かげかたち

藤田桜

 


 学舎イチポチカリを抜け出して、アカトルで編まれた道を駆ける。北地区クエポパンの夜は静かだった。水路には無人の舟が繋がれて、微かに揺れながら櫂を休めている。

 湖上に浮かぶ睡蓮のような王都テノチティトランの端に、わたしが密かに通う場所はある。

 家々を通り過ぎ、幾つもの角を曲がり。ふっと視界が開けたとき。いちめんに星を散りばめた濃紫の景色が現れる。夜空が広大なメストリアパンの水面に映し出されているのだ。乾坤のすべてが宇宙に包まれているみたいだった。真昼のように眩しくって。


 わたしの影がくっきりと浮かび上がる。


 まるで形だけが世界に取り残されたみたいだった。


「また来てくれたんだね」

 少女の声がした。

 湖面を見ると、わたしにそっくりな女の子が喜色を湛えてこちらを見つめている。わたしが手を振ると、彼女も振り返してくれた。そのタイミングが全く一緒だったものだから、おかしくなって笑ってしまう。


「今日は新しい歌を教えてくれるんでしょう?」

 歩み寄る。わたしたちの距離は縮む。

「うん。きっとあなたも気に入ると思う」

 指先が触れる。それを、絡めて。唇が重なりそうになったとき、おでこがぶつかった。そこでやっと、わたしたちは体を落ち着ける。

「てのひらに。とまる小鳥はショチトルのよう。そっと握って。くすぐって──」

 戯れの歌だ。少女は俯きがちに諳んじる。透き通るような声の震えが、口うつしのように伝わってきた。甘やかなメロディに身をまかせながら、

「ほら」

 よた、よたと踊り始める。手を取り合いながら、次第にくるくると回るように。舗装のうえで素足がぺたぺたと音を立てた。スカートクェイトルの裾がひるがえる。視界が流れていく。流れていく世界はわたしたちの円舞をかたどるように球形をなしていた。北極星さえ、尾を引くほうき星のように見える。


 わたしたちはいつまでも踊りつづけた。

 少女の歌声を聞くうちに、やがてわたしの口からも音楽が溢れ出す。声まで双子のように似合っていた。喉の奥からくすぐったいものが湧き上がってくる。

 楽しくって。嬉しくって。笑っているのか泣いているのか自分でも分からないほどに声が震えた。

 陶酔。

 恍惚。

 わたしたちは音楽クィカトルの魔力によってお互いの心臓に触れ合う。沸き立つような血の熱さ。汗がぽたぽたと垂れてくる。なのにエエカトルアトルのように涼しくて。

 わたしたちは歌に合わせて踊りつづけた。

 回って、跳ねて、体を弓なりに反らして。ステップを刻む。耐えきれなくなってまた笑みクエポニをこぼす。ある時は高い音と低い音に分かれてハーモニーをつくる。ある時はぴったり重なるようにユニゾンをする。ある時は追いかけっこをするように……



 ……

 幾万もの星が少女を見つめている。

 四百の雲の蛇が、ターコイズの主が、煙る鏡が、黒曜石の蝶が、七つの穂が、翼ある蛇が、犬神が、五つの花が、玉蜀黍の若き穂が、無数の兎が、黎明の館の主が、あらゆる星が紫の濃淡で描かれた海に浮かびながら彼女たちを照らしていた。

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