第3話 男装

家にいるのも勿体ない心地のいい晴天に、リディアナは愛馬と遠乗りに出かけることにした。

 昼食を済ませに着替えるや愛馬を引いてこっそり屋敷を抜け出した。

 王都の大通りは目立つので、迂回して森林生い茂る道なき道を駆ける。愛馬は告げられずとも行き先を分かっているかのように、昼下がりの森を気持ち良さそうに疾走した。

 目的地である公爵邸の門前に辿り着く。

 門番はリディアナの格好を見て意味深に笑い、「今日はアルバート坊ちゃんですね」と訊ねた。

 快く通してくれた門番に礼を言い、厩や玄関へは向かわず裏庭を通って2階の窓に声をかけた。


「アルー、いるー?」


 窓から顔を出したのは、悪友アルバートではなく先日散々買い物に付き合わせたレイニーだった。


「ごきげんようリディアナ。今日は随分かわいらしい格好をしているね」

「あなたも来ていたのねレイニー。この間はありがとう」


 リディアナの本日の格好はズボンにブーツ。長い髪は束ねて帽子の中に隠し、知らぬ人が見ればどうみても少年という出で立ちだ。

 アルバートの家はリディアナ達三人のたまり場になっていて、連絡をせずとも自由に出入りを許されていた。

 令嬢が侍女も付けず出かけたり、公爵家の子息と懇意にすれば良からぬ噂もたつので、リディアナは男装をして訪ねることにしていた。

 もちろん両親は娘が男装して貴族の子息に会っているなど知る良しもない。それどころかアルバートとレイニーと三人で馬で駆けたり、剣術の稽古をつけてもらったり、男子だけが通うのを許された学校にも侵入していた。

 王都に来てからも変わらずリディアナは令嬢らしからぬ令嬢だった。両親が知ったら卒倒するだろう。

 レイニーを遠乗りに誘ったのだが、これからアルバートと学校へ行くらしい。二人は貴族が通う王立学院の上級生だった。

 横からアルバートが険しい顔で身を乗り出した。


「アル」


 挨拶もせずにリディアナの姿をみつけると手であっちへ行けと追いやるアルバート。


「今日は駄目だ。お前を連れまわしているのが父上にバレた。学校をサボっていたのも知られたし、今日はおとなしくしてないと」


 学校をサボっていたのは私のせいじゃないと口を尖らせて抗議する。

 頭をがしがし掻いて呻くアルバートは、これでも筆頭公爵ランズベルト家の嫡男だ。

 アルバートは体格のいい好青年で、濃茶の髪は短く刈り上げ、凛々しい眉と高い鼻ははっきりとした顔立ちをしている。本人は貴族らしからぬ自由人で、だからこそリディアナとも気が合った。

 リディアナは更に近くに寄って小声で囁いた。


「それなら私も学校へ行こうかしら」


 王立学院は貴族の男子のみが通うことを許されている。

 生徒のほとんどは卒業と同時に国の仕事に就く。労働の義務があるといっても平民と違い、一部の職種以外は貴族の女性が働くことは認められていない。なので学校も男子のみが入学を許されていた。

 昔から貴族令嬢は社交や己磨きに勤しみ、結婚をして家庭を守るのが美徳とされていた。

 つまり慣習によって女性が職や知識を持つことは毛嫌いされてきた。

 なんと理不尽なことか。

 だからリディアナは少年の格好をして学校へ潜入し、学ぶことにした。

 二人と出会ったのも男装をして学校へ潜り込んでいた時で、二人はリディアナの豊富な知識と才能を認めると、こっそり学校で学んだことを教えてくれるようになった。


「実は僕も父上に君を学校に連れて行ったのが知られてしまったんだ。うまく誤魔化しておいたけど、君も家に戻ったほうがいいと思う」

「父上の話だとお前の父親が午後から休暇を取ったらしい。俺たちがバレたってことは……」

「え」

「そんなわけでその格好はまずいんじゃないか? リディアナ」

「それを先に言ってよ!」


 意地悪く笑うアルバートに抗議し、リディアナは馬の腹を蹴って来た道を戻った。

 男装して学校に侵入したのが父に知られたらーー想像しただけで変な汗が滲んだ。



      ***



 トマス=エルドラント侯爵は帰路の馬車で頭を抱えていた。

 周りよりも活発な娘を温かく見守り育ててきたが、放任すぎたかもしれない。

 エルドラント家は妻であるソフィアの生家であり、トマスは婿養子だった。ソフィアと出会う前は子爵家次男として医師の道に進み、細々と暮らしていた。

 それが今では愛する妻と侯爵という地位を得て、医薬大臣という国の要職に就いている。

 地方にいた頃のような診療は出来なくなったが、それでも出来る限り医療に従事しようと薬草や新薬の開発などに力を注ぎ、日々研究に精を出していた。

 元々は爵位がないと思って生きていたトマスだ。娘の令嬢教育に疎く無頓着だったのは認めよう。

 ソフィアもリディアナを産んだ後に大病を患い、今後子供を望めない体になったことで甘やかしていた部分もあったと言っていた。

 奔放な姿もまだ子供だからと許していたが、リディアナはもう十五歳。社交界デビューをしてもいい年だ。

 それなのに、本人はのらりくらりとかわして準備もままならない。王都へ来たら少しは落ち着いてくれるかと期待したがそれも違ったようだ。

 というのも今朝の出来事である。

 城に出仕したトマスの元へ、その日は朝から次々と来客があった。

 トマスを訪ねてきた要人達の用件は全てリディアナのことだった。


 まず始めに、この国の宰相であるバルサ=ランズベルト公爵が訪ねて来た。

 バルサとは同年代で旧知の仲だ。だから楽に構えていたのだが、話を聞いている内に冷静さが吹き飛んだ。

 なんと、リディアナがバルサの息子アルバートと懇意にしているらしい。妹のサラーシャ嬢と友人なのは知っていたが、まさか兄のアルバートともつきあいがあったとは知らなかった。

 娘の行動力に思い当たる節もあり、まだ子供ゆえよく言って聞かせると伝えると、バルサもそれ以上は言及せず世間話をして部屋を後にした。

 子供っぽいところが抜けきらないからといっても、年頃の侯爵令嬢が公爵令息と侍女も付けずに出歩くなど、誤解をされても言い訳の仕様が無い。

 トマスはこめかみを押えた。

 すると間も空けずに今度は農務大臣であるドルッセン=ドゥナベルト伯爵がやってきた。

 息子のレイニーが外部の人間を学院に手引きしていたらしい。何の話かと首を傾げると、どうやらそれが娘のリディアナだという。リディアナが男の振りをしていたと言うのだから寝耳に水だ。

 ドゥナベルト伯爵には何かの間違いではないかと言って帰ってもらった。

 トマスは不安で仕方なかった。何故ならリディアナという娘は昔から突拍子も無い行動をよくおこすのだ。


「まさか……」


 こうなったら直接娘を問いただそうと身支度を整い始めた。部屋のノックが再度鳴った。


「……」


 これ以上は勘弁してほしいとうんざりした顔で扉を開ける。この日一番の大物の登場に、挨拶も忘れてトマスは固まってしまった。



 慌てて帰宅したトマスは、娘が昼から出かけていると知るなりすぐに呼び戻すよう命じた。

 妻のソフィアが夫の帰宅に慌てて出迎えた。

 ソフィアの額にキスを落とす。不安げな顔でじっとみつめてくる。ソフィアにリディアナの失態を聞かせてもいいものか、悩んだトマスは一息ついて最後の要人の訪問だけ話すことにした。


「実は……、先ほど執務室にルイス殿下がお越しになった」


 そう、三人目の来客はこの国の王太子であるルイス王太子だった。


 ソフィアは「まぁ」と驚いた声をだし、ソファに腰掛けると先を促した。


「ルイス様とソレス様、両殿下の婚約者を選ぶお触れが出ただろう? 年頃の名家の娘に声がかかり、候補者達は次々と城へ呼ばれている。我が娘も両殿下と年も近く、身分だけは申し分ないのだが……」

「ええ。その件でしたらリディアナには荷が重いので失礼の無いよう、正式なお声がけの前に私から内々に辞退の意を伝えました」


 その通りだ。頷きながらソフィアの采配に異論ないことを伝える。


「ところが、だ。その、殿下が……、直接私のところへお越しになって……その、リディアナも他の令嬢と同じく婚約者としての条件が揃うので、王城へ来るよう命じられた」


 ソフィアは目を丸くし、嬉しさと戸惑いと、疑問で表情が次々と変わった。

 わかる。その気持ちは大いにわかる。なぜ殿下は断りを入れた娘を今一度望むのだろう。

 社交界を苦手とするリディアナは王族が集まるパーティーへの参加経験はなく、王子との面識も無いはずだ。

 ソフィアも同じことを考えているのか、二人は黙ったまま互いに記憶をたどった。

 その時執事から待ちに待った娘の帰宅の知らせを受けた。帰ってきたならばすぐに部屋へ来るよう伝えていたが……。

 トマスとソフィアは顔をあわせると、いてもたってもいられず玄関へと向かった。

 玄関ホールには今まさに慌てて帰ってきた娘がこちらに気づいたところだった。

 そこにはーー。いつもの愛らしい娘ではなく、何故か男の格好をしたリディアナが立っていた。


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