第10話 決戦、黒明姫

「ふふ、人の心とはなかなかに強いもので、かなわないとは分かっていてもそれが大事な人のためとなれば思いもよらない力が出るものなのよね」


 私の目の前で『今週のテール妖怪』を説明する決まり文句が繰り広げられる。

 黒明姫くろあけひめ恒例の演出だが、今目の前にいるのは手下のテール妖怪ではない。


「わが身の可愛さに人の不幸を求めるこの世の中でそれはなんととうといことでしょう」


 黒明姫の表情はなんとも無邪気で……いや、その正反対、なんとも邪気をはらんだ笑みだった。


「けれども残念、今宵登場するのは最恐最悪にして人の願いを絶望に塗り替える妖狐、黒明姫くろあけひめ、皆さまどうぞお楽しみを」


 そして、私は気付く。

 聞こえてくる数々の音があった。蔵の中で少しずつはっきりと聞こえてくる足音、吐息、うめき声。

 既に大勢の何かに囲まれているようだった。

 たぶん蔵の中にある不思議な道具たちに取りついている妖怪や幽霊たちなのだろう。

 あらためて今いるこっこやが妖狐、黒明姫の牙城であることを思い知らされる。

 黒明姫の演出を受けて、こっこやの店内にいる妖怪たちが盛り上がったような気がした。

 私は黒明姫の雰囲気に気おされそうになる。

 それは人知の及ばない存在に対する生物の根源的な畏れなのかもしれない。

 私の頬を涙が伝ったのは恐怖からか、それともテレビ番組の最終決戦にも似たワクワク感なのかは分からない。


「それじゃあ、せっかくだから、なぞなぞクロスバトルにしましょう」


 黒明姫はいきなりかましてきた。


「なんだよ、なぞなぞクロスバトルって?」


 私の後ろにいるトワ君が尋ねてくる。


「なぞなぞクロスバトルは一方だけが出題するんじゃなくて交互になぞなぞを出すバトル方式だよ」

「ふふ、とっておきのなぞなぞを出してね。お互いに正解したり、間違ったらもう1問よ」


 つまり、目の前の黒明姫が私の出したなぞなぞに正解を出せず、私が黒明姫のなぞなぞに正解すれば勝ちになる。

 お互いに正解し続けるか、間違い続けると長い勝負になってしまうバトル方式だけど、あの黒明姫と勝負だからこのぐらいの形式でちょうどいい。


「確認しますけど、私が勝ったら、具体的にどういう道具を貸してくれるんですか?」

「そうね、夜尾やびを封印する道具を提供してあげる」

「……封印、ですか?」

「あなたたち、無九むく様の夜尾にどう対抗するつまりなのかしら?」

「それは、俺の狐火のしっぽで燃やすつもりだぜ」

「ばかねえ、無九様の妖気が集中したしっぽが燃やしつくせるわけないじゃない。せいぜい表面が軽く燃える程度よ」


 トワ君は黒明姫の言葉を聞いて反論できないのかぐっと黙ってしまった。

 そう言われてみれば、私の部屋に忍び込んだ夜尾もトワ君のしっぽで燃えたけど、すぐに火は消えていたようだ。


「でも、私が負けたら、どうなるの?」

「ああ、そうねえ、通常のバトルの通り妖気の元となる情熱をもらってもいいけど……」


 そこまで言うと、黒明姫は私のことを値踏みするように全身を見つめる。


「あなた、柔らかくておいしそうだから、皮をはいで食べちゃおうかな、なんて」


 妖狐の姫はくすくすと笑う。


 その表情は目の前においしそうな獲物がいて、愉快でたまらないそんな顔だった。

 身体の中心がきゅんとなってとっさに私は自分の体を抱きしめた。

 その熱気を帯びた場の雰囲気のせいか抱いた腕に押し付けられた自分の体が強く意識された。

 そして、黒明姫の言う通り人間死ぬ気になれば大抵のことはできるというのは本当だと感じ始めていた。

 テレビ番組の中で黒明姫を含めた妖怪たちが人間を食べる描写が出て来たことはない。

 けれども目の前にいるこの黒明姫が不意に号令を出した途端に私の体は生きたまま無数のもののけ達に皮をはがれ、食いちぎられるリアルな予感があった。

 死にたくない、まだ死にたくない。その思いで息ができないぐらい心臓が早くなっていた。


「それじゃあ、なぞなぞクロスバトル始めましょう」


 黒明姫は楽しそうに告げる。


「先攻はゆずってあげる。あなたから問題を出して。今は私の妖気であなたのなぞなぞにも謎幻術が発動するから」


 彼女の低い声が聞こえて、私は集中しようと自分で思ったばかりなのに慌ててしまう。

 なんとか黒明姫が答えられないような難しいなぞなぞをと思ったが、余計な雑念が入り乱れて混乱の渦に巻き込まれる。

 今までこんな時を夢見てなぞなぞを探求してきたというのに……。

 考えあぐねているときに、さきほど黒明姫の発した言葉が思い起こされる。

 そこで私はある意図をもってなぞなぞを出してみる。


「こんななぞなぞはどう? 食べようとして皮をはいで切り刻んだのに、そのことで泣きたくなるもの、なあに?」


 こっこやの店内は黒明姫の謎幻術のフィールドが広がっている。私は自分のイメージを空間の中に描き出す。

 両手に包丁をもった人型のオオカミが黒いシルエットの小動物を切り刻む幻影が空間の中から飛び出してくる。

 私の出したなぞなぞを聞いた黒明姫は首をかしげた。


「皮をはいで食べようとしてるのに、悲しくなるなんてことはないでしょう?」


 得意げな表情で妖狐の姫は続ける。


「あなたたちだって、他の生き物を食べるけど、そのことで悲しみなんかしないわよね、答えられたら困るからっていい加減ななぞなぞ出すのはだめよ」


 黒明姫は落ち着いてはいたが、わずかに頬を紅潮させている。

 どうやら私が答えのないなぞなぞを出したと思ったようだ。

 私は少しおびえたまま、彼女の表情が変化していくのを見守っていたが、自分の方がうろたえてはいけないと懸命に冷静さを保とうとする。


「えっと、じゃあ答えを言ってもいい?」

「あれ? 答えがあるのなら言ってみていいよ」

「答えは、玉ねぎよ!」


 私が答えを言い放つと謎幻術の小動物のシルエットはポンとはじけて玉ねぎに変化し、それを切り刻んだオオカミは涙を出してもだえ始めた。

 その幻を見たと同時に黒明姫は少し震えたように感じた。


「玉ねぎ? 玉ねぎ? ああ、皮をはぐってそういうこと、そ、そうね、そういう考え方もあるわね」


 黒明姫が言ったことを利用して皮をはぐと言えば、動物のことしか考えが浮かばないかもしれないという狙いがうまくいったと私は胸をなでおろした。

 反対にだまされてしまった黒明姫の方は明らかにうろたえて、笑みすら浮かべていた余裕の表情が消える。

 そのままぎこちない動きをしたためにバランスを崩して、半歩ほど後ろに足を引いてしまった。

 そんな大妖怪の様子に感応して、蔵の中のもののけ達にも動揺した空気が広がる。


「じゃ……じゃあ今度は私のなぞなぞよ」


 それでも黒明姫は気丈に私との勝負を続けようとしている。

 これで私が黒明姫のなぞなぞに答えることができたら私の勝ちだ。

 もし私が黒明姫のなぞなぞに正解できなくても負けじゃないけれど、おそらくチャンスは今しかない。

 黒明姫は明らかに油断してくれていた。ここで決めないと私が勝つことなんてできない。


「紫月、ちょっとこっちに来なさい」


 黒明姫は紫月ちゃんを自分のそばに呼び寄せる。

 そういえば、紫月ちゃんの苗字は黒島を名乗っていたので、女優の黒島アキと同じだとは感じていた。

 でも、まさか本当に妹だったなんて。


「お姉様、なんでしょう?」

「うん、ちょっと耳を貸して」


 黒明姫は紫月ちゃんをグイっと自分の方に引き寄せる。

 背の高い黒明姫がかがんで紫月ちゃんに何か耳打ちをした。


「もう、しょうがないですね」


 黒明姫の耳打ちを受けてか、紫月ちゃんが髪をかき上げるとトワ君の拘束を解いて異次元から自分のしっぽを出現させた。

 完全に正体を現した妹の姿を確認すると、黒明姫は私の方に向き直る。


「さて、あなたの前にしっぽの生えた姉と妹が現れました、さあこれはどういうことでしょう?」


 えっ、何を言ってるの?


 そのなぞなぞを聞いて今度は私の方が混乱する。

 問題の意味が全く分からない。そもそもこれはなぞなぞなのかという感覚すら沸き起こる。

 黒明姫の方こそ答えのないなぞなぞを出してるんじゃないのと思った。

 それでも、このなぞなぞを正解することができれば、私の勝ちだ。

 何とか答えを見つけたい、その思いに私の頭は恐ろしく冴えた。


「えっと、しっぽのある姉と妹」


 ……


 ……


 しっぽ……尾、姉と妹……姉妹。


 頭の中でなぞなぞの中にあるしっぽのある姉と妹という意味を色々と考えてみる。


「……尾のある姉妹、うん?」


 何かの言葉につながりそうな予感があった。


「……おしまい……おしまい?」


 私の言葉を聞いて、黒明姫の顔にぱあっと喜色が広がっていった。


「そう、おしまいだよね」


「は……?」


 黒明姫の薄気味悪い笑顔に私は身体から血の気が引いていくのを感じる。


「そのまさかだよ。もうおしまい。ご苦労さま」


 くくっと黒明姫が低く笑ったのが見えた。


「食べてあげるよ。食べてあげるよ」


 気が付くと、黒明姫の前に謎幻術の大きな黒いシルエットが浮かび上がる。

 それは店の天井に届くほどの巨大な狐の影だった。

 おかしいと思っていた。

 黒明姫のなぞなぞには謎幻術が発動していなかった。

 でも、ようやく何が起こっているのか私にも理解できた。

 次の瞬間、影の狐の口がぶわっと大きく開いたかと思うとみるみる広がって私に襲いかかってきた。


「食べてあげるよ、おまえのこと全部」

「そ、そんな」

「くそっ、なぞなぞの答えと同じ言霊を利用した謎幻術か!」


 トワ君の叫ぶ声が聞こえたけれど私の体は大きな狐の口に飲み込まれた。

 私は真っ暗になった目の前のなか、ようやく黒明姫にからかわれていただけだったと理解した。

 最初から黒明姫は『おしまい』という答えで発動する謎幻術を用意して自分を食べようとしていたのだ。

 与えられた強い恐怖と恥辱のせいで私の最後の感情は諦めと少しばかりの蔑んだ怒りだけだった。


「ああ、やられちゃったなあ」


 私は小さく吐き捨てたが、あとはなにもわからなくなった。


  ◇


 私は夢を見ていた。神社の境内にいる夢だ。

 神社の神域ともいうような清々しい雰囲気が好きだったこともあって、私は小さい頃からよく神社に参拝していた。

 いつも神様にお願いしていたのは友達ができること。

 でも、この神社はどこだろう。夢の中だけど見たことのない神社だ。


葛葉くずはお姉ちゃん、どうしてもみやこに行っちゃうの」


 私に話しかけてきたのは時代劇に出てくるような昔の人の着物を身につけた女の子だ。

 私のことを葛葉くずはと呼んでいるように聞こえる。


「うん、そうだよ。大丈夫きっと人間とも仲良くできるから」

「そんなわけないよ。妖狐と人間、種族が違うんだよ。仲良くできるわけないよ」


 着物の女の子は私の顔を本気で心配して覗き込んでいるようだ。

 妖狐と人間、そういえば女の子には黒い狐の耳としっぽが生えているのが見える。


「ねえ、明姫あき、私たちはどうして獣から人の形になったのかなあ?」


 夢の中で私は明姫あきと呼んだ女の子に優しく語りかける。


「獣から人の姿になった私たちは2本足で歩くよね。じゃあ余った両手は何に使えばいいのかな?」


 自分で話している感覚なのに自分の話の意味が分からない。


「他の人と殴り合うためかなあ。でも襲い掛かるんだったら4本足の方が強そうだよね」


 そう言って笑うと私は明姫の手を優しく握ってあげる。


「じゃあ、なんで私たちは人の姿になったの?」


「それはね……」


   ◇


 何かが私の背中で暖かい熱をもっているように感じた。

 その熱が突然暴れだした。

 驚きで私は声にならない叫びとともに夢の中にあった意識が覚醒する。

 飛び交う2本の輝く光のしっぽが私の飲み込まれた闇の空間を切り裂いた。

 そのまま宙に浮かんだかと思うと、私はゆっくりと床に降り立った。


「えっ、鈴葉? 何が起こったの?」


 私に起こった異変を見て、紫月ちゃんが驚きの声をあげる。

 黒明姫の巨大な謎幻術に飲み込まれたと思ったけど、私の体はなぜか無事のようだ。


「うそでしょ。その光のしっぽ、あなたの中にいるのは葛葉……お姉ちゃんなの?」


 黒明姫は私の方を見て困惑しながら葛葉とつぶやいた。

 それは今私が見ていた夢の中で呼ばれていた名前だ。


「えっ、おい、どうなってるんだ?」


「大丈夫、鈴葉?」


 私の両脇からトワ君と紫月ちゃんが駆け寄ってきて不安そうに見ている。


「お姉様、これはいいんでしょうか?」


 予想外の事態に動揺している黒明姫に紫月ちゃんは強い口調で話しかける。


「鈴葉は、お姉様とのなぞなぞ勝負には勝ちました。だったら、約束通り先生を助けてあげたらいいんじゃないですか」

「ふふ、何を生意気言ってるのかしら」


 黒明姫がくつくつと喉を鳴らして、笑いだすがそれに返される紫月ちゃんの声は相変わらず落ち着いている。


「お姉様が決めたルールですよ。大妖怪、黒明姫は自分の決めたルールも守らないんですか?」


 紫月ちゃんの口からそのセリフが飛び出た途端、黒明姫の表情が憎々しげにゆがむ。


「もう、嫌なこと言うわね」


 黒明姫は諦めたように息を吐きだした。


「わかったわよ。私も少し大人げなかったわよ。こんな子供になぞなぞ勝負に負けて感情的になっちゃったの!」


 まるで自分の至らなさを嘲笑されたような屈辱感からか言葉のトーンが上がる。

 さすがの大妖怪も紫月ちゃんの言うことが正しいと感じてしまったようだ。


「じゃあ、付いてきなさい」


 黒明姫は蔵の中のひとつの戸棚から黒い箱を取り出した。

 蓋を開けると、中にあったのは雪の結晶のような形の黒いペンダントだ。


「これは九頭竜くずりゅうの封印結晶といって元は中国にいるという伝説の龍を封印するためにつくられた道具よ」


 そう言われてよく見ると黒い結晶の先端は九つに分かれている。


「この結晶なら9本の夜尾を1本ずつ封印することができるわ」

「でも、それなら、夜尾に取りつかれてる場合はどうするんだ?」

「そうね、妖術で形態が変化しているときならともかく、通常のしっぽの状態に戻っている時なら封印できるんじゃないかしら」

「じゃあ、俺の狐火でダメージを与えて弱ったところを封印すればいけるな」


 糸子先生を助けることができる。その希望に私は今まで忘れていた緊張に体が襲われて足が震えてしまった。


「あと、別の準備もしてあげる」


 そう言うと、黒明姫はスマホを取り出して、どこかに電話を掛け始めた。


「ああ、町長お久しぶりです。黒島です」


 いきなり町長という言葉が出てきて私は驚く。


「それでですね。私の親戚の男の子をこちらの小学校に転校したいので、今日ちょっと学校の見学を……」


 少しの間、話をすると電話を切って黒明姫はこちらに向き直った。


「トワ君だっけ、あなたが小学校に転校するように手続きをしてあげるから、もう小学校に入っても大丈夫よ」

「えっ、いいのかよ?」

「妹の友達は多い方がいいしね」


 そう言うと、にっこりと黒明姫は微笑む。


「……わかりました。ありがとうございます」


 黒明姫の言った友達というのは私のこともだろうか。だとするとちょっと嬉しい。


「あの、ありがとうございます。でも何で急にこんなに良くしてくれたんですか?」


 失礼かもしれないけど、さっきまで私をだまして影の獣で襲ったりしていたのに、急に優しくしてくれたのでその変化には不安になってしまう。


 おまけに黒明姫からすれば黒狐こっこの王に敵対する行動になるかもしれないのだ。


「もちろん勝負に負けたというのもあるけど」


 そこで黒明姫は言葉を止めると私の顔を穏やかな表情で見つめてくる。


「……昔の知り合いに葛葉くずはという人がいてね、そのしっぽ、たぶんあなたが葛葉の子孫だとわかったから」

「私のしっぽ……さっきの影の獣が消えたのは私のしっぽの力なの?」

「そうね、久しぶりに……あの人のことが思い出されて、ちょっとうれしかったわ」


 そう言うと、それを最後に黒明姫は少し黙ってしまう。


 空白の時間の後、突然店内の光景が黒く夜の闇で染め上げられるような衝撃が走る。


「えっ、何?」


 最初、その闇は黒明姫から生まれたものかと思ったけど、当の姫の方も何事なのかと困惑しているようだった。

 闇の衝撃の起点は店の中からではない、外からだった。

 慌てて店の外に出て辺りを確認すると、厚い雲に覆われた空の様子がおかしい。小学校の方角の雲が渦巻き、何か黒いものがうごめいているような……

 奇怪な黒い存在はすごく遠くに見えるのに、今感じている闇の雰囲気は明らかにそこから伝わってきていた。


 根拠はなかったけど、私にはあの渦巻く雲の下にいるのは糸子先生じゃないかという確信めいた思いがあった。


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