第9話 無九の夜とこっこやの秘密

 私はトワ君とこっこやに向かっていた。

 夜尾やびに取りつかれた糸子いとこ先生を救うためにこっこやの店長と会うことになったからだ。

 紫月しづきちゃんは先にお店に帰ってその準備をしてくれている。


「そういえば、今更だけどトワ君は食事とかお風呂はどうしてたの?」


 トワ君の正体がぬいぐるみではなく、人狐の男の子だとわかったけど、私が見ていないところで何を食べていたのか気になった。


「いや、実はぬいぐるみは妖術で化けたわけじゃなくて、ぬいぐるみの状態に封印されてるんだ」

「どういうこと?」

「こっこやにぬいぐるみとして行くときにぬいぐるみ封印の術をかけてもらっていて、むしろ人の姿に戻る方が妖力を使う状態になってるんだ」


 そう言うとトワ君は私に向かって飛びあがってくるっと一回転するとポンとはじけてぬいぐるみの姿になった。


(この状態の時はお腹もすかないし、汗もかかないから風呂に入らなくてもいいんだぜ)


「な、なるほど、そうなんだ」


(それで鈴葉が学校に行ってる間は夜尾を探したりしてたんだ)


「それじゃあ、ちょっとは人の姿に戻ってたんじゃない」


(いや、ごはんは大丈夫。ちゃんとお金は潜入前にもらってるから)


 私がぬいぐるみの戻ったトワ君を持ち上げてみると気のせいではない汗の匂いがする。


「もう、パパとママに頼んであげるから、これからはちゃんとお風呂にも入ってご飯も食べてよ」


(く、くさくねえよ!)


 トワ君は私の腕の中から跳びはねると男の子の姿に戻った。


「とにかく、はやくこっこやに行こうぜ」


「あっ、ごまかした。まあ、私も黙って学校を抜け出しちゃったし、急いだほうがいいよね」


 私たちが商店街を通ってこっこやに向かっているとたい焼き屋の前の女の人に私の目が止まる。

 私はその女の人に見おぼえがあった。

 だけど、その女の人と直接会ったことはない。テレビの中で何度も見ているのだ。


「えっ、あの女の人もしかして」

「はい、アキちゃん、いつもテレビ見てるよ。これからも頑張ってね」

「わあ、ありがとう。私もおばさんのたい焼き大好きだよ」


 サングラスとマスクをつけた大柄な女性は嬉しそうな声でたい焼きの包みを受け取る。

 たい焼き屋の前で止まっている私をトワ君が不思議に思って声を掛けて来た。


「何してるんだよ、鈴葉?」

「しっ、ちょっとだまってて」


 私は緊張しながら目を見開いてたい焼きを買っていたお姉さんを凝視する。


「あ、あの、もしかして、黒島アキさんですか?」


 私が口にした名前、それは私が毎週楽しみに見ているテレビ番組「巫女戦士ピュアエクレール」の妖狐、黒明姫くろあけひめ役の女優さんだ。

 アキさんと問われた女の人はきょろきょろと辺りを見回すと手を口に添えて囁いた。


「うん、そうだよ。他の人には内緒ね。後ろの男の子は神社の着物かな、かっこいいね」


 その言葉に私は一層体が固まってしまい、ガタガタと小刻みに震え出した。


「黒明姫、毎週応援してます、大ファンです。握手してください」


 私は震える右手を差し出してお願いする。


「うふふ、ありがと。じゃあ、握手ね」


 アキさんは微笑んで私の手を優しく握る。

 私の手がアキさんの手で暖められると私の腕まで赤く染まっていった。


「あ、あの、サインも……お願いしていいですか?」


 私は恐る恐る尋ねたが、アキさんは少し考えるようなそぶりを見せた。


「うん、じゃあ、せっかくだから、私のなぞなぞに正解できたらサインするよ」


 アキさんのなぞなぞは番組の中でもよく出題される黒明姫の定番だ。

 彼女としてはサインと一緒に私に対するファンサービスのつもりなのだろうと思った。


「じゃあ、問題よ。うどんをこう手でぎゅっと強く握りしめてできる食べ物はなあんだ?」

「え、え、えっと、うどんをぎゅっと、にぎりしめて、えっと、えっと」


 私は言葉もまともに発することができないほどに取り乱してしまう。


「お、お、おだんご、うどんをにぎってできるのは、おだんごです」


 何とか答えたお団子という私の答えを聞いたアキさんのほうが困った表情をしている。


「……うーん、お団子かあ、あなたはどう思う?」


 助けてとでもいうような目でアキさんはトワ君の方を見つめる。


「えーと、うどんをぎゅっと握るわけだから、ぎゅ、うどん、ぎゅうどん、牛丼じゃねえの?」

「わあ、すごい、そうだよ。ぎゅ、うどんで牛丼だよ」


 私もトワ君の答えを聞いて、ようやくなぞなぞの意味を理解した。

 だめだ。緊張しすぎてまともに考えることができなかった。


「じゃあ、何にサインしようか?」


 トワ君が答えてくれたのだけど、アキさんはサインしてくれるようで私はほっとする。


「あ、あの、なにか、えっと、せなか、背中に書いてください」

「ええ、背中? そんなところにはだめだよ」


 またしても私の取り乱した要求にアキさんは困惑している。


「鈴葉、俺が調査メモ用のノート持ってるから、それでいいじゃん」


 トワ君は着物の中からノートを取り出してアキさんに差し出した。

 再び助かるよというサインのウインクをしてアキさんはノートに油性マジックでサインをしてくれた。


「あの、アキさん、今日は『アキ散歩、とにかくぶらり旅』の収録ですか?」

「あっ、ううん、違うのよ。今日は完全にプライベートだよ。内緒だけど、私はこの町の出身なのよ」


 そう言われてみれば、たい焼き屋のおばさんも顔なじみのような応対だった。


「まだ予定だけど、この町の観光大使も町長から依頼されてるの」


 出身県が私の県ということは知っていたけれど、この町だったとは驚きだ。

 それにしても、なぞなぞ、うどん、この町の出身となるとどうしてもこっこやうどんのことを思い起こしてしてしまう。

 私はふとこのアキさんこそが、今から自分達が会おうとしているこっこやの店長なのではないかと思った。


 けれど、私はすぐにその可能性を否定する。

 なぜなら、私が自分の霊感をもって見ても、アキさんから妖気らしきものは何も感じられない。

 もしも、アキさんが妖怪であるなら、すぐに妖気を感じるはずだ。

 それはトワ君にとっても同じだろう。


  ◇


 アキさんと別れて、私たちはこっこやに辿り着いた。

 入口の引き戸を開けて中に入ると、中では紫月ちゃんが客席に座って私たちが来るのを待っていた。


「ありがとう、紫月ちゃん。あの、さっき話していたお姉様はどこにいるの?」


 紫月ちゃんに声を掛けたその時、こっこやの入口から声が聞こえた。


「何だ、やっぱりあなたたちか」


 驚いて振り返ると、先ほどまで私たちと話していたアキさんが立っている。

 入口の引き戸が開く音はしていない。


「お姉様!」


 紫月ちゃんが小さく悲鳴のように叫んだ。


「えっ? アキさん?」

「ふふん、紫月に呼ばれたから、忙しいのに帰ってきたのよ」


 紫月ちゃんに呼ばれたということは、やはりアキさんがこっこやの店長なのだろうか。


「えっ、えっ、アキさんが、何でこのお店にいるの?」


 私はまだ目の前の光景に頭の中で理解が追い付いていない。


「アキさんが……こっこやの店長、なんですか?」

「そうだよ。私がこのこっこやの主で妖狐の黒明姫さ」

「そ、そんなわけないよ、アキさんからは全く妖気なんて感じないし」


 予想外の展開に私は興奮して反論する。


「それは私が本体じゃないからだよ」


 アキさんがそういって髪をかき上げると、店の中の空気が一変した。

 彼女の頭と背中に現れる黒い耳と大きなしっぽ、途端に強烈な妖気が張りつめる。


「お姉様は本来ある7本のしっぽの1本だけに魂を移して人間に化けているの」


 7本ということは七尾の妖狐で、大妖怪の部類だ。

 紫月ちゃんがお姉様に会うことが命にかかわるかもしれないと言っていたのはこのことだったんだ。


「それに普段は妖気を隠して人間になりきることだけに妖力を使ってるし」

「何でそんな事……」


 7本のうちの1本だけしか使っていないということは単純に妖力が7分の1以下に落ちるんじゃないだろうか。


「私が人間の社会で活動するためだよ。いくら人間に化けたからって、七尾の妖狐なんて大妖怪がいたらさすがに気づかれちゃうでしょう」


 アキさんの説明は納得できる。目の前にいる彼女は単純に本来の力の7分の1としてもトワ君より強いかもしれない。


「それに本体は休眠状態にしていることで歳をとらずに長生きできる。大妖怪がたまに使うやり方だ」


 トワ君が黒明姫の化身けしんについて補足する。


「それで……紫月から呼ばれてきたわけだけど、私じゃないとどうにもできない困りごとだって」

「そ、そうなんです。私のクラスの糸子先生が夜尾に取りつかれたのを助けたいんです」


 紫月ちゃんがあらかた説明していてくれたのか、黒明姫は私のお願いを既にわかっているように見える。


「なるほど、でも、あなたはその夜尾やびがそもそも何なのかを知ってて私に頼んでるのかな?」

「ど、どういうことですか?」

「夜尾がこの世界に放たれたのはまず真宵石まよいせきが割れたことが始まりなのよ」

「まよいせき?……って、あの真宵石が!」

「あら、あなたは真宵石を知っているのね」

「もちろんですよ。最近の妖怪の話題の中では大ニュースでしたから!」


 真宵石まよいせきのニュース。

 平安時代に人間に化けて朝廷の中に入り込み、この日本を裏から支配しようとした九尾の狐の伝説がある。


 朝廷の陰陽師おんみょうじに正体を見破られた九尾の狐は配下の妖怪とともに日本中を巻き込んだ大戦争を起こした。

 人間と妖怪が協力して九尾の狐はどうにか討伐され、その死体が封印された大きな黒い岩、それが真宵石だ。

 その真宵石が昨年割れているのを管理していた神社の神職が見つけてニュースになったのだ。


「その真宵石に封印されていたのが九尾の黒狐こっこ無九むくの夜だ」


 私の後ろに控えていたトワ君が口を開く。

 九尾の狐はともかく無九むくの夜という名前は初めて聞いた。

 一部の大妖怪はその名前さえ不吉な霊力を帯びるということで直接の名前を語らないことがある。

 無九の夜という二つ名からもその力の強大さが分かる。


「九尾の黒狐……こっこや、もしかして」


 こっこやと言うお店の名前はどういう意味なんだろうと私は感じていたけれど、黒狐こっこという意味だとすると……


「そう、無九むく様は私たち黒狐こっこの王。それをどうにかしてほしいとあなたは私にお願いしているのよ」

「……そ、そんな」

「そっちの天狐てんこの坊やは私たちのことをよく知ってるはずよね。何せ最初はこの店にぬいぐるみの姿で潜入捜査してたわけだから」

「ああ、そうだよ。同じ黒狐のこの店に夜尾が来ているかもしれないと思ったからな」

「そっか。その真宵石の封印を管理していたのがトワ君の一族なんだね」

「そうさ、真宵石が割れたあとすぐに俺たちは封印を調べたんだが、無九の夜本体の死体は封印されたままだったけど、その9本のしっぽがなくなっていたんだ」

「それが夜尾、本体は死んだのに動いてるの?」

「前も言ったけど、妖狐のしっぽは妖力の象徴だからな。それ単独で動くことも十分考えられる」


 そう言われてみれば、私に昨晩語りかけていた夜尾もちゃんと会話ができた。


「で、でも、どうしてアキさんはこのお店で呪いの道具類を売っているんですか?」

「そんなに難しい話じゃないよ。私の財産を増やすことと一族の繁栄だよ」

「財産と一族の繁栄?」

「蔵の道具に関しては私のコレクションでもあるから、その道具の提供を通じて有益な人脈を築いていきたいのよね。妖狐の社会のために」

「妖狐の社会って、どういうことですか?」

「私たち妖狐は猿から肉体が進化した人猿じんえんと違って、狐が進化した存在よ。私達は強い妖力をもつけれど絶対的に数が少ないでしょう」


 薄くさげすんだような笑みを妖狐の姫は浮かべていた。


「だからどうしても私たち妖狐が人の社会に入り込んで生きていくには大きな政治的な力と人脈が必要になってくるのよ」


 彼女の言うようにこの社会で生活をするだけでも、まずは人間社会での身分が必要になってくる。


「私自身、女優としてテレビで活躍してるでしょう。人間の社会の中で活動したい妖狐たちは大勢いるの。スポーツ選手で、アイドルで、経営者で、政治家で」


 私は今まで自分が生きていた世界に疑問を抱いたことはなかった。

 こんなにも人々から妖怪とされている存在が身近にいることがにわかに信じられない。


「まあ、でも、あなたも妖狐の血が入っているようだし、同じ人狐じんこを助けると思って勝負してあげてもいいわよ」


 妖狐の姫、黒明姫くろあけひめは何でもなぞなぞ勝負で決める、それがこのお店のルールということは私も理解している。


「やめろ、鈴葉。さっきも緊張して全然答えられなかっただろ!」


 トワ君が素早く動いて私をこっこやから連れ出そうとした次の瞬間、お店の中の何もない空間からいきなり黒いしっぽが2本現れた。

 黒いしっぽはすぐさまトワ君の体に絡みつき空間に縛り付けてしまった。


「これが私のしっぽ妖術、黒次元くろじげんのしっぽ……悪いわね。人間じゃなくて、大妖怪の方で」


 そう呟いたのは紫月ちゃんだった。この空間から現れる黒いしっぽは確か図書館で椎奈を引きづりこんだものだ。

 紫月ちゃんが頭につけている白いカチューシャを外すと、隠れていた狐の耳が現れた。


「私のしっぽは空間をゆがめて穴を作ることができるの。そして私のしっぽは異次元に入り込むことができる」


「くそっ、次元妖術か。なるほど自分のしっぽを異次元に隠してたわけだ」

「紫月ちゃんもやっぱり妖怪なの?」


 私の問いかけに紫月ちゃんは無言だった。

 こっこやの店内に緊張感をはらんだ沈黙が広がる。


「いいよ、アキさん、いえ、黒明姫。私がなぞなぞバトルに勝ったら糸子先生を助けるための道具を貸してもらうわよ」

「おい、鈴葉!」


 黒明姫の表情こそ変わっていない。

 しかしその眼光の異様さに私は身震いする。まさしく大妖怪が人間の皮をかぶっているのだ。

 まるで地獄の入口が開いているかのような言い知れぬ恐怖感に本当はこの場から離れたかった。


 けれど、私は逃げるわけにはいかない。


「いいの、トワ君。もう、大丈夫だよ。糸子先生を助けるために私絶対に勝って見せるから!」


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