午後7時08分

英国租借地香港 深水埗区


 切れかかった蛍光灯が照らす机の上には、酒の缶とつまみの缶詰がいくつも置かれていた。

 お互いに自分の生い立ちから、今まで何があったかを洗いざらい話終わった。

 周は今日、二十八本目の煙草を灰皿へ押し付け、李は空になったアルミ缶を握り潰す。


「そんなことがね……」


 周は感慨深げに呟いて、ぬるくなったビールを一口やった。

 本日二十九本目の煙草に火を点けながら、彼は李へ質問をした。


「これから、どうするだ?」


 酒から水に飲み物を切り替えた李は少し考えてから、硬い声で答える。


「香港を出て、日本に行く」


 煙を吐きながら、周は彼女をジッと見た。

 彼女が日本に行く理由も、それに対する強い思いも理解している。同時に彼女が置かれている状況の苦しさも理解していた。


「行けると、本気で思ってるのか?」


 三合会は既に彼女をターゲットとして定めている。そして警察も、個人こそ特定していないが李を追っている。

 その包囲網は次第に狭まってくるだろう。

 当然ながら、警察や三合会は既に空港や中国本土への陸路に網を張っているはずだ。偽造パスポートを使ったところで、顔が割れている以上捕まるのは目に見えている。

 整形手術などで顔を変えようとも、表の病院を使えば警察に裏の病院を使えば三合会に足が付く。

 八方塞がり。

 周の脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だ。

 そんな彼の言葉に対し、李は毅然と言い放った。


「絶対に、日本に行くの」


 真正面からの毅然とした言葉に、周は何も言えなくなってしまう。


「例え、香港中の三合会や警官を皆殺しにしても、私は行くわ」


 更に続く正気を疑う発言。もはや笑うしかなく、漏れるような笑い声が周の口から出る。


「拳銃だけで? 警察の特殊部隊はマシンガン持ってるし、それはマフィア連中も同じじゃないのか?」

「だから、武器がいる。拳銃じゃない、強力な武器が」

「強力な武器ね……闇武器屋か。それこそ、三合会の連中と通じてるんじゃ」

「並の闇武器屋だったらそうだけど、一つ、賭ける価値がある闇武器屋があるの」


 追い詰められている人間だけが手を出す危険な賭けだ。

 オッズは、常人であれば乗ることすらしない倍率である。大穴狙いも大概にすべきほどの。


「明日の朝、そこに行ってみる。幸いなことに、お金はあるし」


 李の言葉を聞きながら、周は迷った。

 止めるべきか否か。

 しかし、止めたところで彼女は止まらない。それはこれまでの発言と眼の光を見れば、なによりも明らかなことだ。

 なら自分はどうすべきか。周は考えた。

 いくら人以上に強いとはいえ、李一人を敵だらけの外へ放り出すのか。二十五年の人生で初めて会えた自分と同じ目をした人間を、むざむざ殺させるのか。

 ここまで思考し、考えるまでもないと彼は決断を下した。


「俺もついて行く」


 この言葉は彼の警察官としての正義感が言わせたのではなく、彼の人を想う気持ちが言わせたのだ。

 自分勝手な想いだが、李にとってはどうでもいいことだった。

 とうの彼女は周の言葉に少し驚いたが、断る理由など無かった。

 純粋に嬉しくもあり戦力が一人分増え、期待は出来ないが予算も増えるからだ。


「俺もマフィアに顔を見られてる。身を守る武器ぐらい、持ったってバチは当たらん。それにもう、犯人隠匿罪をやらかしてるし、警察には義理はない」


 取ってつけたような言い訳をする姿に、李は周を可愛いと思った。

 言い訳なんてしなくとも、どんなことがあろうとも、同じ目をした貴方を拒否したりはしない。

 そんな口には出来ないむず痒い感情を、彼女は水のボトルを傾けることで隠す。


「じゃあ朝一番、二人でここを出て闇武器屋がある馬頭囲に向かう。それでいい?」

「勿論だ」


 煙草の灰を灰皿に落としながら、周は頷いた。

 こうして話がまとまった二人は明日に備え、夜もまだ宵の口ながら寝ることにした。

 無論、他にも話すべきことや憂慮するべきことは山ほどある。

 しかし、考えたところで今の二人にはどうすることも出来ない。ただ時間が過ぎるのを待つしかなく、ならばその過ぎ行く時間を身体を休めることに使うべきだと。

 言葉にせずとも、二人とも本能でそれを察していた。

 寝る準備を整え、後はもう布団を被るだけという段になって、周は李に客人待遇として布団で寝ることを勧めた。

 だが、李は逆に部屋の主として周へ布団で寝ることを勧めた。

 お互いを想っての譲り合いであるが、こうなってしまえば何の実りも得ない平行線上の話し合いにしかならない。

 結局、周が布団で寝て、李は掛け布団を床に敷いて寝ることで決着が着く。

 傍から見ればくだらない譲り合いであったが、当の本人達としてはそれを通し、お互いが似た者同士であること改めて自覚させられた。

 暗い部屋の中、目を瞑った周と李は互いに出会えた幸福を噛みしめながら眠りに落ちていった。

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