第4話 呪い

そして数ヶ月が経過し、修学旅行の時期になった。

俺の学校では飛行機に乗って北海道に行くことになっている。

そして月曜日の1限、ロングホームルームの時間に班決めをすることになった。

俺は憂鬱だった。

別にあぶれるからじゃない。班は裕希と葵と組むことになっていたからだ。

だが…飛行機か…

それじゃあ無理だな…

当日は仮病しようか…

そんな諦念に苛まれながら、俺は班決めの時間を過ごした。


放課後、いつも通りポラリスをやっていると葵が話しかけてきた。

「東雲君」

「どうした?」

「今日ずっと浮かない顔してたけど、どうしたの?」

「そんな顔してたか?」

「してたよ、いつもニコニコしてるのに今日はずっと表情が暗いし」

「それに飛行機の話になった時一瞬怯えた顔してた…大丈夫?」

「大丈夫ではないね」

「何かあったの?」

「それ聞く?」

「うん、聞く」

葵は真剣な顔でそう答えた。

…まぁ、少し昔話をするのも悪くないか。

「…つまらない上に長くなるけどいいか?」

「うん、もちろん。聞かせて。」

そうして俺は話し始めた。

隠し続けた過去を。

あの日見た地獄を。


俺には幼馴染がいた。

名前は咲。小山咲。

お互い家が隣で、小さい頃から家族ぐるみの付き合いだった。

咲は優しくて頼りになる奴って感じで、そんな咲の口癖は「大丈夫」だった。

咲は小さい頃からとにかくこの口癖を多用していた。

「テスト不安?大丈夫だよ」

「明日の体育プールで嫌?大丈夫だって」

「修学旅行までに風邪治るか心配?大丈夫だから」

咲は数え切れないほど大丈夫と言った。

そして俺も、その「大丈夫」に数え切れないほど救われた。

一見無責任に聞こえるこの「大丈夫」が、俺の精神安定剤で、お守りだった。

何にも代え難い、宝物だった。



2年前の夏、7月28日。

その日、俺と咲は2人きりで飛行機に搭乗していた。

俺が旅行に誘ったんだ。

一泊二日だったけど、何故か許可が下りた。

今思えば、泊まる旅館が咲の両親の知り合いが経営していたからだろう。

俺は緊張しながら咲を誘ったが、笑顔で快諾してくれた。

俺は咲と旅行できるのが嬉しくて、ウキウキで大嫌いなはずの荷造りをした。


あっという間に旅行当日はやってきて、俺たちは2人で朝早くに空港に向かった。


「1人で飛行機乗ったことないから緊張しちゃうなぁ」 

「ほんとだな、俺も1人は初めて」

俺たち2人の席は機体右側の窓側席と中間席の隣合わせで、咲が窓側席、俺が中間席に座った。

離陸前、管制塔から離陸許可が下りるまでの時間、2人の会話に花が咲いた。

「それにしても夏休みの課題多くない!?特に英語!!あれ私たちに終わらせる気無いよね!?」

「あの量は参っちゃうよな…あの半分くらいが妥当だろ」

「龍起勉強得意でしょー、宿題手伝ってよー」

「手伝いはしないけど…今度一緒にやるか」

「うん!!」

咲はそう言って眩しいほどの笑顔を見せてくれた。

あぁ…やっぱりこいつといると楽しいな。

そう思いながら、俺は考えを巡らせていた。

万一の時は、俺が咲を守ってやらなきゃいけないんだ。

他の誰でもない、この俺が。


そして飛行機は離陸した。

俺は離陸する時のあの浮遊感が大好きなのだが、離陸する時、咲は怖いのかなんなのか珍しく少し縮んでいた。

そして、俺の左手をそっと握ってきた。

俺は一瞬わけが分からなくて、頭がとんでもなく混乱した。

心臓がうるさいくらいに高鳴った。

咲が今…俺の手を握ってる。

それは15歳の少年を動揺させるのに十分すぎた。

いや、そりゃ幼馴染だから幼少の頃に手繋いだりはしただろうけど、少なくとも小学生以降はそんな記憶はない。

俺は心拍数がすごいことになっていたが、手については触れてはいけない気がして、そのまま飛行機が巡航高度に達するまで手を握らせようと思った。

しかし、飛行機が巡航高度に達することはなかった。

そして飛行機が着陸することもまた、なかった。


全ての始まりは、離陸して約15分後だった。

俺は朝早起きして少し眠かったので、少し寝ようと目を瞑っていると、突然衝撃とともにドカンと爆発音が起こった。

俺は驚いて起きて窓から外を見ると、なんと左エンジンから炎と煙が上がっていた。

「おい!エンジンから火が出てるぞ!」

それを聞いてパニックになる乗客たち。

「嘘だろ!?落ちないよな!?」

「死にたくねぇ…死にたくねぇよぉ…」

「神様神様神様神様神様神様神様神様…」

機内は一瞬で半狂乱になった。

パニックで発狂する者、家族や恋人を抱きしめる者、遺書を書く者…

「みなさん落ち着いて下さい!大丈夫ですから!」

「頭を低くして衝撃に備えて下さい!」

客室乗務員が必死に呼びかけている。

自分も怖いだろうにそんな声かけができるなんてすげぇなぁと、俺は土壇場で妙に冷静になっていた。

咲は小さく震えていた。

俺は手をぎゅっと握ることしかできなかった。


そして奮闘虚しく、その時はやって来た。

凄まじい轟音と共に、機体に衝撃が走る。

俺はところどころ肉が抉れて、左腕

「ああぁぁぁぁぁ!!!咲ぃぃぃぃ!!!」

胴体が半ば泣き別れになってパーカーが真っ赤に染まってる…それに左腕が千切れかけて骨がはっきり見えてる…

ダメだ…この出血は…助からない…

一目でそう悟った。

嫌だ…嫌だよ…なんでこんな…

「咲…だっ…大丈夫だ…すぐ病院に連れて行ってやるから…」

俺は涙で顔をくちゃくちゃにしながら震える声でそう言うのがやっとだった。

できるはずもないくせに。

「りゅう…き…」

「!?」

「だい…じょうぶ…だから…なかないで」

消え入りそうな声で確かにそう言って咲は微笑んだ。

「喋らなくていい!喋らなくていいから!!」

俺は着ていたTシャツを脱ぎ、咲の腰にくくり付けて

「喋らなくていいからゆっくり息をするんだ!!」

と叫んだ。

すると

「りゅうき」

「いきて」

「私はもう…手遅れ」

「でも大丈夫…だから」

「一緒にいてくれて…ありがとう」

「だいじょうぶ…だから…ねっ…」

そう言って…咲の体から力が抜けた。

「咲?咲?咲!咲!!嫌だよ!置いて行かないでくれよ!!」

そうして咲は死んだ。

この世でたった1人の俺の理解者が。目の前で。

致命的な外傷を受けていたのに、苦悶の表情を見せることもなく、最後の最後まで俺を気遣って…


その瞬間、俺の中で、彼女の「大丈夫」は「お守り」から「呪い」に変わった。

死ぬまでずっと、この光景が…この世で1番大切な人が目の前で死ぬ光景が脳裏に焼き付いて離れない、そんな呪いに。


そうして咲が動かなくなった後も、俺は冷たくなった咲を抱きしめて泣き続けた。

ただ泣くことしかできなかった。

俺自身も出血でフラフラしながら、辺りに漂う死臭に時々嘔吐しながら。

木っ端微塵になった機体からは炎が上がり、辺りは亡くなった乗客の遺体が転がり、そこはまさに死屍累々だった。

もし地獄というものがあるなら、これよりは酷くないだろうとも思った。

そうして限界を迎え、俺もいつしか意識を失った。

俺の傷も笑えないものだったらしく、俺はその後1週間ほど生死の境を彷徨った。

俺が目を覚ましたのは、墜落から8日経った時だった。


面会ができるようになると、すぐに裕希が見舞いに来てくれた。

そして、あの墜落事故の生還者は俺たった1人だと知らされた。

俺は泣いた。

だっておかしいだろう。死ぬ順番が違うだろうが。

「なんで…あんな出来た奴が…俺が……俺が死ねばよかったんだ…」

その時突然裕希が

「ふざけんなよバカ野郎!!」

「咲はそんなこと望むと思うのか!?咲がお前に望むのはお前が前に進むことだろうが!!拾った命を、咲の分まで必死に生きることだろうが!!」

と怒鳴った。いつもおちゃらけてる裕希と裏腹に今の裕希の顔は怒りに染まっていた。

「二度とそんなこと言うんじゃねぇ!!次言ったら病人だろうが容赦しない」

「…本当にごめん。言い過ぎた」

「や…その通りだと…思う」

「返す言葉も…無いわ」

もう泣く元気もなかった。

そこから俺が生きてるのが奇跡だと言われたが、残念なことになんの慰めにもならなかった。

そして裕希は帰って行った。


そしてそれから咲の葬式があった。

俺は体に鞭打って式に出た。

式では不思議と泣けなかった。

葬式が終わった後、俺は式場の玄関で咲の両親の前で全力で土下座をして言った。

「咲のお父さんお母さん、この度はとんでもないことをしでかしまして、誠に申し訳ございません。」

「…咲が死んだのは、全て俺のせいです。」

「龍起君、やめてくれ。君のせいじゃない。」

「いいえ、俺のせいです。俺が旅行なんて言い出さなければ彼女は死ぬことはありませんでしたから」 

「かような取り返しのつかないことになりまして、誠に…誠に申し訳ございません…償う手段もございません」

そこまで言うと、咲のお母さんに抱きしめられた。

「龍起君、咲はきっとそんなこと思ってない。だから自分を責めないで欲しい。」

「君は何も悪くないよ。君は何も悪くないよ。」

俺は我慢できなくて、その場で声をあげて泣いた。

咲のお母さんもお父さんも、俺の両親も泣いた。













そこまで話し終えると既に涙が溢れていた。

葵は

「ほら」

「涙拭きなよ」

「ありがと…」

「東雲君のそのキーホルダーってもしかして」

「あぁ…そうだよ」

筆箱に付けたこの向日葵のキーホルダーは、咲が死んでから買ったものだ。

「なんからしくないなと思ったんだ。でも…その花言葉なら納得だね」

そう、向日葵の花言葉は…

「あなただけを見つめる」

「うん…」

「もう2年経つのにさ…何も進んでないんだ、俺」

「結局俺は、泣くことしかできない弱い人間なんだ。咲が目の前で死んでも…変われなかった」

「私はきっと軽い言葉をかけるべきじゃないんだろうけどさ」

「それだけ大切だったんでしょ?咲さんのことが」

「うん…でも俺は咲を助けられなかった。それに」

「気持ちを伝えられなくても」

葵が遮る。

「直接言えなくてもさ、最期のやりとりやそのキーホルダーで…十分想いは伝わってるんじゃないかな」

「…そうだといいな」


「だから当日は仮病して休もうと思ってた。正直飛行機は怖くて無理」

「そっか…ありがとうね東雲君。きっと話しづらいことだったと思う」

「いや、いいんだ…俺が話したかっただけで」

不思議だ。

咲のことは、気安く誰かに話したくはなかったんだけど。

何故か、葵には話す気になった。

それは彼女の不思議な包容力のせいなのか俺の気まぐれなのかは分からないが、かくして葵は咲の存在を知る唯一の友達になった。


「葵」

「どうしたの?」

「俺さ、医者になるよ。神禄の医学部を目指そうと思う」

「死にゆく咲を前にして何もできなかったのが悔しくてたまらなくてさ」

「そっか」

「すごくいいと思う!応援するよ!」

「ありがとう」

「あと…修学旅行、頑張って行ってみようと思う。裕希と葵の隣の席なら大丈夫だと思う」

「本当?無理しちゃダメだよ?」

「うん、俺もたまには頑張らないと、咲が心配する」

「そっか…分かったよ」


そして迎えた修学旅行当日。

「龍起、大丈夫そう?」

「うん…思ってたよりずっと」

「なんかあったらすぐに言ってね?」

「ありがとうな2人とも」

離陸前。久しい感覚。

正直怖くてたまらないが、2人がいると思うと少しだけ安心できた。


そして飛行機は離陸した。

俺は目を閉じて狸寝入りを決め込んでいたが、2人にはバレバレだっただろう。

でもいつもおちゃらけてる裕希も、何も言わなかった。

こいつ、こういうところ好きなんだよなぁ…


3時間のフライトが無事終わり、飛行機は北海道に着陸。

その後も修学旅行を存分に楽しんで終わることができた。

再び東京に帰ってきた時、俺は2人に言った。

「葵、ありがとう。あの時話聞いてくれて。裕希も飛行機隣の席にしてくれてありがとうな。おかげで修学旅行楽しめたわ。」

「いいってことよ!」

「楽しめたならよかったよ」

そう言って笑う2人を見て、本当に俺にはもったいない友達だと、そう思った。

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