第2話 アズマミヤコは飾らない


ガソリンスタンドの代わりに置かれるようになった水素・電気スタンドから、一台の大型バイクが飛び出した。メタリック・イエローのボディは傷ひとつなくぴかぴかと光り、オーナーからたっぷりと愛情を注がれていることが窺い知れる。角ばったデザインのそれが都庁前の道路へと停まり、ひとつ低いホーンを鳴らした。愛車に跨がってすこし苛立った様子に見えるのは二十間際に見える青年で、バイクと同色のフルフェイス・ヘルメットから覗く瞳は怠そうに遠くを見詰めている。誰かを呼んでいるのだろうが、しかしその人物が現れる気配はなく。

ついに痺れを切らしてもう一度ホーンを鳴らしてからヘルメットを脱いだその先に、乱れて癖の付いたアッシュベージュの髪が現れる。柄の悪そうな表情はしているが、元来彫りが深く整った目鼻立ちをしている青年は、二十一時ちょうどに急ぐわけでもなくトロトロと歩いて現れた少女、——今をときめく女子高生都知事・アズマミヤコを、重い二重瞼の奥の瞳で睨んだ。


「——人待たせといてゆっくりまったり歩いてんじゃねえよ」

「まあまあ。怒っても焦っても良いことないよぉ、ダーリン」

「俺はお前のダーリンじゃない」


さも当たり前かのように自らのヘルメットを持って現れたミヤコが早速叩いた軽口を、青年は眉を顰めて批判した。しかし彼女を置いてすぐに去ることなく、しっかりとヘルメットを取り付けるまで待っているあたり、青年は見た目に反して友人に甘い性格らしい。


「んじゃ、行きますか」


タンデムシートに跨ったミヤコが気の抜けた声を出せば、再びヘルメットを被った青年は黙ってそれを発進させた。いかつい見た目に反して、EVバイクの走る音は静かなものである。


「今日の夕飯何?」

「ハンバーガー作るとか何とか言ってた」

「マリンもよくやるよなあ〜、チーズ乗っけてくれるかな」


ふたりをのせたバイクはスピードを増し、交差点から東へ向かう国道へ。その道すがら向けられたパパラッチのレンズに、ミヤコは分厚いヘルメットの奥の表情を緩ませて面白そうに肩を揺らす。


「あ、撮られてる! いぇーい!」

「はあっ?!」


大きな一眼カメラに向けてとびきり笑顔でピースサインを出したミヤコに、青年は目を見開いて声をあげた。しかし、時すでに遅し。きっと数日後、大袈裟で下卑たタイトルと共にネットニュースに載せられてしまうであろう写真のことを思って、青年は鋭い舌打ちを飛ばした。


「勘弁してくれや。俺先週、マリンとも撮られてんだから」

「ねえねえ千葉ぁ、予想してあげよっか? 千葉県知事・千葉、今度は都知事と密会! 南関東・泥沼の三角関係! あっはははは!!!」

「面白くも何ともねえよ!」

「え? 千葉県知事・千葉は明らかにおもろいでしょ」

「そこかよ! あのなあ、人の名前で笑うんじゃねえよ。お前も都知事だかミヤコ知事だか分かんねえ癖に」


いかにもな文字列を吐き出しては声を上げて笑い出すミヤコを咎める青年は、大きな溜息を吐きながら首都高へ。見てくれだけなら一端のヤンキーのような彼、その人は間違いなく千葉県という都市国家を治める知事であった。そしてふたりが目指すのは、千葉市内にある青年の自宅である。



「おかえり」


一時間足らずで到着したワンルームのマンションでふたりを出迎えたのは、ショートボブヘアを明るい金色に染め上げた少女であった。部屋着のスウェットに着替えて化粧も落としているからか彼女は随分とあどけなく見えるが、ミヤコと千葉が"マリン"と呼んでいた女性は紛れもなくその人であり、彼女もまた二人と同じように、神奈川県という国のトップに立つ人物である。


「腹減った〜、ねえマリン、チーズ乗せてくれた?」

「え、要る? ごめん千葉、コンビニでチーズ買ってきて」

「誰が行くか馬鹿!」


冷蔵庫を漁って何とか一枚のスライスチーズを見つけたらしいマリンは、フライパンの上でじゅうじゅうと香ばしい音を立てて焼けるパティの一枚へ、鼻歌交じりにそれを乗せている。随分と疲れ切った様子の千葉がくたびれたソファへ背を預けてプロジェクターの電源を入れれば、白壁に映し出されたそれ一面に、今まさにあぐらをかいて靴下を脱ぎ捨てているミヤコ、——しかし、イチョウのマークを背負った一時間とすこし前の、よそ行きの彼女の顔が映し出された。


『東京都知事・アズマミヤコは日本の再統一を望んでいます!』


都知事・野望を露わに! などという大袈裟なテロップが付けられてニュース番組の華となっている彼女と、さっそく制服を脱いでキャミソールと短パン一枚で寝転がっている粗暴な女が同一人物だとは、千葉だけでなく誰もが信じたくないであろう。


「まーた随分なこと言ったんだな、お前は」


マリンがテーブルへ置き去ったカトラリーを素直に三人分並べた千葉が、呆れた声を出す。手伝えと小突かれたミヤコはようやくゆったりと身体を起こし、グラスに麦茶を注ぎながらニヤニヤと口元を緩め、プロジェクターを一瞥した。


「こちとら素直が信条なんでね。——別に困ることも無いでしょ、むしろ国境審査がある方が何億倍も面倒。」

「そりゃそうだけど、お前……」

「はいはい、二人とも。今日はもう仕事のお話終わり、晩ご飯出来たよ」


ハンバーガーとシーザーサラダ、そして大盛りのフライドポテト。いかにも若者が好みそうな欲張りセットを盛ったプレートを持って、マリンは美しく手慣れた所作で配膳しながら勝手にチャンネルを変えた。コメンテーターが小難しい言葉を繰り返していたニュース番組は賑やかしいバラエティ番組へと色を変えて、マリンの言葉通り三人の知事たちはようやく完全なプライベートへと足を踏み入れる。


「うっま、何これ」

「アンチョビポテト」

「お洒落じゃん、良かったね千葉」

「あ?」


ひとりで夕飯を食べる時には適当に済ませているのであろう、部屋の隅に積み重なったカップ麺の箱を眺めながらミヤコがぼやけば、マリンがすかさずくすりと笑う。千葉はそれを見て唇をへの字に歪めてから、厚く切られ揚げられてたポテトをひとつ摘み、程よい塩味と微かなアンチョビの香りに目を細めた。


「ケチャップ無いの?」

「アンチョビポテトって言ってんでしょ」

「味音痴かよ」


東京・神奈川・千葉の三国間協定が結ばれて、もうすぐ一年となる。ミヤコが都知事に就任してから半年、保守派だったかつての神奈川県知事が退任する運びとなり、幼い頃から北米に留学し開けた考え方を持ったマリンが選挙を勝ち抜いた。

——そして彼女が知事へと就任して三日後、突如結ばれた親密な協定。

「あたし達、気が合うと思うんだよね」と極めて軽い理由で決まったこの決まりに、当初はもちろん反対の意見もあった。

しかし、三国間の通行や貿易が自由化した今、国民たちは一都二県の往来を楽しんでいるようであった。言うなればかつてのヨーロッパに存在したシェンゲン協定、それのミニチュア版である地域共同体・南関東協定。おかげで今となっては労働者も行き交うようになり、労働力と資源が足りていなかった東京と働く場所が足りなかった千葉、そして貿易を活性化させたかった神奈川は、極めて友好的な互恵関係を築くようになった。

アズマミヤコは、こう見えて穏健派である。いつでもやる気なく、飄々としているミヤコがそれなりに国民に支持されているのは、交渉のうまさとコミュニケーション能力、そして先見の明が大きな理由だ。当初は渋っていた千葉を駆け引きや担保、交換条件なしで綺麗に言い包め、神奈川と引き合わせて自らが治める東京の左右に強力な同盟国を得た。

それどころか三人はプライベートで親友と呼ぶべき存在にまでなり、週末は必ずと言って良いほど共に時間を過ごしている。ミヤコとマリンは高校二年生、千葉は二十歳と年齢は違えど、一年前にミヤコが言った通りに、「気が合う」関係を楽しめていた。


「明日どこ行く?」

「海鮮丼食べたいな〜、銚子行こうよ。千葉、車出して」

「また土日居座んのかよ、俺明日ゲームすんだから邪魔すんな。銚子には行きません」

「んじゃ家でピザ頼んで三人でゲームだな」

「千葉のおーごり」


口端にパンくずをつけたまま半ば強制的なお強請りをする女子ふたりは、ちょっとやそっとでは言い負けてくれない。千葉はこの一年でその摂理をすっかり理解してしまい、自分でも気が付かないうちに狭いワンルームに馴染んでしまったふたりの姿を見ながら、不貞腐れた様子でハンバーガーの最後のひとくちを口の中に押し込んだ。


先の革命で、腐敗し切った政治を一掃しようと世界中の若者が立ち上がってから早数十年。はじまりは北米だったか、欧州であったか。日本も例外漏れなくその流れに飲まれて、政治や社会の腐敗した部分が丸ごと排除された。

その結果、政治を行うことに年齢や性別などすべての制限がなくなり、年齢や経験関係なく頭脳とリーダーシップに優れた者がその座に見出される運びとなったのである。今の日本では、ミヤコのような学生が知事の座に就くことは珍しくない。

先駆者の若者たちは地域の完全な自立を促し、かつての主権国家は都市国家の集まりに代わった。世界はあのとき、明らかな変革の時代を迎えた。しかし、歴史は繰り返す。最初の数年は上手くやっていた都市国家同士は徐々に対立するようになり、国境や税金を設け始めた。今やどこの国も地域も隔てられて、求めていた自由とは全く違う形の歪な世界が生まれている。それでも数十年前よりはマシだと人間は口を揃えて言うが、先駆者たちが巻き起こした粉塵と瓦礫のような遺産の後片付けをする本人たちは、毎日気が気ではない生活を送っている。


「映画見ようよ。洋画」

「またかよ……あんまうるさくないのにしろよ、この前苦情来たんだから」

「サイコホラーね、おっけー」

「いいね、サイコー」

「お前ら本当に話聞かねえよな」


マリンは楽しげにサブスクチャンネルを操作し、ミヤコは満腹になったのかあどけない表情のまま、すこし膨らんだ腹を撫でてソファへ寝転がっている。千葉はまたため息を吐いてペットボトルのコーラを煽りながら、それでも自分にもようやく訪れたらしい「青春」らしいものを大切に思っていた。

先の革命以来、若者は自由になった。けれど自由を持てば、人間は必ずと言って良いほど責任を伴う。責任がある分若者たちは孤独になった。それは今、政治の最前線で戦う三人にとっても同じである。

けれど、この時間だけは違う。都庁や県庁では、そしてひとりの部屋ではとても手に入れられない、飾らない、気の置けない、いつまでも続くような安寧。


「ねえ、千葉」

「なんだよ」

「楽しい? あーゆーはっぴー?」

「……やかましいわ」


知らぬうちに千葉は、穏やかな表情を晒していたようである。それを嗅ぎつけたらしいミヤコがニヤつきながら問いかけた言葉に、彼はぐっと眉根を顰めたあとにバレバレの照れ隠しがてら、唇を尖らせてそっぽを向いた。

仕事のあとに同年代の友人と食事をすることも、駄弁ることも、そしてこうやって彼女たちの自由さに呆れることも。どれもこれも、ミヤコの口車に乗って三国間協定を結ばなければ、手に入らなかったものなのだ。

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