔を合わせ、仕事の話だろうかと邪魔にならないよう静かに退出しようとした。
「待ちなさい」
トマスは二人を呼びとめ、手紙を差し出した。どうやら私達にも関係あるらしい。
『リディアナ=エルドラントは命を狙われている』
それは誰の字とも読み取りづらい字で書かれた警告文だった。
読み終えると同時にソフィアがショックでふらつき、父と両側から支えた。
「門扉に挟まれておりました。誰が投函したかはわかっておりません」
「ただの悪戯では?」
リディアナがなんてことないように聞く。
「悪戯にしても悪趣味だな。何事か起こってからでは遅い。殿下に急ぎリディアナの警護を増やすよう伝える。それまでは外出を控え、やむをえず出かける場合もナナリーと下男以外に護衛を付けなさい」
トマスは指示を出しながらソフィアを休ませる。
水を盛ってきたリディアナの肩をぽんと叩くと、「大丈夫だ」と慰めて出て行った。
「誰がこんな恐ろしいことを……」
ソフィアは祈るように手を合わせ、娘の命が狙われているかもしれない恐怖に震えた。
「王城でもこんな嫌がらせは日常茶飯事だったわ。女の嫉妬は恐ろしいものだとお母様も言ってたじゃない。私が選ばれたのがおもしろくない人がしたのよ」
母を安心させるためその場では幼稚な悪戯だと印象付けておく。
効果はあったようで、ソフィアの震えは収まってきた。
「……」
母と違いリディアナは冷静だった。
王太子の婚約者になったのだ。これからは身の危険も実際に命を狙われる可能性もゼロではない。
警告文によって自分が置かれた立場とその意味を再認識していた。
城からはその日のうちに護衛が駆けつけ、ルイスの従者であるネッドが手紙を携えてやってきた。
先に戻っていたトマスは手紙を受け取ると、ルイスの迅速な対応に感謝し、ネッドに経緯の説明を始めた。
リディアナも部屋に呼び出され色々と質問を受けた。
日頃の行いが褒められたものではないリディアナは、心当たりごありすぎた。しかしどれも命を狙われるほどではないと伝えた。
皇室も婚約が原因であるとの考えだ。
リディアナの身辺警護を約束して話は終わった。
部屋を出るとネッドが追いかけてきてリディアナを呼び止めた。
「殿下からリディアナ様に手紙を預かっております」
喜んで受け取ると、「それからこちらも預かってまいりました」と数冊の本を手渡された。
「……」
それは前にルイスが手紙で言っていた、リディアナが好きそうで取り置いたと言っていた本だ。
「城へは来ないほうがいいということですね……」
この本を借りに登城する予定だったのだが、ネッドに持たせたという事は城へは来るなということだろう。
「殿下も残念になさっておりました。リディアナ様の身の安全を確保することが一番大事だと己を律し、我慢をなさっているのです」
警告文が出たとなれば行動に制限がかかる。仕方がないとわかっていても気持ちは沈んでしまう。
「返事を書きたいので待ってもらえますか?」
ネッドは快く了承し、リディアナは急いで返事を用意した。
ルイスからの手紙には、近衛騎士の精鋭を付けたことと、犯人の特定を急ぐと共に無駄な外出は避けるよう注意書と身を守る術が添えられていた。
特に王妃の毒殺事件があったからか、外で飲食をする際は気を付けるよう忠告される。
王家の一員になれば危険も伴う。リディアナも無関係ではなくなったのだと気を引き締めた。
『城の外では守ってやれぬゆえ無茶はするな』
短い一文に心配してくれている様子が窺える。
『一日でも早く君が安心して過ごせるよう善処する』
リディアナもペンを走らせた。
『騎士を送ってくださりありがとうございます。登城できなくなりとても残念です。なるべく屋敷から出ないよう心がけますが、何件かパーティーへ出席せねばなりません。殿下の婚約者として未熟な私が、嫁ぐ前にせめてもと高位貴族への挨拶と、今後に活かせる良縁が持てればと考えてのことです。婚姻に向けて私に出来る事を――』
ペンを止め、この先を書くべきか悩み顎に手を添える。
婚約者に選ばれた夜、思い返せば拒絶ばかりで返事をしていなかった。
あの夜からルイスとはぎこちないまま二月が経つ。
本来ならば直接自分の口で謝罪するべきだが、手紙の方が素直に伝えられるような気がした。
リィアナは既にルイスの申し出を受け入れ、王太子妃となって彼を支える覚悟があった。
政務官になる夢は潰えるが、王妃という立場で国政に携われれば、目的は達成されるだろう。
リディアナは、自分の知識を国のために役立てたいと思っていた。政務官はそのための手段に他ならず、妃としてルイスの力となれば、同じようにそれは民のためになり得る。
ルイスは言っていた。『知恵のある者を望む』と。
それは私に政治的な支えになって欲しいということ。それならばこの夢は形を変えて成し遂げられるだろう。
「ルイス様が嫌だから拒絶したんじゃない」
あの夜の、一瞬垣間見たルイスの傷ついた顔が脳裏を離れない。
ルイスの誤解を解きたいが、そのためにはリディアナがルイスをどう思っているのか、どちらかといえば好意を持っているのだが、それを伝えるには勇気がいるし、自分の気持ちにも自信がなかった。
結局悩んだ末、破りそうになった手を止めるに留まる。
中々素直になれないリディアナは、婚約の意思を伝えるだけでいっぱいだった。
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