第6話 目が離せない


 フェルデリファ王国の王太子であるルイス=フォン=フェルデリファは、自身の執務室で政務をこなしていた。

 そこへ侍従が慌てた様子で駆け寄り耳打ちした。

 

「リディアナ様が……」


 ルイスは内心でため息をつく。

 リディアナが問題を起こした時は必ず報告するよう命じていた。それが連日ともなれば呆れてため息も溢れよう。

 執務室を訪ねていた宰相バルサが何かあったのかと気にしたが、なんでもないと続きを促す。

 そしてバルサの話を終えると、急いで庭園へと向かった。


 ずぶ濡れのリディアナに会って以降、婚約者候補との衝突は減った。

 それでも彼女の性格と、格式と規則に凝り固まった王城での暮らしは合わず、未だ小さな騒ぎを起こしていた。

 ある日、リディアナの姿が見当たらないと報告を受けたルイスは、臣下を使って城中を探した。

 リディアナは直ぐに見つかり大事にはならなかったが、彼女は図書庫に潜り込み、本を漁り、時間を忘れて読書に没頭したあげく、そのまま眠ったところを発見された。

 その前は料理を振舞うといって厨房で小火騒ぎを起こし、珍しい花だから一株分けて欲しいと庭師にせがんだあげく白百合の塔を泥だらけにしたり、近衛騎士に剣術の稽古を申し込み、侍従の仕事に興味を抱いて追いかけまわしたり……。

 大事にならないよう後処理に奔走するルイスの苦労も考えてほしい。このままでは庇いきれずに城を追い出されるぞと忠告した。

 その時のリディアナの嬉しそうな顔といったら……。なんとも言えない複雑な気持ちになった。

 それでも不思議な事に、城で働く者達からはおおむね好かれていた。

 しきたりを重んじる者からは嫌われていたが、元々博識であるリディアナは専門家の受けも良く、素直で明るい性格と親しみやすさが好まれる理由のようだ。

 図書庫にはリディアナ専用のソファとクッションが置かれ、厨房では堅物料理長に出入りを許可され、近衛騎士にいたっては騒ぎのたびに喜んで駆けつけているようにみえる。政務官とは食事も一緒に取るほど仲良くなっている。

 そしてルイスもまた、リディアナが気になっては今日も忙しい政務を中断し、離宮に足を運ぶのだった。



 庭園に駆けつけると、サラーシャ=ランズベルトとその侍女が大木の下でおろおろしていた。

 ルイスに気づいて慌てて礼をとる。

 サラは婚約者候補として最近登城したランズベルト公爵家の令嬢で、父親はこの国の宰相をしており、候補者の中でも頭一つ出た有力候補だ。

 淡いラズベリーブロンドの髪は片側に結って横に流し、大きなピンク色の瞳は潤み、長いまつげと小さな口、色白の肌は見るもの全てを魅了する可憐な少女だ。

 性格も控えめで大人しいが、他の令嬢に比べて常識が備わっており、身分も申し分ない。

 ルイスとも幼少期から交流があるのだが、どういうわけかサラは対照的な性格のリディアナと仲が良かった。


「リディアナは?」


 サラは「あの、その」と手元の帽子をいじっては大木の上の方を窺っていた。その動きでおおよその状況を把握する。


「交流会の時間が迫っているだろう。リディアナは私に任せて君は戻りなさい」


 しかしサラは表情を硬くして動こうとしなかった。リディアナが咎められると心配しているのだ。


「大丈夫。リディアナは私が送り届ける」


 サラの性格を熟知しているルイスは優しく微笑んだ。ルイスが怒っていないとわかると、サラは安心して去っていった。


「さて……」


 ルイスは大木の上を眺めると、仕立てのいい上着を脱ぎ、すばやく枝に飛びついて足をかけた。


「殿下!」

「おやめください!」


 近衛の制止も聞かず一気に枝から枝へとかけ登る。

 この歳で木登りをする羽目になるとは。子供の頃に弟ソレスと登った以来だ。童心に返ったようで楽しい。

 リディアナに出会ってからのルイスは、らしくない行動ばかりしていた。他人に振り回されるのは初めての経験だったが嫌ではなかった。

 中腹の太い幹に目的の人物を発見した。

 よくもまあ、女の身でここまで登ってきたものだと感心する。

 リディアナは一際頑丈な枝に、足を投げ出して座っていた。


「おてんば娘」

「きゃっ!」


 下から声をかけると驚いたリディアナがバランスを崩して落ちそうになった。


「掴まれ! そのまま、そう……」

「び、びっくりした」

「悪かった」


 一気に登って腕を掴んで事なきを得た。

 思ったよりも細い腕に、一瞬どきりとしたが平静を装った。


「ルイス様も木登りですか?」


 大木の上で奇遇ですねと言わんばかりの的外れなことを言う。


「誰が好き好んで登るのだ。怖くて降りられなくなった君を助けに来た」


 大方サラの帽子が風に飛ばされてひっかかったのだろう。


「半分正解で半分違います」

「?」

「降りるのは少し怖いなと思いましたけど、それよりもここからの眺めがよくて目を奪われてました。ご心配をおかけしてすみません」


 ルイスもリディアナの視線の先を仰ぐ。枝葉の隙間からは城下が見渡せた。

 フェルデリファの王城は国のほぼ中心に位置する。二人の登った大木は城壁の端に立ち、小高い丘に建てられた王城からは城壁を越えて城下を見下ろせた。街のむこうには平原が続き、地平線まで望める。

 平原の向こうに沈む夕日がリディアナの柔らかな頬を赤く染めていた。


「今度、展望塔に連れて行こうか?」


 展望搭からなら王都全体を一望できると誘ってみたが、断られた。


「人々の活気ある声が届く方が好きです。ほらルイス様、向こうにサルヌマ通りがみえますよ。私は屋台の干し柿とクリームチーズのサンドが大好きで、ナナリーに叱られるほど食べてしまうんです。城の図書庫とは比べ物にならないですが馴染みの本屋は種類が豊富で重宝してます。親に内緒で毎週通っていたくらいです」


 楽しそうに話すリディアナに、ルイスも微笑んで聞いていたが心の中では僅かに疎外感を抱いていた。


「私、乗馬が得意でよく友人と平原へ行くんです。ハマの実を知っていますか? 食べると甘くて葉は染料にするときれいな紫紺色になるんですよ」


 突然ルイスの方へ振り返る。


「!?」

「ああ、ルイス様の瞳の色と同じだわ」


 リディアナの澄んだ瞳にルイスの驚く顔が映っていた。


「あ、エルドラント家の屋敷も見える。青い屋根のあそこです」


 リディアナは直ぐにまた前を向いて王都を眺めていた。指で示されてもルイスはずっとリディアナから目が離せなかった。


「みんな、元気かな……」


 先程までの無邪気な笑顔は搔き消えて、表情に陰りが見えた。寂しげに呟く姿にちくりと胸が痛んだ。

 まるで籠の中の鳥が外へ出たいと鳴いているようだ。

 その鳥を籠に閉じ込めているのは外でもない、ルイスである。

 リディアナから視線を外し、ルイスも王都を眺めた。


「この木は塀に近く外から侵入される危険があるな」


 確かに景色はいいがそれだけだった。

 リディアナは狐に抓まれた顔でルイスをじっと見つめた。


「な、なんだ」

「同じ景色を見ても感じることがこうも違うのかと思って」


 話を合わせてきれいだと言うこともできたし、屋敷での話も聞いてやれただろう。リディアナの落ち込む姿に動揺して判断を誤った。


「しらけさせてしまったな」

「いいえ。常に城の安全を考えていらっしゃる殿下は流石です。私は警備にまで頭が回りませんでしたので」


 リディアナは気を悪くするでもなく笑顔を浮かべていた。


「ですが民の暮らしに目を向け、声に耳を傾けるのも大事です。王が守るべきは城ではなく民ですから」


 城は壊れても民がいれば再建できる。民が潰れては国が潰れる。言いたいことは分かるが恐れ多くも大国の王太子に面と向かって意見するリディアナに口角が上がる。


「まったく生意気な。私に王のあり方を説いているつもりか? 君に説教されるほど落ちぶれてはいないぞ」

「生意気は認めますが進言する上で私も人を選びます」


 つまりルイスが聞く耳を持っていると言いたいのだろう。紡いだ言葉だけを聞くと好意的なものなのだ。


「私の評価が高いようでなによりだ。今後の王子妃選びの参考にしよう」

「ご冗談を。私は結婚も王妃の座も望んでません。何度も申しているではありませんか。お気を悪くされたのなら家に追い返していただいて結構ですよ」

「リディアナ」


 捨てぜりふを吐くと小さくお辞儀をしてするすると枝から枝へ難なく降りていった。

 助けに来た王子を残していくとは……。あきれながらも無事に着地するまで見守る。


「おもしろいな」


 残されたルイスは再び視線を王都へ移した。

 夕日が沈む王都には昼とは違った活気が現れ、平和であるがゆえの人々の賑わいが心地よく耳に届いた。

 この平和を維持するために、より良い暮らしを与えるために、ルイスはもっと精進しようと思った。

 ルイスが進む君主の道は険しく、身を置く世界は陰謀と私利私欲が蔓延る世界だ。その中で隣に立ち、共に歩む伴侶を選ぶ時が迫っていた。

 一国の王子が、あと一年で成人となる歳まで婚約者を据えなかったのは異例のことだった。

 ある事情により、婚約者を選んでいる暇がなかったのだが、国内の安定を図るためにも避けては通れなかった。

 今回の選抜で次期王妃が決まる。

 母である王妃や祖母の王太后からはルイスの意思を尊重すると言われていた。


「私は……」


 茜色に輝く星空を眺め、薄寒い空気を肺に吸い込み目を閉じた。

 自分の将来の伴侶を想像する。目の前に浮かぶ残像を追うように手を伸ばしたが、掴む前に霞んで消えてしまった。

 自嘲気味に笑ってゆっくりと瞼を開けた。

 空には自由を謳歌する一羽の鳥が飛んでいた。

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