トラスカラ人が我が物顔で街をうろついている。


 侵入者たち。


 閉ざされた戸の向こうからは荒々しく、耳障りな言語ことばが聞こえてくる。ほうぼうで略奪が行われているんだとか。特に神殿区テオパンの方はひどいらしい。

 噂には、くろがねの鎧をまとった奇妙な一団が彼らを連れてきたという。トラトアニはそれを明星の神ケツァルコアトルの使いだと言い張っているそうだが、そんなの誰も信じやしない。

 国庫ペトラカルコの中身も尽きようとしていた。市場ティアンキストリも物寂しくなって久しい。みないえに籠って息を潜めている。まるで洞穴暮らしチチメカの時代に逆戻りしたようだ。


「わたしたちは今、滅びようとしているんだね」

 幼い少女の声が聞こえたような気がした。


 そんなわけがない。

 だって、だって。

 このテノチティトランの栄華が見えないのか。

 剣呑な空気を尻目にして、貢納は毎日のように運ばれてくる。今日はトラルコサウティトランから数十クァチトリ白粉テコサウィトルが。この前はクァウナワックから数百クァチトリもの樹皮紙が。そして絶えず各地から数千クァチトリもの玉蜀黍が。

 わたしたちの国はあまりに大きい。いくら蟻が群がろうと崩れるわけがない。トラスカラ人も、ひとしきり満足したら帰っていくだろう。そう考えれば施しをするようなものじゃないか。

 色んな言い訳を浮かべながら。物でも憑いたかのようにかぶりを振る。


 そんなわけがない。

 そうだろう、そうであってくれ。


 トチトリの娘が学校イチポチカリに行く支度をしている。母親に手伝ってもらいながら、畳んだ上着ウィピルを背嚢に入れようと苦心していた。皺がついたりしてはいけないから。慎重に。慎重に。

 見れば、ずいぶんと幸せそうな表情をしている。まるで楽園タモアンチャンの住人にでもなったかのようだ。

 また数ヶ月を向こうで過ごすらしい。

「友達に会えるから」と言っていた。それはどんな子なんだい? 聞き出す前に、彼女は顔を真っ赤にして黙りこくってしまった。母親から「向こうで羽目を外すんじゃないよ。お前みたいに食い意地が張っているのは恥ずかしいことなんだからね」と釘を刺されたのだ。可愛そうに。わざわざそんな言い方をすることもなかったろう。


 わたしたちは子供を常に空腹にさせて、それを躾とする。

 暴食は悪徳だ。身を滅ぼし、国を滅ぼすもとである。だから、そのような振る舞いを覚えさせてはならない、とされる。わたしたちは幼少期を飢えと共に過ごすのだ。指を咥え、胃をころころと鳴らしながら。


 だが、ここ数日はトチトリの娘も満ち足りたふうに過ごしている。ただ友達に会えるのを支えにしている、というわけでもなさそうだ。

 ずっと静かに微笑みを浮かべていた。ときおり小さく歌を口ずさんでは、愛おしそうに繰り返す。夜になると、焦がれるように星空を見つめるのだ。

 それを見るたびに彼女が透き通っていくように感じられて。秘薬を飲んだ神官トラマカスキのような、恍惚の表情と言えばいいのか。

 ことあるごとにふらついて、食事もしきりに残すようになった。肌もずいぶん白くなって。

 このまま夜に溶けて、いなくなってしまうんじゃないか。


 そんな気さえした。

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