アズマミヤコは走らない!!

蒼井 港

第1話 アズマミヤコは頑張らない

二十時四十分、記者たちは前方を睨んでいた。何十もの視線の先にはイチョウを象ったマークが規則正しく並ぶ壁紙、そして主人を待つ答弁台。明かりの灯ったネームプレートには【東京都知事 アズマ ミヤコ】と記されているが、肝心の彼女はもう十分も記者たちを待たせているらしい。


「来ないですねえ」

「いつものことでしょう」


毎週金曜日に行われる会見のため都庁に集まった記者たちは、見た目や性別はおろか、年齢や国籍さえも千差万別だ。まだ中高生と思わしき若者や、働き盛りの中年。或いは白髪交じりの老人もちらほらと見える。多様性を詰め込んだようなそこに並ぶ彼らは、しかし皆往々に真面目くさった表情で自らの仕事に向き合っているようだった。

二分ほどの沈黙のあと、ついにセーラー服を纏った少女が現れ、途端に焚かれたフラッシュが清楚な紺色の襟を照らす。記者たちは、息を呑んだ。涼しげな白いブラウスの胸部に、金色のバッヂがきらりと光っている。セミロングの黒髪と、つり目気味の目元が涼しい。

ようやくこの場に姿を現した都知事は今日も眼光鋭くつんけんと唇を尖らせ、記者たちを一瞥してからひとつ、溜息を吐いた。


「はあ……こんな時間までお疲れ様です。——えー、本日の会見を始めます」


華奢な見た目とは裏腹に、その心の内に飼う獣の性質を如実に表す低い声が響く。語尾が掠れて聞こえるのは彼女特有の声質だ。渋谷、新宿、上野、池袋。繁華街の空中ディスプレイにも映り出した彼女の姿と響くその声に、道ゆく人も視線を上げて、一心にその姿を視ていた。


「週刊カピタルの加納です!」


いの一番に挙手して質問を飛ばしてきた記者は、ベージュのブレザーを纏った女子高生だ。ミヤコはその顔に見覚えがあることを悟って唇をへの字に曲げ、あからさまに面倒そうな顔をして彼女を指名した。眼鏡の奥を好奇心で満たしたその少女は、ずっとミヤコのスキャンダルを追っている年少の記者である。


「来週結ばれる運びとなった長野・山梨との協定締結についてですが……長野県知事・高原林野氏と都知事の私的な関係が指摘されております」

「……はあ? だーれが指摘してんですか、そんなクソくだんないこと」

「世間です。確か二週間前の土曜日にも、軽井沢にある林野氏の私邸に訪れたとの報道が」

「だからー、誰なの"世間"って。そんでアタシは休みの日に知り合いの家に遊びに行っちゃいけないわけぇ?」

「都知事、公私混同は頂けません! しかも林野氏は二十八歳、おふたりに何かあるとすれば、これは立派な犯罪ですよ!」


ミヤコはいかにもゴシップが好みそうな質問内容に苛立った様子で壁にもたれ掛かり、腕を組んだまま記者を睨み付ける。本日の会見も予想通り、実り少ない時間になりそうなことが予想出来たからであった。今日も、いまをときめく女子高生知事の啖呵切りがはじまりそうだった。

そうして、中継を担当しているカメラマンがミヤコの剣呑な視線をばっちりと捉えて、刹那。


「その世間って奴がどんなロマンスを期待してんのか分かりませんし、その点全くご期待に添えず申し訳ないんだけどー。アタシと彼とは、そう言った関係ではございませんし、今回の協定についても! 彼との間の私的な感情が関与するものではないです。だいたい、あの場には山梨県知事も居ましたよ。人の言葉尻ばっかり追っかけやがってー、アタシのゴシップはそりゃもう大層〜金になるんだろうな〜と察しますけど、こちらは、残念ながら治世のことをお話しさせていただく場所でしてね、そのような質問ばかりされるなら、もう貴方からの質問に答えること自体無くなりますよ」


今日も美しく流れるような発音で、一度も言葉に詰まることなく言い放つ。アズマミヤコは、大層口が回るのだ。語っていることが正義なのか悪なのかはさておき、凄まじい勢いで、しかし決して早口ではないはっきりとした発音で答弁する。言葉をひとつ受け取れば、あっという間に十にして淀みなく返す。その、良くも悪くも頭の回転の速さが浮き彫りになる答弁自体にファンが付いているほどだ。


「ではなぜ、わざわざあちらの二国と同盟を?」


 それでも食い下がる記者にほとほと呆れ返った様子で、ミヤコは再び溜息を吐いた。


「……あのさあ、結んじゃいけない事情って、あります? 県境越える度にパスポート見せて、税金がかかって、面倒にも程がある。山梨は東京の隣国、長野はその隣ですしそれほど距離もない。現に林野さんは新潟や埼玉とも協定を結んでいますから。それとも、きみはこのままバラバラなままで良いと思ってんの? 大変なことになりますよ。先の革命からかなり時間も経って、他国の都市国家はとっくに纏まり初めてるんだから。」


怠そうな声音の奥に確かな闘志を燃やしたミヤコが答えると、例の少女記者は言葉を詰まらせた。

しかし後方の席でひとり、挙手をする記者がいる。紫色の腕章を付けた壮年の記者が、表面上だけの柔らかな笑みを湛えていた。ミヤコは彼をキッと睨み付けると、すこしだけ口端を笑わせてから彼に質問権を渡す。


「ナインズ新聞社の森本です。——知事は、日本の再統一をお望みで?」


その名前と質疑内容を聞いた途端、ミヤコは壁際から前のめりに答弁台へと両手を付く。そして鋭い瞳をそのままに、なんの躊躇いもなく果敢に頷いた。


「はい。東京都知事・アズマミヤコは、日本の再統一を望んでいます!」


あまりに端的で、明快な言葉。一瞬は呆気に取られた記者たちが、三秒どよめいたあと示し合わせたように驚愕の声を上げた。会見の場は混乱に包まれたが、次々と挙がる質問の手を端から端まで指しながら、都はどんな質問にもはっきりとした思想と言葉で答え、彼らを黙らせてゆく。


「ムサシ新聞の杉田です! 都知事が主体となって日本を再統一されるというお考えでしょうか? 東京は再び日本の首都に?」

「いいえ。各国の自治権はそのままに、各都市国家と協定を結んで通行や貿易の自由を実現します。先ほど肯定しましたが、再統一という言葉は強すぎますので、もっと自由で緩いものとお考えいただけると幸いです。東京が日本のリーダーになるということでは御座いません」

「週刊ポリスの後藤です。通行や貿易の自由が実現されて日本という大きな枠組みが再び誕生した場合、それを治める役目が必要と存じますが都知事はいかがお考えでしょうか?」

「実現したあとも、治めるのは各国です。しかし各国が集まる議会を立ち上げ、それを統括する人物は必要ですね。そちらは各国の現職知事以外から見出すべきと考えます。イメージとしてはかつての欧州連合のような。折角、先の世界革命で伝統や血筋、コネなどを排除した実力主義の種が撒かれましたから。同じ轍を踏むような真似は避けるべきかと」

「トリトン・ネットワークの阿部です! 日本のみならず各国の再統一はいわゆるナショナリズムの再興を促すという批判もございますが、都知事はどうお考えですか?」

「集団が枠組みを持てば、その中でナショナリズムめいた結束はどうしても生まれますよ。人間はそういう生き物です。現に各都道府県でも、自分が属する県に間違った誇りを持っている過激派はたくさん居るでしょう。別に持っていても問題はありません、それを武器として他者を攻撃したり、意固地になったりするのがいけない。攻撃するのは満たされていないからです。自分は自分、他人は他人。そう思えるようになるまで頑張るのが私たちの役目ですね」

「都知事、頑張るとは具体的には何を、———」

「……——あ」


質問の途中、ミヤコは左腕の時計をちらと見やって気の抜けた声を漏らした。時刻は二十時五十五分、終業時間間近だ。途端にやる気のなくなったのかあくびを噛み殺して息を吐いたミヤコは、その場でゆっくりと頭を下げて踵を返す。


「あと五分で退庁の時間なので、本日はこれで。きみらもチンタラせず二十一時までに帰ってね」

「都知事! 質問の答えがまだ!」

「満たされるためにどう頑張るかでしたっけ、まあ来週の会見で聞いてください。どうしても待てなければ書面でください、テキトーに送っとくんで」

「ちょっと、都知事!」

「無責任だぞ!」


記者たちの戸惑い交じりの喧騒の中、野太く響いた何処ぞの記者の声。ひときわ粘着質なそれが耳に入ったらしいミヤコは足を止めて振り返り、けれど薄い唇につめたく軽い笑みを浮かべたまま目元を細めた。視線の先の記者は怒りで顔を真っ赤にしながら、都に罵詈雑言を浴びせかけている。


「まあまあ、そんな怒んないでよ。 怒っても何も良いことないよ、ただ疲れるだけじゃないですか。ああ、軽蔑もされるから、むしろかなりマイナスかも。」

「無責任にも程がある! 都知事たるもの、国民のために身を粉にして働くべきではないのか!」


ミヤコはいかにも面白げに乾いた笑い声を漏らし、膝丈より少し上に揺れるスカートのプリーツを閃かせながら手を振る。


「アタシ、基本あんまり頑張らないからね。マニフェストにもちゃんと書いたじゃん、高校生以下は二十一時以降の勤労を禁じるって。んじゃお疲れ様! また来週ね〜」


都知事は、口々に文句を言う彼らに全く構わず去ってゆく。再び主人を無くして空っぽになった答弁台が寂しげに佇む様を数秒見詰めてから、彼女の奔放さを諦めたらしい記者たちは、警備の誘導に従って大人しく席を立ちはじめた。


東京都庁、西新宿に佇む巨大で不気味な建物。そう思われていたのは今は昔の話である。

消化不良そうな顔をした記者たちが次々と乗り込むのはヘリコプターのような形をした空中タクシー、新宿駅東側の繁華街はAR技術を駆使した空中ディスプレイで楽しげな色に溢れ、かつて犯罪の温床だった公園に設えられたアトラクションで遊ぶ人々の声も賑やかしく、楽しげだ。

新宿は数十年前に想像されていた"近未来"よりは随分と現実的で、しかしあの都庁の建築が多少古臭く、化石のように感じてしまうほどには進歩していた。不潔で札束と麻薬ばかりが舞うような新宿を変えたのは、ちょうど一年半ほど前、当時最年少の十五歳で東京都知事となった東都その人である。


アズマミヤコは都知事室の窓を開け放ち、夜風に吹かれては口端を笑わせる。そこからは、彼女が統べる「東京」のすべてが視えた。煌めいていた。つい十数分前に口にした夢も、決して夢では終わらない気がしていた。


これは、巷で噂の女子高生都知事・アズマミヤコが、バラバラになった日本を再統一するまでの、長いようで短い数ヶ月間の物語である。




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