第5話 椎奈ちゃんが異世界に消えちゃった!

 夕闇が迫る駐車場はすでに薄暗くなりかけていたが、目的の女の子は簡単に見つかった。

 図書館の駐車場を歩いている椎奈しいなに私は声をあげて呼び止めた。

 背後からかけられた声に反応してセミロングにした濃い黒髪の椎奈しいなが立ち止まり、鼻筋のスッキリ通った綺麗な顔に戸惑った表情を浮かべる。


「わ、わたしに何か用?」


 椎奈はかけている眼鏡に手を添えて、自分を呼び止めた私を確認するようなそぶりを見せる。

 そして、振り返った椎奈に対して紫月しづきが指をさした。


鈴葉すずはのぬいぐるみを盗った犯人は、あなたね!」

「えっ? 何の話?」

「あなたがトワというぬいぐるみを盗んで隠したでしょう?」

「だから、何のこと?」

「しらばっくれてもダメだよ。あなたは鈴葉がトワを探しているときにぬいぐるみなんて知らないって答えたでしょう?」

「それが何か?」

「何で知っていたのかな? 鈴葉の探しているトワがぬいぐるみだってことを?」


 それを聞いて私も理解した。私は椎奈にもトワ君を見なかったかとしか聞いていないのに、椎奈はぬいぐるみなんて知らないと答えたのだ。

 トワ君はリュックサックに入れて隠していたので、たまたま見かけたということもあり得ない。


「いえ、私、ぬいぐるみなんて言ってないよ」


 問い詰められているのに椎奈の表情はあいかわらず静かだ。


「うそだよ、椎奈ちゃんは確かにぬいぐるみなんて知らないって言ったよ」


 椎奈の態度にたまらず私も叫ぶ。


「言ってないよ、鈴葉ちゃん、あなた、まさかそんなことで私を泥棒扱いするの?」

「……なるほど、テレビに出演しているだけあって演技がうまいわね?」


 椎奈は確かに巫女戦士エクレールとして女優をしているので演技は上手いはずだ。

 すべてわかっているわよといった目で紫月しづきの瞳が椎奈の目を覗き込む。


「じゃあ、これはどう?」


 そう言って、紫月は割烹着かっぽうぎのポケットからスマホを取り出した。


「これはさっきこの図書館の事務所で撮らせてもらった防犯カメラの映像よ。家族がいなくなったからということで特別に確認させてもらったのよ」


 紫月が動画を再生すると、防犯カメラの映像にぬいぐるみを持って図書館の中を移動する椎奈が映っている。

 いくつかの防犯カメラを時系列で追って繋げていって、最終的に椎奈はぬいぐるみを駐車場にある掃除用具のロッカーに放り込んでいた。

 その映像を見て、椎奈がしゃべるより先に私はロッカーに駆けていき、勢いよく扉を開いた。中にはトワ君が無造作に納められている。


「ああっ、トワ君、よかった」


 私が安堵の声をあげて、トワ君を抱き上げるのを見て、紫月は椎奈の方を向き直った。


「どう、椎奈さん、言い訳なら聞いてあげるから、言ってみなさいよ」


 椎奈は動揺していたが、やがて意を決したように口を開いた。


「鈴葉ちゃん、あなたはきつねに取りつかれているよ!」


 私はその言葉に椎奈が何を言っているのかが分からなかった。


「そのきつねのぬいぐるみはすごく良くないものだよ。あなたに取りついて悪いことをしようとしているの」


 私がきつねに取りつかれていると言う椎奈の主張に今度は私の方がうろたえる。


「だからお札でそのぬいぐるみを封印して、あなたから隠したのよ」


 そう言われてよく見るとトワ君の体に3枚のお札が張りつけられている。

 これが封印だとすると、このせいでトワ君は動けなかったのだ。


「違うよ、トワ君は楽しいお話もできる私の家族だよ」

「なに言ってるの、鈴葉ちゃん。妖怪はみんな悪い奴なんだから、退治しないと」


 妖怪はみんな悪い奴だから退治する。椎奈のその言葉に私の中で新たな憎悪の想いが沸き起こった。

 何かとんでもない爆弾を体の中に抱えているような感覚が響く。


「な、なんてこと言うの。もう、許さない」


 その怒りの想いは目の前の椎奈に向けられているのがわかる。

 次の瞬間、私は信じられないものを見た。

 駐車場の地面から影のような黒いしっぽが2本伸びて椎奈の体をからめとると地面の中に引きずり込んだのだ。


「えっ、何?」


 目の前の光景に何が起こったのかと思っていると、駐車場の方から慌てたような声が響く。


「えっ、椎奈さん、どこ行ったの……椎奈さんが消えた」


 聞こえてきたのは糸子いとこ先生の叫び声だ。

 私と椎奈の言い争いに見かねて椎奈のところに駆け寄ろうとしていた糸子先生が駐車場の真ん中で混乱したようにあたりをぐるぐると見まわしている。

 その足元では先ほどまで椎奈が肩にかけていたカバンが転がっている。


「……椎奈ちゃんが黒いしっぽに引きずり込まれた?」


 広めの駐車場で人が瞬時に隠れるような場所もない。まさしく人が煙のように消えてしまった。


「事件は解決したようね」


 その言葉を最後に、紫月の体が覚醒かくせいしたように震えると、ゆっくりと目をしばたかせた。

 紫月は状況を確かめるように胸の蝶ネクタイを外して、ケースの中に納めた。


「……神隠しね」


 紫月が先ほどまでとうって変わって感情のない様子でつぶやく。


「えっ、紫月ちゃん、神隠しって……どういうこと?」

「主には神域しんいきである山や森で起こることが多いけど、人が忽然こつぜんと消え失せてしまう怪現象よ。昔から神様や妖怪の仕業しわざとされてきたから神隠しと呼ばれているの」

「えっ、消え失せるって、椎奈ちゃんはどこに行ったの」

「さあ……こことは別の異世界か。それとも死者の行きつくあの世か?」

「えっ、えっ、異世界、あの世?」


 その言葉の意味が恐ろしすぎて、私の思考がパニックにおちいる。

 椎奈を闇に引きずり込んだのは確かに2本のしっぽだった。

 トワ君はお札で封印されている。


「あのしっぽは……私が椎奈ちゃんをしっぽの妖術で異世界に引きずり込んじゃったの?」


 強い絶望感に体中が震えて泣きそうになる。


「どうしよう、トワ君、私、椎奈ちゃんを殺しちゃった」


 腕の中のトワに助けを求めても、封印されたままのぬいぐるみは何も答えようとはしない。


「……鈴葉は優しいわね。自分の正体を知る人間がこの世から消えたのなら喜んでもよさそうなのに」

「えっ、紫月ちゃん、何言ってるの?」


 人を殺したかもしれない私に紫月は喜ばないのと聞いてくる。


「だって、あの子は鈴葉がいじめられきっかけをつくったんでしょう。消えてよかったと思わない?」


 紫月の言葉に私は思い出した。

 確かに私は自分の正体が見える椎奈がこの世から消えてほしいと願っていた。

 椎奈を殺したのは自分なのかもしれない。

 そのことで私の胸に何かがこみ上げてきた。

 紫月は何も慌てていない。いやそれ以前に人が消えてしまったことに何も感じていないように見える。

 いくら物静かな性格だとしてもそんなことがあるのだろうか。

 私は不意に自分が今どんな存在と一緒にいるのかと恐ろしく感じてしまった。


「トワ君、なんとか椎奈ちゃんを助けて!」


 私は泣きながらトワ君にお願いしていた。


「いくら椎奈ちゃんが憎くても、殺しちゃうのはダメだよ。私のことはどうなってもいいから、お願い!」


 そのとき、トワが放り込まれていたロッカーが激しく揺れ始めた。


「なに、何なのここ!」


 中から聞こえてきたのは今消えた椎奈の声だ。


「いやあ、誰か助けて、暗いよ、恐いよ、殺される!」


 椎奈の叫び声が聞こえたと思うと、ロッカーの扉が激しく開いて、椎奈と掃除用具がなだれ落ちてきた。


「あら、意外に近くに飛ばされていたようね」


 紫月がロッカーから出てきた椎奈を見て興味なさげに呟く。

 涙目で倒れていた椎奈は私たちの方を見ると何か恐ろしいものを見たように叫び声をあげた。


「いやあ、化け物、助けてぇ!」


 先ほどまでの女優らしい落ち着きが嘘のように椎奈は泣きながら逃げて行った。


「よ、よかった、無事だったみたい」


 あらためて腕の中のトワ君を確認するけど、相変わらず反応はない。


「このぬいぐるみ、お札で封印されてるんだったら、お札をはがしたらいいんじゃない?」

「あっ、そうかも」


 紫月に言われた通りトワ君に張られたお札をはがすとすぐにトワ君が話し始める。


(助かったぜ。いきなりお札を張られて何もできなくなっちまったよ)


「ああ、トワ君、良かった。あのね、私のしっぽが椎奈ちゃんを殺そうとしたかもしれないの」


(見てたぜ。でも、あれが何の妖術なのかは俺にもよく分からない……)


 トワ君にもあの闇に引きずり込んだしっぽ妖術の正体は割り出せないようだ。


(おい、お前は何かわからないか?)


 不意にトワ君が紫月に問いかけたので、私も彼女の方を振り返る。


「さて、私にもよくわからないわね」

「……ねえ、紫月ちゃんも妖怪なの?」


 今までの反応を見ていると私は紫月も妖怪と思えてくる。

 逆にあのこっこやでお嬢と呼ばれているのだから、今更ながら妖怪じゃない方がおかしいのかもしれない。


(いや、この子は人間だ。霊力は強いけど、しっぽがあったりするわけじゃないぜ)


「そうなの?」


(もし妖怪が人間に化けてるとかだったら、どうしても妖気が周りに漏れ出るものなんだ)


 確かに紫月の外見は人間そのものでしっぽや角も生えていない。

 だとすると巫女をしている椎奈と同じで単に霊感の強い女の子ということなのだろうか。


(もし、俺に対しても妖気を隠せてるとしたら、逆に大妖怪のレベルだぜ)


 トワ君の声は聞こえているはずだが、紫月は特に反応はしない。


(けど鈴葉、あの椎奈って子だけど、俺のことをお前に取りついてる悪い狐と思って封印したみたいだぜ……)


「そうだよ、トワ君をロッカーに隠すなんてひどいよ」


(いや、やり方は乱暴だったけど、それは鈴葉のことを心配してくれたんじゃないのか?)


「えっ、そんなこと……」


(悪い狐に取りつかれておかしくなることは実際にあるからな)


「でも、椎奈が私のこと妖怪だって言ったから私は……いじめられるようになったんだよ」


(余計なことかもしれないけど、あの子とは一度ちゃんと話し合ってみたらいいんじゃねえの?)


「いいよ、そんなの。私は人間の友達なんていらないの!」


 私はトワ君のアドバイスをかき消すように叫んだ。

 仮にトワ君の言う通りだとしても、今までのことを全部忘れて椎奈と話し合ったりなんてできない。


「私にはトワ君だけいればいいの。もうトワ君から絶対に目を話したりしないから!」


 いなくなってあらためてトワの大切さを実感した私は今度こそなくさないように腕の中でぎゅっとトワ君を抱きしめた。


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