第11話 王太子の婚約者
風も虫の音も聞こえない、現実の世界から切り離されたかのような静寂。
一瞬何を言われたのか理解できず、何度も頭の中でルイスの言葉を反芻した。
リディアナの理解が追い付くのを待たずに続ける。
「3日後の宴で正式に発表する。国王は静養中のため王太后よりお言葉を賜る。後日国王からの発表を持って正式な婚約とする」
淡々と業務連絡のように告げられ余計に混乱した。
「婚約式は喪中のため執り行わず、書類のみで済ませる。式は何年後になるか、国内の情勢を見ながら判断しよう。君もそのつもりでいてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
一方的に告げられて誰が返事など出来ようか。
婚約? 誰が?
何度頭の中で繰り返しても理解出来るはずがなかった。
「……サラは」
真っ先に浮かんだ親友の名前。彼女はつい先程まで私の腕の中で泣いていた。この人に別れを告げられて。
たった数刻前の話だというのに、嘘のように彼は今私を婚約者に使命したのだ。
名前を聞き間違えたのだろうか。それとも夢でも見ているのか。どこからが現実でどちらが夢なのか。
「サラのことは気の毒だが仕方がない。私も善処した」
「は? 本気で言ってるんですか?」
善処? 善処ですって?
呆れて言葉を失う。どうやら夢ではなかったし聞き間違いでもなかったようだ。
ルイスの配慮の無い言葉と事務的な態度に怒りが頂点に達した。
「殿下には人の心が無いようですね」
あまりにも腹が立ち一国の王子相手に失礼な発言をした。ルイスが何か言おうとしたが、それすらも遮って続ける。
「お断りします。私は政務官になりたいので結婚はしません」
怒りで冴えた頭ははっきりと拒絶を示した。
だけどもう一方の冷静な自分が、これはリディアナの意思で覆ることのない決定事項だというのも理解していた。
分かっていても言わずにはいられなかった。だって、あんまりではないか。サラとリディアナを馬鹿にしている。
ルイスは口を引き結び、逆に責めるような目でリディアナを睨んだ。
「なぜ断る」
「なぜ? それはこちらの台詞です。私よりふさわしい方がいるでしょう! こんな婚約誰も幸せになりません!」
ルイスはぴくりと片眉を上げて投げやりに笑った。
「私の幸せは私が決める。故にお前に決めたのだ。私の求婚を断るのがどういうことか分からぬほど愚かではあるまい」
ルイスの声は低く呆れていた。
わかっている。しかし頷くわけにはいかないと唇を噛む。
「そんなに私との結婚が嫌か?」
「嫌です」
雲間から覗いた月明かりがルイスの傷ついた顔を照らした。
「――っ」
何故、そんな顔をするの。
正しいと思いながらも罪悪感が押し寄せる。
嫌と言ったが決してルイス自身が嫌なのではない。だがこれは今言うべき言葉ではない。
口からでかかった言葉を飲み込んで、代わりにどうして私なのかと訊ねた。
サラとルイスは幼少期から付き合いがあり、忍んで手紙のやり取りをしていた。
ルイスはサラが好きでサラはルイスが好き。
そこにリディアナが入る理由がどこにあるというのか。それにリディアナは二人を大切に想っている。ルイスが嫌なのではない。二人の仲を引き裂くことが一番嫌なのだ。
「それは……」
ルイスは珍しく答えに迷った。
自信に満ち溢れ、己の道を迷いなく進む人が言葉を捜して迷っている。
リディアナはルイスの気持ちがわからなかった。
何故リディアナを婚約者に選んだのか知りたかった。
「私は……、将来この国の王となり民を守り導いていく。美しく従順な妃ではなく、共に心を砕き私を助ける知恵のある者を望んだ。故に君に決めたのだ」
ルイスの言葉を聞いた後、立っていられたのが奇跡のように全身の力が抜け落ちた。
「知恵のある者……」
張り詰めていた気持ちが一気に萎んでいく。
『リディアナ様はルイス殿下の御学友』
『まるで男友達』
『女として見られいない』
ああ、そういうことか。
すとんと腑に落ちた。同時にひと筋の涙が頬に流れた。
ルイスは王となる立場でリディアナを選んだ。
ルイスを愛し、愛されているのに別れを告げられたサラ。
心はなくとも能力を買われて求められたリディアナ。
心を犠牲にして決断を下したルイス。
待ち受ける未来はどれも不幸で残酷だ。
リディアナの存在が親友とその想い人との仲を裂こうとしているのなら、今日ほど自分を呪った日は無いだろう。
私が二人を不幸にしてしまうのか。
心は静かで冷静なのに、涙はとめどなく溢れていく。目の前が掠れてもルイスから視線だけは外さなかった。
いつもならルイスも外さないのに、彼はこれ以上は見ていられないとでも言わんばかりにきつく目を閉じて顔を背けた。
何故そんなに傷つき苦しそうな顔をするのか。その姿が更にリディアナを傷つけるとも知らずに……。
「これは決まったことだ。三日後、私は君との婚約を発表する」
ルイスは一方的に告げると、リディアナから逃げるように踵を返した。
「私は政務官になりたいのです! ルイス様も応援してくださっていたではありませんか!」
ルイスの背に訴える。
一瞬、迷ったように立ち止まってくれたが振り返る気はないようだ。リディアナは構わず叫んだ。
「こんなのは間違っています! どうか今一度お考え直しください!」
「……私は、必ずお前を妃にする。必ずだ」
低く、強く、最後に端的に告げたルイス。
懸命な訴えは届かなかった。
言葉とは裏腹な寂しげな声に、去り行く孤独な背に、これ以上呼び止めることは出来なかった。
***
リディアナが部屋に戻ると、ナナリーと共に王宮のメイドに出迎えられた。
「おめでとうございます」
三人に祝われて深く頭を下げられる。
ナナリー達は王太子の婚約者に決まったことを既に知っていた。そして舞踏会の準備を手伝うためにメイドが派遣されたという。
衝立には見知らぬ白金のドレスが立てかけられていた。
薄い橙色のレースがあしらわれた光沢のあるドレスは、リディアナの所持品にはなかったはずだ。
「殿下からリディアナ様への贈り物でございます」
「お披露目でお召しになっていただきます」
「……そう」
ナナリーが「新しいドレスは必要なかったですね」とうれしそうに言った。
試着が必要だと言われたが、袖を通す気になれず「疲れたから明日にしてほしい」と断った。
リディアナは夜着を纏って寝室に引きこもった。
扉の外は深夜まで明かりが灯り、婚約発表までの準備で忙しそうだ。
もう覆すことは出来ないのだなと思った。
サラは、私達は、これから一体どうなっていくのだろう。
不安で泣きそうになったが唇を噛んで耐えた。
これ以上泣くわけにはいかない。
三日後にはルイスの婚約者として発表されるのだから――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます