[総ルビ]滝川海老郎の短中編集

第3話 僕の才能 (2000文字)

●第（だい）3話（わ）　僕（ぼく）の才能（さいのう）

　なんということはない。僕（ぼく）は犬（いぬ）だから言（い）えないけど、転移（てんい）者（しゃ）なのだ。

　だから中身（なかみ）は人間（にんげん）だ。

　人間（にんげん）の優秀（ゆうしゅう）な頭脳（ずのう）に高（たか）い機動性（きどうせい）を誇（ほこ）る犬（いぬ）の体（からだ）。

　その両方（りょうほう）を持（も）つということは、とてもアドバンテージがあったというだけの話（はなし）だ。

「ブル、ゴー」

「わんっ」

　僕（ぼく）は一人（ひとり）障害物（しょうがいぶつ）競走（きょうそう）をしていた。

　中庭（なかにわ）に設置（せっち）された障害物（しょうがいぶつ）を左右（さゆう）にまたはジャンプして避（よ）けて進（すす）んでいく。

　こちら側（がわ）のマーク君（くん）のところがスタートでゴールにはマリーちゃんがいる。

　ゴールするとマリーちゃんに褒（ほ）めてもらえるという算段（さんだん）だった。

　三（みっ）つ置（お）かれたポールを左右（さゆう）に華麗（かれい）に避（よ）けて、そして跳（と）び箱（ばこ）のような台（だい）をジャンプする。

　犬（いぬ）の身体（しんたい）能力（のうりょく）はさすがに優秀（ゆうしゅう）そのものだった。

　知能（ちのう）は人間（にんげん）だから犬（いぬ）としてみれば優秀（ゆうしゅう）も優秀（ゆうしゅう）のはずだ。

　心技体（しんぎたい）とでもいうのか、これはベストマッチで、最高（さいこう）のパフォーマンスを発揮（はっき）した。

　そして今日（きょう）はマリーちゃんと近所（きんじょ）へと買（か）い物（もの）へと出（で）かけていた。

　犬（いぬ）のリードをつけてお散歩（さんぽ）だった。補助（ほじょ）にメイドさんが一人（ひとり）ついている。

「るんるんるん♪　るんるん♪」

「わうぅう、わうぅう」

　ハミングしているマリーちゃんに僕（ぼく）は小（ちい）さい声（こえ）で合（あ）わせて歌（うた）を歌（うた）う。

　歌（うた）う犬（いぬ）というのも少（すく）ないけれどいる。

　言葉（ことば）はどうしてもしゃべれないが、それっぽく歌（うた）うことはできる。

　道（みち）行（い）く人（ひと）がそんな僕（ぼく）たちを流（なが）し目（め）で見（み）ていく。

　注目（ちゅうもく）はされているけれど明（あき）らかな貴族（きぞく）に声（こえ）を掛（か）ける人（ひと）は少（すく）ない。

　目的（もくてき）の洋菓子店（ようがしてん）に到着（とうちゃく）した。

「じゃあブルはちょっと待（ま）っててね」

「わうっ」

　声（こえ）を押（お）さえて返事（へんじ）をする。

　周（まわ）りを脅（おど）かさないようにする配慮（はいりょ）だ。僕（ぼく）は賢（かしこ）い。

　洋菓子店（ようがしてん）の店先（みせさき）でリードを壁（かべ）に掛（か）けられてお座（すわ）りをした。

　道（みち）を通（とお）っていく人（ひと）たちを観察（かんさつ）していく。

　別（べつ）に変（へん）な人（ひと）はいない。

　貧（まず）しい人（ひと）、普通（ふつう）の人（ひと）、裕福（ゆうふく）な人（ひと）。

　服装（ふくそう）はバラバラで、身分差（みぶんさ）がその服装（ふくそう）によく出（で）ている。

　そんな中（なか）、子供（こども）が紳士（しんし）に後（うし）ろからぶつかっていく。

　ドン。

「いてて……」

　紳士（しんし）はよろけたものの、踏（ふ）ん張（ば）った。

　しかしポケットの中（なか）を確認（かくにん）して顔（かお）を青（あお）くする。

「スリだ、今（いま）の小僧（こぞう）」

「わうっ！」

　紳士（しんし）が怒鳴（どな）る。

　小僧（こぞう）はよろよろと歩（ある）きながら逃（に）げていこうとしていた。

「わうわうっ、わう」

　僕（ぼく）は壁（かべ）のフックを口（くち）で外（はず）して、リードを引（ひ）きずったまま少年（しょうねん）を追（お）いかけた。

「わうわうっわう」

　声（こえ）を上（あ）げながら走（はし）ると人々（ひとびと）が驚（おどろ）いてみんなこっちを見（み）る。

　次（つぎ）の瞬間（しゅんかん）道（みち）を開（ひら）けてくれるので、そのど真（ま）ん中（なか）を走（はし）っていく。

　すぐに少年（しょうねん）に追（お）いついた。

　少年（しょうねん）が怪我（けが）をしないように細心（さいしん）の注意（ちゅうい）をしながら足首（あしくび）に噛（か）みつく。

「うわあああ」

　少年（しょうねん）が流石（さすが）に大声（おおごえ）を上（あ）げて倒（たお）れこんだ。

　倒（たお）れたところを僕（ぼく）が威嚇（いかく）をして彼（かれ）を制圧（せいあつ）する。

　そこへ紳士（しんし）が必死（ひっし）に追（お）いかけてきた。

「なるほど……その犬（いぬ）が」

「すみません。ごめんなさい。ごめんなさい。もうしません。どうかご勘弁（かんべん）を」

　少年（しょうねん）は涙声（なみだごえ）になって地面（じめん）に這（は）いつくばって謝罪（しゃざい）をした。

「なに、いいんだ。だた少年（しょうねん）。スリなどという行為（こうい）はもうやめなさい」

「はい。なんでもします。なんでもしますから許（ゆる）してください」

「いいだろう。少年（しょうねん）、うちで働（はたら）きなさい。毎日（まいにち）食事（しょくじ）も出（で）そう」

「そ、それは」

「今（いま）スリをしても大（たい）した額（がく）じゃない。またスリをするつもりかい？」

「そんなこと……」

「だろう。継続性（けいぞくせい）が大事（だいじ）なんだ」

「あの、家（いえ）に妹（いもうと）がいて」

「わかった。妹（いもうと）の面倒（めんどう）も俺（おれ）がしよう」

「ありがとうございます」

　お財布（さいふ）は戻（もど）されて、少年（しょうねん）は紳士（しんし）と握手（あくしゅ）を交（か）わした。

　そうだよな。スリったって一（いっ）回（かい）で食（た）べられる量（りょう）はたかが知（し）れている。

　しかし雇（やと）ってくれるとなれば別（べつ）だ。

　食事（しょくじ）の面倒（めんどう）も見（み）ると言（い）っていた。よかったな、少年（しょうねん）。

「ちょっとブル、どこブル」

　マリーちゃんだ。

　いけない。持（も）ち場（ば）を離（はな）れたから怒（おこ）らせてしまったかもしれない。

「いたいた、ブル、これはどういうこと？」

「わぅぅうう、わう、わうわぅ」

　僕（ぼく）は弱々（よわよわ）しく言（い）い訳（わけ）をするが人間（にんげん）語（ご）ではないので伝（つた）わらない。

　ちゃんと発音（はつおん）できないのだ。

「お嬢（じょう）さん。お手柄（てがら）だよ。そのブル君（くん）かな」

「はい、ブルです」

「その子（こ）がスリの少年（しょうねん）を見事（みごと）に追跡（ついせき）して捕（つか）まえてね」

「へぇブルがそんなこと」

「それで無事（ぶじ）にお財布（さいふ）が返（かえ）ってきた。中身（なかみ）はどうでもいいけどお気（き）に入（い）りの財布（さいふ）だったので惜（お）しいと思（おも）っていたんだ」

「なるほど」

「それから少年（しょうねん）と妹（いもうと）はうちで預（あず）かる。スリはよくないが、スリを少年（しょうねん）にさせるような世（よ）の中（なか）が悪（わる）い。少年（しょうねん）は悪（わる）くない」

「そうですね」

　近年（きんねん）、治安（ちあん）も経済（けいざい）状況（じょうきょう）もよくなっている。

　犬（いぬ）の僕（ぼく）が心配（しんぱい）することではないものの、スリで生活（せいかつ）している子（こ）たちがいるなんてちょっとショックだ。

　この紳士（しんし）も貴族（きぞく）だろうし、どうやら少年（しょうねん）たちの面倒（めんどう）を見（み）てくれるようなので、心配（しんぱい）はないだろう。

「その犬（いぬ）、使（つか）えるな」

「ですよね。前（まえ）からとても賢（かしこ）くて、庭（にわ）で隠（かく）れてる隣（となり）のマーク君（くん）をすぐ見（み）つけて連（つ）れてくるんですよ」

「あはは、隣（となり）のマーク君（くん）か。それはマーク・マドリシアン君（くん）かね？」

「そうです。知（し）り合（あ）いですか？」

「ええ、そりゃね」

　どうやら知（し）り合（あ）いらしい。

「どうだい、お嬢（じょう）さん。その犬（いぬ）ブル君（くん）、門（もん）の警備（けいび）隊（たい）に貸（か）してくれないだろうか」

「門（もん）の警備（けいび）にブルを」

「そう。警備（けいび）の仕事（しごと）だよ。犬（いぬ）だって仕事（しごと）くらいできるだろう」

「わかりました。私（わたし）はマリー・アイアンバウアー。伯爵（はくしゃく）家（け）です」

「そうか。アイアンバウアー伯爵（はくしゃく）なら知（し）っているよ。確（たし）かにこれくらいのお嬢（じょう）さんがいたね」

「そうですか、ではブルの件（けん）はまた」

「お礼（れい）をしに伺（うかが）おう、そのときはよろしく頼（たの）みます」

「はいっ」

　マリーちゃんが紳士（しんし）と握手（あくしゅ）を交（か）わす。

　名前（なまえ）は僕（ぼく）は聞（き）きそびれていたけど、先（さき）に名乗（なの）ったみたいだった。

　とりあえず紳士（しんし）のおじさんがまた家（いえ）にくるらしい。

　それにしても仕事（しごと）か。

　マリーちゃんも何（なに）かできないかなって言（い）っていたので、これは運命（うんめい）の巡（めぐ）り合（あ）わせなのだろう。