午後2時13分
英国租借地香港 深水埗区
64式の銃声は軽く、発砲の手応えもハイパワーより少なかった。
32ACP弾を頭に喰らった三合会構成員は、呆けた顔をしてそのまま死んでいった。
後悔や罪悪感はとうに消え去り、周の目には覚悟と生き残るという意志が燃えている。
社会的な規範や倫理に則れば、周と李の行為は許されざるものである。
社会から排除され、裁かれるべきだ。
しかし彼ら二人からすれば、それらは社会に居場所があり、集団としての利益を受けながら模範的な生活を送っている人間のみに適用される法であり、元より社会に居場所が無く、人間社会や組織にいながらその利益を享受出来なかった己らには適用はおろか当てはめること自体がナンセンス。
二人揃って生き延びるためには、何者にも牙を剥き、汚い手も使う。そこに法律による善悪など無いのだ。
全ては、ようやく形成された最小の集団を守るため、二人の二人だけのための利益を守るために。
作戦通り、警察への通報を終えた周はジャンパーの裾で受話器やボタンの指紋を拭い、代わりに死体の指紋を付けた。
死屍累々のヤクザ事務所から散々響かせた銃声で騒ぎになっている表を避け、裏路地に出る。
そこを巧みに通り抜けて、ランサーを停めてある地下駐車場へ入っていった。
青白い照明の下。地上の喧騒とは無縁の静寂極まる地下を歩く。
奥の目立たない位置に、ランサーを停めてある。
周は運転席の窓を三回、リズミカルに叩いた。念には念、襲撃者に備えて周と李が決めた符丁である。
ドアの鍵が開く音がした。李が開けたのだ。
運転席に座った周は、助手席で54式を握る李へ「ただいま」と声を掛けた。
「おかえり」
彼女は54式の起こしていた撃鉄を指で押さえながら引き金を引き、暴発を防いだ。
SIGシリーズのようなデコッキング機構や、多くの銃に見られる安全装置も無いトカレフシリーズだからこその行為であり。
銃を熟知し、巧みに扱ってきた彼女だからこそ出来る荒業である。
「どうだった?」
「どうもこうも。……連中も、馬鹿ばかりじゃない。弾倉に弾を込めて、襲撃者に備えてたよ」
周は事務所に押し入った時のことを思い出す。
彼が扉を蹴り開けたのを、呆けた顔で眺めていた三合会構成員達の手には、弾丸と拳銃の弾倉が握られていた。
いくらヤクザ者とはいえ、拳銃を実弾を入れたまま放置しておくほどキチガイでも能無しでもない。
そして警察も、そんなヤクザ連中を見逃すほど無能でも腐ってもいない。
ヤクザとしては「僕達は拳銃なんて持ってませんよ、持ってたとしても弾を込めていつでも暴れる準備はしていませんよ」という建前があるのだ。
警察も「なら、しょっぴく理由はないですね。シノギ? 私は何も見てませんよ」という建前を立てて、相互不可侵条約を結んでいるのだ。
もっとも自身らに火の粉が降りかかりそうになれば、その不可侵条約は簡単に破られるのだが。
周が見た弾込めは、その恰好の例と言えるだろう。
煙草に火を点けながら、彼は続ける。
「現場レベルで、襲撃者の情報が共有され始めたってことだ」
煙草の先を真っ赤に光らせ、口の端から煙を吐く。
「作戦を続けるにも、こっちも工夫を凝らさなきゃいけない」
ここで言葉を区切り、周は李へ目で問いかけた。
銃対銃の戦いは、李の方が一日の長である。
背もたれに体重を預けながら、彼女はしめやかに口を開く。
「相手が銃を装備し、数も向こうが有利な場合に先手を打たれたら、こちらはなす術はないわ」
「確かにな……。機関銃でも持たれてたら、こっちはひとたまりもない」
頭の後ろで腕を組み、周は天井を睨んだ。
「しばらく、様子見しましょ。三合会の連中は、かなりの数捕まったはずだから……周の言ったことが合ってれば、早くても明日には検問が解除されるはずだし」
「だな」
二人はしばらくの間無言だったが、ふと思い出したかのように周が口を開いた。
「そういえば、李」
「なに?」
「お師匠さんからは、こんな時、どうすればいいか教わらなかったのか?」
「こんな時って……『掟』を破った時?」
「そう。もしくは、大人数や強敵を相手取る時」
「まさか。『掟』を破る前提自体が、香港裏社会にとってはあり得ないことだもの。教えるもなにも、発想自体が存在しないの」
「それもそうか……」
納得したとばかりに周が頷き、煙草を咥える。
「……でも」
「でも?」
「大人数や強敵を相手にする時の心得は、教えてもらった」
「どんな?」
周はマッチを擦りながら訊ねる。
「『自分の力を過信せず、計画を立てて、それに従って目標を殺すことに注力する』」
「思ってたより堅実だ」
「奇をてらってギャンブルするより、堅実にやる。世の中の心理じゃない?」
刑事でありながら警察を裏切るというギャンブルを現在進行形にしている周にとっては、とても耳が痛い言葉であった。
一方その頃……。
警察の動向としては周達の作戦通り、警察は偽電話で釣れた三合会の構成員達を逮捕していた。
中には、警官に対して発砲する強者もおり、警察は李もといチンピラ殺しなど忘れ、意識を完全に三合会へ向けている。
また、三合会に詳しくない限り彼らは「掟」を存じておらず、警官の多くは今回の騒動全てが三合会の内部抗争と思い始めていた。
香港中を巻き込まんとしている、大規模な内部抗争だと。
三合会側としては、掟破りが出たこと自体が大事なのに、次々と内部抗争という名目で構成員が組の看板問わず逮捕されている。
一言で表すなら「だったもんじゃない」ということだ。
看板に泥を塗られただけでなく、方々に頭を下げなくてはならなくなる。面子で飯を食っているヤクザ者としては、屈辱以外の何物でもない。
なんとしても李と周を捕まえ、見せしめにしなければならない。だが、現実問題として構成員が大勢捕まり、警察からは睨まれている。
無理矢理動くことは可能でも、それは傷口を広げることに他ならない。
彼らの頼りは、三合会という枠組の外にいる大陸の殺し屋だけであった。
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