捜査編(Cパート)
莉乃は授業が終わってから、生徒会室に移動する。いつものように席について、椅子に座ってからスカートを正す。
お気に入りのペンを右から左へきちんと並べ、課題に生徒会の議案の検討を始める──夕陽がいなくなったために図書委員会に関する仕事も増えた。他の生徒会や図書委員会所属の生徒からは、そんなことをしなくていい、と心配する声をもらった。嬉しかったが、気持ちだけ受け取ると言って全て断り、いつものように仕事を始める。
もう夕陽は生徒会室の扉をくぐってこない。
しばらくは落ち着かない日々が続くだろうが、慣れてしまえば『平穏』が手に入るだろう。机に並べた文房具のように、整然とコントロール下に置かれた日常が過ぎていくはずだ。全てが計画通りだった。
「こんにちわあ」
つばめの声が耳に届いたのは、ペンを持ってノートに議題の構想メモを書きつけようとした時だった。
ゆっくりと、音を立てないように──即ち感情を見せずにペンを離そうとするのに、彼女は苦労した。彼の存在だけが、莉乃にとっての予想外であった。
「ごめんなさいねえ。入っていいかしら?」
声の主は──つばめは、莉乃が返事をするより前に、すでに部屋の中に入っていた。嫌味の一つでも投げかけてやりたくなる。
「返事を聞かないんですね」
「あらごめんなさい。わたしってどうも勇み足が多くて困っちゃって。入ってから言うのもなんだけど、よろしいかしら?」
「そう言われて男の人を追い返すような育ちはしていません」
つばめは言うが早いが、まるで初めて入ったようにあたりを見回しながら、こちらへ近寄ってきて、莉乃の目の前に立った。
「あら。宿題をおやりになってるの?」
「生徒会の議題について簡単にメモをまとめているんです。文化祭の運営について洗い出しが必要なので」
「いつもその……シャーペンをお使いに?」
「ボールペンってやり直せないから、あんまり好きじゃないんですよ」
「まあ、そうなの? 警察って逆に、あんまりもうシャーペンって使わないのよ。ほら、ちゃんとした文書なのに消したりできたら改ざんとかになっちゃうじゃない? だから今はボールペンとか……そうそう、パソコンとかもよく使うのよ。わたしの部下のね、朝いっしょにいたさくらちゃん。あの子ったらパソコン使ってるのに誤字脱字がホントに多くて……教えがいはあるけどなんとかならないものなのかしらねえ」
「本でも読ませたらどうですか。小説って、勉強になることも多いですし……書いてあるシチュエーションから類推して漢字にも強くなります。受験勉強にも良いと聞いているので、私もそうしています」
「まあ、そうなの? あらやだ勉強になっちゃったわ。さくらちゃんに教えてあげなくちゃ。それにしても会長さん、ご友人が亡くなったのに大変熱心なのねえ。無理されてないかしら?」
それを単なる心配だと取るには、莉乃の心は波打ちすぎていた。ただでさえつばめのどうでもいい話で苛立っていた彼女には、彼の言葉はまるで挑発のようにさえ感じた。怒りを差し向けてやりたい気持ちに揺れ動いたが、莉乃はまだ品行方正な生徒会長でいなければいけない。せいぜいが、嫌味を言ってやるくらいの反撃が関の山であった。
「泣いていないとおかしいですか?」
「えっ?」
「夕陽がいないことに絶望して、メソメソしてないと変だと思ったんですか? 酷いのね、刑事さん」
莉乃の言葉が意外だったのか、つばめは少し驚いて見せてから、手を振ってそれを否定した。
「違うわよお。人間、身近な人を亡くしたら気丈に振る舞っても脆いものよ。あなたにも気をつけてほしかっただけ」
「ならいいですけど。見ての通り、忙しいので帰っていただけますか?」
つばめは壁のそばにあった椅子を引き寄せて、机の前に置くと、それに背もたれを腹につけるように座って微笑んだ。
「お邪魔する気はないんだけど、ひとつ教えていただけないかしら」
「……帰る気はないということですね」
「ごめんなさいねえ。これも仕事なものだから」
つばめはそう言って笑みを見せながら、話を切り出した。彼の唇が動くのを、莉乃はその度己に小さな針が刺さるような気持ちで見ていた。
「それでね。あなた手袋を落としたって言ったじゃない?」
「はい」
「覗き込んだのに見えなかったのよね」
「ええ。見つけましたよ。夕陽といっしょに……」
「どのあたりに落ちてたのか覚えてる? 私達が見つけた時には手袋はなかったから」
「校舎に指がかかるくらいだったと思いますけど。プランターの後ろで……たぶん死角になってたんだと思います」
「校舎に指が……なるほどね」
つばめは唇に触れながら、その場をうろうろし始めた。籠もったような熱気を息にして吐き出しながら、莉乃は肘をついて手を組む。
「刑事さん。わたし、忙しいの。勉強も生徒会の仕事も──夕陽の代わりに図書委員会の仕事もしなくっちゃ。わたしね、止まっていられないのよ」
つばめがその返事に何を思ったのかは、莉乃にはわからなかったが、たしかに彼は微笑んで頭を下げた。
亡き親友の意思を継ぐ少女。立派な肩書だ。肩書とは盾だ、と莉乃は考えている。通常であればそうとは見えない事柄も、肩書を負った人間のやることであれば是とされることがある。愚にもつかない政治家が不祥事を犯しても動きが鈍いのと同じだ。
ましてや、その源泉が同情というものであれば。周りの教職員や、生徒たち──親兄弟にいたるまで、彼女の正当性と盾を疑わないだろう。
「とっても参考になったわ。会長さん、本当にありがとう。でも無理は厳禁よ。ほんとに気をつけてね」
つばめは椅子から立ち上がると、さっさと生徒会室の外へと向かった。扉に手をかけようとしたその時、彼はその場で振り返って尋ねた。
「あ、そうそう会長さん。あとね……」
「もう帰るんじゃなかったんですか?」
「あともう一つだけだから! 私ね、細かい事が気になっちゃうと眠れないのよ。耳栓とかアイマスクとかするんだけど、どこからか音が漏れ聞こえてくるような気分になって──で、今日あったことをずーっと考えちゃうのよね。そうなるともう翌日大変! お肌の調子最悪になっちゃうのよお」
話が長くなりそうだ。
直感がそう告げたとみるや、莉乃は掌を見せて無言のまま話を促した。
「あらありがと。ほんとダメなのよ、眠れなくなるのは……コーヒー控えなきゃダメなのかしら。あっ、イヤだわまた話長くなりそ。でね、あなた夕陽さんが転落する直前まで電話してたって言ってたじゃない?」
「ええ」
「悲鳴は聞いた?」
一瞬聞き取りにくく感じて、莉乃は仕方なくもう一度聞き直した。
「……なんですって?」
「悲鳴よお。人間、転落した時にある程度声が出るものよ。ましてや今回は本人も意図してない事故だった──悲鳴をあげててもおかしくないわ。あなた、夕陽さんの悲鳴は聞かなかった?」
「それは──」
聞いた──ような気がした。というか、まず間違いなく夕陽は悲鳴を挙げただろう。彼の言うとおり、不意に落下したのであれば声は出るはずだ。それが順序というものだろう──莉乃は素早く脳内でそう理屈立てると、口を開こうとした。
いや、待て。莉乃は留まった。彼はわたしが電話していたことを知っているはずだ。
それをなぜ聞くのかが、莉乃にとっての違和感となって思考を留めた。
「会長さん?」
「……すみません、あの日のことは、あまり──」
彼女が選択したのは、答えないことだった。この刑事がなにを確認したいのかは分からないが、答えなければその目論見は達しない。筋書きは完璧だ。
「じゃあ、聞こえなかったってことかしら? 今思い出せないくらいに印象はなかったってこと?」
「……話、聞いてます?」
「もちろん。聞いてるからこそ聞かなくちゃいけないと思ったの。で、どう? そういうこと?」
この刑事は生半可なことでは納得しない。彼だけがそうなのか、それとも。
「……わかりません。もしかしたら、そうなのかも。本当にわからないんです」
そう言って莉乃は目を伏せた。半分は事実だった。夕陽が泣こうが喚こうが、莉乃にはもう興味がなかったからだ。今はこの不毛なやりとりを終わらせたくてたまらない。ただそれだけだ。
「ありがとう。良くわかったわ」
つばめはその言葉を否定も肯定もせず、ただ礼を述べて去っていった。
これで切り抜けられただろうか。莉乃はどこか希望的観測のような言葉で締めくくろうとしたが、どこかしっくり来なかった。小説ならば、推敲が必要になるだろう。ただ彼女は、とてもそのあとの作業に身が入らなかった。
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