午前7時05分

英国租借地香港 九龍城区


 弾倉への弾込めを終える。

 それぞれ二十個ほど用意された弾倉に全て、弾を入れたのだ。

 周は咥えていた煙草を灰皿に押し付け、口の中に残った煙を吐き出す。

 そしてそれらを、オヤジが用意したボストンバックに詰める。予備の弾箱と一緒に。


「戦争が出来るな……」


 警察でも見たことのない量の弾を前にし、周の口から出たのは冗談のような素直な感想だった。

 李は自分の分の弾倉をバックに詰めながら「向こうが戦争を望めば、そうするしかないわ」と、冷たく言い放った。


「だから、こうして銃を買いに来た。違う?」

「いや違わない」


 周の返事を聞き、表情だけは和らいだ。


「連中にもプライドがあるけど、私達にも意地がある。それを見せつけるしか、生き残る方法はない」


 頷く周だったが、実感が湧かないというのが正直なところだった。

 それは彼が相手にしたのが、昨日の九龍城砦のヤクザだけというのが大きい。つまるところ、三合会の本気を知らないのだ。

 また、警察官として知識として三合会を知っていても、マフィアとしての三合会は知らないのだ。

 連中にとって掟は、親の亡骸や幼き日の思い出よりも重い。

 だからこそ躍起になって守ろうとし、それを悪用しようとする馬鹿も現れるのである。

 首紐を付けたAKSを提げた李は、封筒の札束の半分をオヤジへ差し出した。


「足りないかもしれないけど」

「ツケにしとくよ。オメェらが死んだら、三合会に耳揃えて請求しといてやる」

「連中、払うかしら」

「払わせるさ。なんてったって、俺は商売人だからな」


 オヤジは気風の良い笑みを浮かべ、周と李を見送った。

 入ってきたのと同じ通用口から出て、通りに出る。時間的な括りで言えば、まだ早朝ではあるが街は既に目覚めだしていた。

 軒下のシャッターが開きだす。その脇でタンクトップ姿の出っ腹オヤジがのびをし、老婆がヨボヨボとラジオ体操を始める。

 ラジオからは交通情報が流れ、一日が始まる。

 平和な光景が二人の目の前には広がっているが、その光景もキルゾーンの一部であることに変わりはなかった。


「行こう」


 ジャンパーの内へ隠すよう提げたミニウージー。周はそのグリップを硬く握りしめ、李の後を付いていく。


「連中、来るかな」

「来るわよ。なんならもう――」


 李の言葉が不自然に途切れた瞬間、周は突き飛ばされ、横の商店にあった飲料の冷蔵ケースに背中をぶつけた。

 勢いと衝撃と周の体重も相まってケースは傾き、そのまま周ごと倒れてしまう。


「――――!」


 何をする。そう叫ぼうとするが、声は出せなかった。

 鋭い銃声が辺り一帯に響いたからだ。

 李は周を突き飛ばしてからすぐにAKSを握り、銃声がした方へと撃った。

 最初の銃声とは少し違う、乾いた銃声が連続する。銃声に共に煤けた薬莢がアスファルトの上へ散らばる。

 弾倉の半分ほど撃って、李は商店の柱へ身を隠した。


「敵よ。……それも、私と同業ね」

「……殺し屋?」

「そう。それも、トビキリの奴」


 周の額に冷や汗が浮かぶが、李は相手にとって不足はないと言いたげな顔をしている。

 少し離れた所に立つ大陸一の殺し屋も、今にも高笑いしそうな顔をしていた。

 彼は手にする二次大戦時の骨董品――MP40の弾倉を満タンの物に交換しながら、叫んだ。


「出てきたまえ! 今出てくるなら、慈悲をやるぞ」


 それを聞いた周はなんとなく察したものの、念のためと李に訊ねてみる。


「慈悲って、よもや見逃してくれる訳じゃないよな?」

「まさか。頭に一発、楽に死なせてやるって慈悲よ」

「……下品な言い方だな」


 三合会に捕まれば確実に見せしめに拷問されるのだから、楽に死なせるというのは殺し屋含めた裏の界隈では慈悲の部類に入る。

 だが、あくまでも裏の界隈の論理だ。

 つい昨日までカタギの論理で動いていた周が馴染めないのは当たり前であり、どこか傲慢な論理に愛想を尽かしている李にとっても到底受け入れられるものではない。


「周」

「なんだ?」

「車の場所まで行ける?」

「勿論」

「動かし方は?」

「分からん」

「ハンドルの下にある、緑と赤のコード。それを二・三回擦り合わせて。それでエンジンかかるから」

「……俺が、車を取りに行くと」

「そう。足止めしとくから、迎えに来てね」

「分かったよ」


 返事をした周は周囲をザッと見回し、商店の通用口を見つけた。


「じゃあ、待ってて」


 周は慣れないミニウージーから手を放す。李のAKSと同様にミニウージーにも首紐が付けられているので、手を放しても落とす心配はない。

 ショルダーホルスターからハイパワーを抜き、安全装置を解除した。

 そして、彼は脳内で計算する。

 自分がいる商店から、車がある場所まで直線距離で約百メートル。

 だが、直線には進めない。エンジンをかける作業時間を含め、往復で三から四分。

 敵の意識が自分に向かないとも限らないし、たった数秒銃火を交えただけでトビキリと評する相手に李が倒れるかも分からない。

 しかし、彼に引き返すという選択肢は存在しない。

 彼女を死なすわけにはいかない。

 燃えだす意志をエネルギーにし、周は裏口へと駆け出した。

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