後編


「俺と付き合ってほしい」

百合子はびっくりした顔をして、こちらを見ている。

「どうして・・、そんな私・・・」百合子は下を向いて震えている。

「真治くん、私・・付き合えないよ・・。だって・・・」

「大丈夫、大丈夫だよ」

その後、百合子はここまでのことを話し始めた。百合子は幼い時に白血病となり、長期間の入院を余儀なくされた。その頃、百合子の母親は弟を妊娠していたため、なかなか入院に付き添うことが出来なかった。そんな時にお見舞いに来てくれたのが、母方の祖父だった。祖父は外の景色が見れないのは辛いだろうと、趣味の写真をたくさん撮って持ってきてくれた。祖父が持ってきてくれる写真が楽しみだった。青空の写真、海の写真、桜、朝顔などの季節の花の写真、どれも綺麗で百合子の気持ちを明るくさせた。特に星の写真がお気に入りで、退院したら星空の写真を撮りに行くと祖父と約束した。そして小学生に上がった頃に治療が成功し、晴れて退院となった。百合子は楽しい小学校生活を送り、病気のことなど忘れて過ごしていた。しかし、中学に上がった頃、調子を崩すことが増えた。再発だった。友達と入るはずだった部活にも入れない、将来のための勉強もできない、またこの狭い部屋だけが百合子の居場所になった。そんな時に百合子を支えたのは祖父の写真だった。祖父は子供の頃と同じようにたくさん写真を撮ってくれた。百合子が見たいといった場所をいうと、祖父は写真を撮りに行ってくれた。そして不思議なことに祖父の撮影した写真は、まるで動き出しそうなほどエネルギッシュな写真だった。祖父といる間は楽しく前向きなれたが、大きくなった分一人の時間は辛いものになっていた。死ぬということを理解した今、夜になると絶望と不安に押しつぶされそうだった。そんな中、奇跡的にドナーが見つかり、移植できる運びとなった。そこからも地獄のように辛い日々だったが、移植したから生きられるかもしれないという希望が百合子を前向きにさせた。そして辛い日々にも終わりはきて、体調も落ち着き、退院の日取りがきまった。その頃になって祖父が全く見舞いに来てくれていないと気付いた。祖父が見舞いにここまで来ないはずはない。百合子は心配になって母に尋ねると、母は涙を流し始めた。母から祖父が遠くへ行ってしまったことが告げられた。どんな辛い治療でも、弱音を吐くことはあっても、涙だけは流さなかったのに、百合子は一晩中泣き続けた。今までずっと我慢していたものが一気にあふれ出したのかもしれなかった。翌日、母から一眼レフカメラと百合子に渡すつもりだったであろう写真の束を受けとった。どの写真も百合子が見たいと言っていた写真だ。持病もある中、必死に写真をとってくれた祖父の姿が目に浮かぶようだった。

その後百合子は退院し、写真を撮るようになった。

「・・・また再発するかもしれない。それに次再発したら、どうなるかわからない。だからこそ今を写す写真を私は写真を撮り続けたいの」

百合子は一眼レフをぎゅっと握りしめた。

「だから・・だから・・・私は真治君といることなんて・・」

「人間、誰しも明日のことはわからない。限られた時間かもしれないなら、俺は百合子と過ごす時間を大事にしたい」

真治は息を吸い込み、「好きだよ」と百合子の手にそっと自分の手を重ねた。

真治の手に温かなしずくが落ちた。


百合子と真治の関係が恋人になって、たくさんの場所に出かけた。デートのメインはもちろん百合子の写真撮影だったが、動物園や植物園、遊園地などデートらしい場所にも行くようになった。そして何より、二人の写真を撮る回数が増えていった。

そして真治と百合子が出会って、何度目かの夏が来た。その頃には、真治は大学生になり、百合子はカメラマンの弟子になっていた。百合子も体調を崩すことはなく、この幸せはずっと続くのだと真治も百合子も疑っていなかった。

でも、運命の日は突然やってきた。


その日は、いつものように公園で百合子と真治は待ち合わせて、デートに向かう途中だった。真治が頭痛を訴えた。真治は頭痛持ちだと知っていたので、百合子は「気にしなくていいよ、また行けばいいから」と真治を自宅へ送った。

「ごめん、次絶対埋め合わせするから」と弱々しく真治が微笑み、「じゃあまた」と別れた。それが真治の最後の笑顔だった。

翌日の早朝、真治の母親から電話で目が覚めた。

急いで病院へ向かい、何度も間違いのはずだと心の中で呟き、病室に入った。

真治の家族の泣き声が響き渡り、母親は真治にすがっている。

「真治・・、嘘だよね」

百合子の温かな手が真治に触れる。

いつも好きだといって赤くなる頬も、百合子に大丈夫だと言って包んでくれた手も、ひんやりと冷たい。

だんだんと様々な音が遠く聞こえはじめ、そこから百合子の記憶はない。

ただ真治は冷たいのに自分の頬を伝う涙が温かい、その感覚だけが残っていた。


あっという間に四十九日が過ぎたが、百合子は部屋にこもるようになり、食欲もなくなった。考えることは真治のことばかりだった。

そんな時、真治の母親が百合子を訪ねてきた。真治の母親もつらかったのだろう、恰好は綺麗だが、顔色は悪い。

「今日は百合子ちゃんにこれを渡したくて」

それは真治からの手紙だった。

真治のクセのある字で百合子へと書かれている。

百合子は震える手で手紙を開いた。そして彼が残した最期の言葉を噛み締めるようにゆっくり彼の言葉を目で追い始めた。

『君を初めて見かけたのは、病院です。実はあの公園ではありません。本当は僕も小さいころ、同じ病院に入院してました。君は僕のこと覚えてなかったみたいだけど笑

その頃の僕は入院生活がつまらなくて、看護師さんをだまして病棟を抜けだしたり、消灯時間を過ぎてから冒険ごっこをしたりとかなりやんちゃな子でした。その日も消灯時間を過ぎてからベットを抜け出して、冒険をしてたら、看護師さんに見つかって、逃げ回った時にかくまってくれたのが君です。君のベットに二人で隠れて、看護師さんをやり過ごした後、まるで母親みたいに「こんなことしちゃだめよ」っていって、「これあげるから」って一枚写真をくれたんです。それが星空の写真で本当にきれいで、外の世界にはこんなきれいな場所があるんだって感動したのを覚えています。あの時も君は写真がいかに素晴らしいかを今と変わらないキラキラした瞳で話してくれました。その日から外の世界に出るぞって思って、なるべく看護師さんのいうことも聞いて治療に励みました。君に会いたかったけれど、君の部屋が変わってしまって会えませんでした。今思えば、あの時移植手術を受けていたんですね。

そして僕は経過観察になって退院しました。それからは月に一度病院に通院して、その度に君に会えないかなって思ってたけど、会えなくて・・・ずっと心配してたから、元気になって退院したと聞いてほっとしたのを覚えてます。それからしばらくして、また君が入院しているのを知って、本当にびっくりして、お見舞いに行こうとしたけど、あれからもう6年は経ってたから、僕のこと忘れてるかもって思っていけませんでした。そしてさらに月日が流れて、あの公園で君を見かけた時、君が生きてくれていることに本当に嬉しかったです。楽しそうに猫を追いかけて走っている君が本当に輝いて見えました。

ずっと黙っててごめんなさい。

君は病気のことを明かしてくれたのに、僕は本当のことを言ってなくて。

今僕の頭には大きな腫瘍があって、正直いつ悪さをするかわかりません。しかも根治は望めず、ただ明日も生きていられるよう祈るしかありません。病気が分かった日からいつ死んでもいい、そう思って生きてきたはずなのに、君に再会してから死ぬのが怖くなってます。生きたくて、生きたくて、君とたくさんの思い出を重ねたくて仕方ありません。

君は今を写す写真を撮っていたいと言っていましたね。でも僕は今を写して残すのが怖かった、楽しい思い出は失ったときにどんな思い出よりつらくなると知っているから。

でも今は違います。

君の写真に写るものはすべて生き生きしてて、見るだけでその時の煌めきとか輝きが思い出されるから。例え、辛い別れがきても思い出の写真の中で僕たちだけの世界がそこにある。不安も、病気も、死も決して触れることの出来ない世界がそこにあると僕は信じてます。

だから怖がらずに言おうと思います。本当のことを言うこともできない、こんな弱い僕だけど、ついてきてほしい。これからもずっと一緒にいよう。誕生日おめでとう!百合子』

百合子の頬をまた温かなしずくが伝った。

「百合子ちゃん、これ見てくれる?きっとあなたの誕生日に渡そうと思って準備したんじゃないかと思って」

真治の母親から手渡されたのは、アルバムだった。

二人でいった花火大会、海、動物園・・・百合子が撮った様々な写真が貼られ、幸せそうに二人が微笑んでいる。

「真治、幸せだったと思うの。あの子が生きた時間は決して長くはなかったけど、一緒に生きたいと思える人を見つけて、こんなにたくさんの思い出作って天国へ行けたのだから」

写真の中をみていると、これまでの思い出が百合子の中で鮮明に思い出される。

「あの子がこんな笑顔するなんて私知らなかったもの。本当に幸せそう」

そしてアルバムの最後のページには「百合子、ありがとう」の文字と星空の写真が貼られていた。

百合子はぎゅっとアルバムを抱きしめた。

突然、窓から風が吹いてカーテンを揺らした。真治の温かさを感じたような気がした。

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ロビンソン 月丘翠 @mochikawa_22

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