午前8時59分

英国租借地香港 観塘区


 サイレンを鳴らしたパトカーが雑居ビルの前に停まり、制服警官が飛び出していく。

 その様子を、少し離れた所に停まった三菱・ランサーEXの車内から見ていた者がいた。周と李である。

 前回と異なり、運転席には李がいる。


「出すよ」

「おう」


 シフトレバーをDへ動かし、ランサーはパトカーの横を通り抜ける。

 二人が乗るランサーは覆面パトカーであり、オフィス内で冷たくなっているボンクラ刑事達が乗ってきたものだ。

 しかし乗り主がボンクラでもパトカーなだけあり、本来オーディオ機器が収まっている場所には高性能な警察無線がある。

 周は咥え煙草でそれを弄り、無線を傍受していた。


『――八人全員の死亡を確認。殺害には、拳銃が使用された模様』

『なお、一名に限って頭部の損傷が激しい。指紋による身元の紹介を――』


 二人はオフィスから逃走する際、刑事連中の身分証や警官だと分かる装備を根こそぎ奪っていた。

 捜査のかく乱と奪った車両の特定を少しでも遅らせるためである。

 ダッシュボードの上に置かれた装備の山を見て、何処に捨てようかと周が考えていると。


「周」


 運転席から話しかけられた。


「ん?」

「大丈夫?」

「何が?」

「……同僚、撃ち殺してさ」

「別に。むしろ、吹っ切れたわ」


 周が口にしたのは、李に気を遣わせまいとする配慮ではなく心からの本音であった。


「これからも警察で働いていくと思えば我慢も出来たが、お前に付き合うって決めたんだ。……だから、気を遣う必要なんてないと思ってさ」


 煙草の灰を落としてから、彼は何処かスッキリした顔で煙を吸い込んだ。

 人を殺めたという罪悪感は僅かにあれど、後悔など微塵もないそんな顔をしている。


「……これで、お互いに後が無くなったな」


 表情に目立ったものはないが、声は笑っているようだった。それらの態度はとても嘘をついているようには見えない。

 李は密かに抱いていた疑念を払拭する。

 自分を置いて何処かに置いてかれてしまうのではないという、そんな疑念を。

 言葉にはせず、ホッと息をついて胸の奥の物を吐き出した。


 同時刻。同区。

 何台ものパトカーが集まる雑居ビルの前には、野次馬が集まっていた。

 制服警官が規制線を引き、野次馬を制している。

 近くの公園から子供の集団までやって来てちょっとしたお祭り騒ぎになる中、野次馬に紛れて大陸一の殺し屋が雑居ビルを眺めていた。

 そして、近くに立っていた同じ様にビルを眺めている初老の男に声を掛ける。


「何があったんです?」

「ん? ああ、なんかそのビルに事務所構えてたヤクザが、何人も撃ち殺されたんだってよ。抗争じゃねぇかって」

「抗争」

「ああ。銃声がしてからちょっとして、若い男女が出てきたらしいから。三合会の鉄砲玉じゃねぇかって」

「……若い男女」


 殺し屋は礼を述べ、他の野次馬や周辺の商店の店員にも声を掛けて聞き込みを行う。

 そして手に入れた情報を整理していく。

 殺されたのは、雑居ビルに事務所を構えていた日本人ヤクザと身元不詳の男達。

 ヤクザは密輸や密売を商売にしていた。

 殺されたのは8時50分前後。

 全員、銃で殺害された。

 事件発生直後、雑居ビルから若い男女が出てきた。

 女はキャップを被っており、男からは煙草の臭いに混ざって火薬っぽい臭いがした。

 それらの情報は、一つの可能性を示す。

 若い男女がヤクザ達を撃ち殺したという可能性を。

 そして、その男女が今自分が追っている掟破りとその協力者であると殺し屋は勘づいていた。

 彼は自分が撃ち、路上に放棄されていたファミリアから辿ってここに来ている。

 ターゲットがこの近辺にいるのはほぼ間違いなく、また今の香港でこのような揉め事を起こす確率が高いのもターゲットの二人だ。

 おおかた密輸業者が持つルートを頼ろうとして、トラブルが起きて、皆殺しにした。

 殺し屋はそこまで考えてから、自身のマークIIに戻る。

 シートに深く座り、身を預けながら深慮する。

 数少ないツテを失った二人が何処へ向かうかを。

 やがて一つの仮説を導き出した殺し屋は、それを実証するべく車を発進させた。

 二人はあまりにも騒ぎ過ぎた。

 車をどこに走らせようとも検問が有り、何処に行こうとも警官や三合会の人間が警戒している。

 なら中心市街から離れた、人気の無い場所に向かうはずだと、殺し屋は考えたのだ。

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