ロビンソン
月丘翠
前編
君を初めて見かけたのは…
百合子は震える手で手紙を読み始めた。彼が残した最期の言葉を噛み締めるようにゆっくり彼の言葉を目で追い始めた。
(あの子、何してるんだ?)
真治は夏休みの補習帰りに自転車を押しながら、アイスをかじっていると、公園で走り回っている女の子が見える。カメラを片手に、猫を追いかけている。その内に猫は茂みに入ってしまって見当たらなくなった。女の子はしばらく茂みを覗いていたが、諦めたのか立ちあがろうとした途端にふらふらとしゃがみこんだ。真司は驚きつつも駆け寄って、声をかけると意識はある。どうやら貧血のようだ。彼女を支えながらベンチに座らせ、自販機で水を買って飲ませた。
「大丈夫?」彼女は青い顔でコクコクうなづいている。少し落ち着いてくると、「ありがとう」彼女は小さな声でつぶやいた。沈黙の時が流れる。気まずいが、まだ彼女を歩かせるわけにもいかないし、ほって帰るのも忍びない。真治は普段持ち合わせてないコミュ力をなんとかフル回転させて質問を絞り出した。
「君の名前は?」
「川崎百合子…です」百合子も人見知りなのか、返事はしてくれるものの、握ったペットボトルの方を見て、真治の方を見ようとしない。
「俺は藤原真治。俺は高校3年なんだけど、川崎さんも高校生…かな?」
「え?あ、そうです」
首から下げているカメラは一眼レフのようだ。磨かれているのか綺麗ではあるが、年季が入っているようだ。
「カメラ、好きなの?」
「…はい」百合子はカメラを優しくなでながら、「大好きです」と答えた。
「どんな写真を撮るの?」
「あ、えっと風景も撮りますし、人物も撮ります。その瞬間の気になったもの、ワクワクしたものを撮る感じです」
決して目を合わせてはくれないが、横から見ててもわかるくらい、目が輝かせて、写真について話し始めた。どんな写真が好きで、これまでのどんな写真を撮ってきたのか、饒舌に話してくれる。しばらく話して、我に返ったのか百合子ら小さな声で「ごめんなさい」とつぶやいた。
「全然。すごく面白かったよ」
真治がそういうと少し照れくさそうにして、またカメラを優しく撫でていた。体調も良くなったようなので、家まで百合子を送ることにした。よくないことだとは思いつつ、でも状況が状況だからと自分に言い訳して、百合子を自転車の後ろに乗せた。
百合子が真治の肩にそっと手を置く。ただ手を置かれただけなのに、肩が妙に熱い。きっと夏の暑さのせいだと思いながら、真治はペダルをこぎ始めた。
家の前まで行くと、「少し待ってください」と言われて待っていると、「これ、作ったので」とクッキーを差し出してきた。
「助けてくれたお礼です。今はこんなのしかなくて、ごめんなさい」それだけ言うと、真治の手にクッキーを押し付けて家に入ってしまった。
かわいらしい花形のクッキーは優しいミルクの味がした。
真治は、夏休みに入ってから補習に毎日通っている。1学期に学校をサボった分を取り返すために、夏休みのほとんどは補修で潰れる予定だ。そして今日もまた真治は補習を受けて、公園を通りかかった。あの日からなんとなくあの子がいないか公園を通る度に見ているが、出会えていない。今日もいないのかなと思っていると、茂みから小さな影と大きな影が飛び出してきた。百合子がまた猫を追いかけている。よほど猫の写真が撮りたいのだろうか。真治は自販機に向かった。
猫は観念したのか百合子の腕に抱かれている。百合子がベンチに座って猫に頬を寄せたり、なでたりしている。猫も気持ちいいのかゴロゴロと喉を鳴らしている。
「お疲れ」真治が後ろからスポーツドリンクのペットボトルを百合子に渡すと「ひゃっ」と百合子が声を上げた。
「元気になったのはいいけど、無理しないようにね」
「はい、ありがと…ございます」
「いいよ、敬語じゃなくて。タメなんだしさ。猫の写真撮ってたの?」
「はい・・いえ、うん、あの猫の生き生きと走ってる姿見たら撮りたくなっちゃって」
「川崎さんは写真撮るのが本当に好きなんだね」
「このカメラ、おじいちゃんの形見で。初めは撮り方なんてわからなかったけど、ネットで調べてたくさん撮る内に上手く撮れるようになってきて気づいたらめちゃくちゃハマってて」
「川崎さんの撮った写真見てみたいな」真治の言葉に百合子の白い頬が真っ赤になる。
「本当に、本当に良ければなんだけど、インスタで写真上げてるから、そこから見てもらえたら…」
「インスタやってないんだよね」
「あ、そっか…」
「やり方、教えてよ。写真見たいし」
「そんな気を使わないで」
「いや、俺が見たいだけだから。それに高校生でインスタ知らないのもやばいなーとは思ってたからさ」
そこから百合子の指示のもとインスタをダウンロードして登録して、百合子のインスタもフォローした。
「いい写真だね、なんかすごく生き生きしてる」
雨上がりの芝生、夕暮れの公園、水辺ではしゃぐ子供、顔を洗っている猫など統一性はないが、どれも生き生きしている。
「ありがと」百合子の頬がまた赤く染まった。
その日から補修帰りに百合子と会うようになった。
夏の暑さはどんどん増していて、セミも元気に鳴いている。毎日会うようになってから一週間もしないうちに、お互いを名前で呼ぶようになっていた。会話の中でわかったことだが、百合子にはあまり友達がおらず、写真について話せる相手は真治しかいないようだった。そして百合子は無口で大人しい子だと思っていたが、全くそうではなく、今では真治はほとんど聞き役でずっと百合子が話しているし、昨日は夜中に家を飛び出して星の写真を隣町まで撮りにいったそうだ。
「いい写真撮れた?」
「うん!星がめちゃくちゃ綺麗に見えるってインスタに書いてあったからどうしても撮りに行きたくて」
カメラには綺麗な星空が何枚も収められている。
「写真もいいけど、一人で夜中に出歩くのは危ないからやめてくれたら嬉しい」
百合子は少し頬を膨らませて「だって撮りたかったんだもの」とつぶやく。
「その顔ずるいから・・・」真治は自分の頬が赤くなるのを感じて、思わず自分の顔を手で隠した。
「今度夜中に出歩きたくなったら、連絡して」
「いいの!?ありがとう」
「その代わり、この星の写真一枚もらっていい?」
「もちろん!」百合子は写真データを真治に送ると、目を輝かせて次撮りたい場所について話している。そんな百合子をみて、真治はずっと思っていた疑問を問いかけることにした。
「ねぇ、百合子。どうしてそんなに写真たくさん撮るの?もちろん、好きなのはわかるけど、いつも一生懸命というか、なんだか必死って感じがするからさ」
「・・・・なんというか、人生って何があるかわからないじゃない。必ず明日が来るとは限らないでしょ」
百合子は見たことないくらい弱々しく笑った。真治は、それ以上なんとなく聞くことができず、その後はいつも通り話して解散となった。
後日補修がない日に二人で百合子が撮りたいと言っていた水族館へ写真を撮りに出かけることになった。百合子がどんなつもりで水族館を指定してきたのかはわからないが、真治は人生で初めて女の子と出かけることにドキドキしていた。別に付き合っているわけではないが、なんだか期待してしまう。真治は頬が緩まないように気を付けながら、待ち合わせの公園へ向かった。
待ち合わせに現れた百合子はいつものアクティブな恰好ではなく、オフホワイトのワンピースにベージュのサンダルを履いていた。もちろん、一眼レフも一緒だ。
交差点の向こうから「おはよ」と百合子が少し照れくさそうに笑って手を振っている。
「この格好、変?」と言いながらスカートをひらひらさせている。真治は気の利いたことも出てこず、ただ首を横に振るしかなかった。
水族館では、甘酸っぱいデートを期待したが、水族館に入った途端、百合子はいつものカメラ小僧になって、必死にシャッターを切り始めた。真治の存在を忘れているようだったが、そんな姿を見るだけでも真治は満足だった。お昼になり、水族館のレストランに入った。
「いい写真撮れた?」真治がそう聞くと、オムライスでほっぺを膨らました百合子はにっこりうなづいた。百合子が撮った写真には小さな魚からジンベエザメまで生き生きとした姿が映っている。写真なのにジンベエザメがゆったり動いているのが想像できるような神秘的な写真だ。
「百合子はきっと将来いいカメラマンになるね」
百合子のオムライスを運ぶ手が止まった。
「将来か・・・」百合子は小さなため息をつくと、気持ちを切り替えるように「行くよ!」と真治の手を引っ張った。
その後も百合子のシャッターを切る手は止まらず、いくつもの写真をとり、あっという間に夕方になった。
水族館から出ると、外は夕暮れと夜の狭間でオレンジがかった紫色になっている。
「綺麗・・・」百合子は空に向かってシャッターを切った。
カシャ・・・カシャ・・・、シャッターを切る音と海の音だけが聞こえる。
「百合子」真治が呼ぶと百合子が振り返った。百合子のスカートがひらりと揺れる。
「俺と付き合ってほしい」
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