食卓で告白を
野守
第1話
テーブルの上は楽園になっていた。
「唐揚げよし、エビフライよし、カプレーゼよし」
所狭しと並んだご馳走の数々を、母が律義に指差し確認している。
「あら、シーザーサラダは?」
「はいはい、今持ってくとこ」
私がずっしりとしたサラダボウルをキッチンから運ぶ。置き場所がないので一度テーブルの端に置き、先に並んだ料理をパズルみたいに配置し直してから、苦労してシーザーさんを仲間にねじ込んだ。こういう幸せな苦労は嫌いじゃない。
「うわ、すごいな」
ちょうど良いタイミングで父と兄が帰ってくる。特別な今日のために、酒とジュースを買い出しに行っていたのだ。
「冷蔵庫にケーキもあるからね」
エプロンを外す母の目を盗んで、私たち三人は工作員のごとく「例のブツ」を用意する。廊下の隅に隠しておいたのだ。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
振り向いた母の目の前に、豪華なリボンのついた花束を差し出した。
「栄転おめでとう!」
口元を抑えて泣きそうになる母。サプライズ成功だ。
「隠しておくの、大変だったんだからね」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
涙ぐみながら言う。
「実は私も、みんなに渡したいものがあるの」
「え、なになに!」
「ご飯の後にしましょう。冷めちゃうから」
何かな、気になるな、なんて言いながら席に着いた。さあ、パーティーの始まりだ。
我が家の母は、某大学付属の研究所に勤める研究者だった。私にはよく分からないが、それは宇宙に関する研究で、他の惑星由来の物質を解析してどうとかこうとか。そもそも研究内容は部外秘が多いから、家族にも話せないことが多々あるのだろう。
そんな母の所属していたチームは、長らく大きな功績が出せていなかった。研究には人手も時間もかかるけれど、成果が出せなければ、そういうものは端から削られてゆく。そしてまた成果が出しづらくなって、また何か削られて、そんな悪循環の繰り返し。それでも「いつか芽が出る」と信じた人々が残った、いわば夢追い人の集まりだったようだ。
「いつもごめんね」
家族に謝りながらも、結局は研究第一で仕事に入り浸る母に反感を持った時期もあった。収入も家事も父任せなのは事実だったから。でも誰より頑張っている姿は私にだって分かっていたから、次第に応援できるようになっていった。そしてようやく、信じていた芽が出る時がやって来たのだ。
「研究チームごと、国立機関に招致なんてなぁ。ようやく報われる時が来たのか」
父が感慨深そうに言って、てんぷらを頬張った。カボチャのてんぷらは父の好物だ。
今日は母のお祝いなのだから、本当は料理も私たちが作るつもりだった。でも本人がどうしても自分で作りたいというので、私は手伝い役にとどまることになった。母なりの、家族への感謝なのだろう。
「お父さんも、皆にも、本当に協力してもらったわ。ありがとう」
「一番頑張ったのはお母さんだろう」
ドラマみたいだな、なんて他人事みたいに思ってしまうワンシーン。私ってちょっと冷めているのだろうか。
兄もてんぷらを半分食いちぎって言う。
「このカボチャ、いつものアレ?」
普通のカボチャよりちょっと赤みの強い、我が家の食卓ではおなじみの色だった。「そう、いつもの上司に頂いたの」
「私たちって、アレに育てられたようなものかもね」
あははは、と全員で笑う。
先ほども言ったが、研究の世界はシビアなものだ。予算が削られれば給料も減る。労働時間にはとても見合わない程度の収入しか、母には入ってこなかった。そして上司もそれを気にはしていたようで、よくおすそ分けの野菜をくれた。かなりたくさん。
「今日も上司がくれたのよ。いつもすまんなぁって」
そんな日は母が自分で料理をしてくれるので、幼いころの私には楽しみな日だった。スーパーで売っている物よりちょっと赤いカボチャ、ずんぐりしたキュウリ、斑点のあるトマト、でこぼこのイチゴ。家庭菜園で採れた無農薬だという。
「変な形!」
「お店に出回るような綺麗な見た目じゃないけど、素朴で美味しいでしょ?」
たまに名前の分からないものもあった。
「これは?」
「何て言ったかしら、外国由来の野菜なんですって。味の感想聞かせてねって言ってたわ」
実際、かなり食費が助けられていたはずだ。それ以上に「これを家族みんなで食べなさい」、つまりは家族の時間を持ちなさいという、上司の遠回しな配慮だったのだろうと今では思っている。
私が四個目の唐揚げをかじっていたら、母が唐突にこちらを見て言った。
「そうそう、次はあなたのお祝いもしなきゃ」
「まだ本選もこれからなのに」
「何言ってるのよ。世界に羽ばたく晴れ舞台よ!」
音大に通う私だが、今度ベルギーで開催されるピアノの国際大会に出場することになった。ダメもとで応募したところ、予備審査を通過したらしい。
「壮行会は大事なのよ。お兄ちゃんの時だってやったじゃない」
「ああ、あれなぁ」
兄が苦笑いする。
兄は高校生の時、国際数学オリンピックとかいう大会に出場していた。今は海外の大学院に留学していて、休暇で帰省したタイミングである。
「ありがたいんだけどさ。まだ何も成果が出てないときに騒がれると、だいぶプレッシャーなんだよな」
「そうそれ!」
その発言に私は飛びつく。
「全部終わってから、お疲れ様会やってくれる方が良いなぁ。なんてね」
「そう?」
良かった。残念そうな顔をしながらも、ここは引き下がってくれそうだ。
酒が回ってきた父が言う。
「二人ともすごいなぁ。どうしてこんな鷹が生まれたんだか」
「あら。半分はお父さんの血で出来てるのよ」
熟年ノロケ夫婦め。
「私から見ると、お兄ちゃんは鷹っていうより宇宙人に見えるけどね」
「おい」
「頭の中が謎すぎる」
兄が書き連ねる数式は、私には到底理解不能である。
「どっかの惑星と交信してるんじゃないかって思うわ」
「なら言うけどな、俺にはお前の方が謎だ。その脳のどっから曲が湧いてくるんだよ」
私が時々、自分で作曲して弾いていることは中学ぐらいのときにバレた。別に良いけど。
「思いついちゃうんだから仕方ないでしょ」
「お前もどっかの惑星から受信してんじゃねぇの」
「うっさいわ!」
同じ血を引いていても、同じ家庭で育っていても、人は同じようにはならない。人体に仕込まれた秘密は奥が深いものだ。
子供の頃に父が語っていたが、母は幸運の女神なのだという。
「お父さんは、ごくごく平凡な人間なんだよ。普通の学校に行って、親の仕事を継いで、そこそこの仕事をする。一生そうだと思っていた」
「今は違うの?」
「お母さんと結婚してからかな。『家族のために頑張るぞ』って気合が入ったせいか、どんどん仕事が上手くいくようになった。新しいアイデアをたくさん思いつくようになったし、その作業も驚くほど効率よくできるようになった。お母さんの手料理を食べると、よく頭が回るのが自分でも分かるんだ」
この通り、ノロケ夫婦なのは昔から。それが珍しいことだと気づいたのは、小学校の高学年くらいになってからだった。こんな夫婦だから支え合ってこられたのだろう。
「そういえば、お母さんに告白したのも食卓だったなぁ」
「そうね。お父さんが独身時代に住んでいた小さなアパートの、折り畳み式のちっちゃなテーブルで。一人用のスペースしかないのに、無理やり二人分の料理を載せて食べたのよ」
「お母さんが作ってくれたカレーだったな。その後、勢いで告白しちゃったんだ」
「びっくりしちゃった。私としては、もう付き合ってるつもりでいたから」
まだ目の前で展開する甘い夫婦愛を見つつ、私と兄は極甘のケーキを食べる。
「外国の夫婦って、こんな感じ?」
「まあ、な」
むしゃむしゃむしゃ。やっぱりケーキはおいしい。
「告白と言えばさ、お兄ちゃんが数学ナントカに出るって言い出したのも食事時だったよね」
「数学オリンピック、な。お前が勝手に俺のノート引っ張り出して、『お兄ちゃんが頭おかしくなった』とか騒ぎ立てるもんだから」
「悪うござんした」
謎文字書いてるようにしか見えなかったのだ。
「お前が音大行きたいって言ったのも、この食卓だったな」
「私が作曲してるって、お兄ちゃんがチクチク言ってくるから。もしかして、数学ナントカの時の仕返し?」
「数学オリンピック、な」
食卓というのは、秘密を告白する定位置なのかもしれない。これからの私は、兄は、両親は、どれだけの秘密を白状してゆくのだろう。急にそんなことを考えた。
久しぶりのホールケーキは、四人で食べるとあっという間だった。
「ああ美味しかった」
「満足、満足」
みんなで膨れた腹を抱えて、食後のお茶を飲んでいる時だった。
「あのね。実はみんなに、渡したいものがあるの」
母が真面目な顔をして言い出した。
「そういえば、最初に言ってたね」
さて、どんなプレゼントだろうか。
母はおもむろに立ち上がると、仕事用のバッグからA4サイズの封筒を人数分取り出した。なんか、思ってたのと違う。
「開けてみて」
出てきたのは数枚の紙の束。その一番上には。
「同意書?」
「先に渡しても良かったんだけれど、お祝い気分が冷めてしまいそうだったから。大事な話よ」
真剣な顔で家族を見る。
「実はね。今まで皆に食べてもらってた野菜、あれは宇宙由来の植物なの」
誰も、何も言えない。
「これは極秘事項なのだけれど、数十年前に飛来した隕石に、植物の種子と思われるものがたくさん混じっていたのよ。私たちの研究テーマは、その種子を発芽させることだった。多くの人が『ただの石ころだ』とか『砂の粒だ』とか言って、随分と妄想扱いもされたわ」
「あ、あのさ」
「それでも信じ続けた結果、本当に芽は出たのよ! そうして実がなるところまで行ったのだけれど、それを実食する被験者が不足していた。堂々と報告してモニターを募集すれば、研究自体を大学に奪われてしまうところだったから」
急に体が熱くなってきた。じっとりと、変な汗が背中を伝う。
「だからね、研究員の各家庭で食べて、体への影響と経年変化を確かめることになったのよ。あなたたちの身体測定や健康診断、偏差値、スポーツテスト、たくさん分析させてもらったわ。こうして素晴らしい才能が開花すると証明されたおかげで、ついに私たちの研究が国に認められたの。みんなが協力してくれたおかげよ。本当にありがとう!」
にこっと、母が笑った。優しくて朗らかな笑みだった。
「ついては、正式に研究モニターとしてデータ提供するという、同意書をもらいたいのよ。お願いできる?」
しばしの重い沈黙のあと、兄が言った。
「ねえ、母さん」
「なあに?」
「これって、ドーピングに当たると思う?」
食卓で告白を 野守 @nomorino
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