第39話 使い捨てカメラ
那雪は今、初めての経験を実らせていた。大好きなあの人と一緒に身も心も温もりに染まり行く。まるで欲望の温度が滲み出ているように思えてしまう。
あまりにも心地が良かった。快楽とは人の気をも奪ってしまうものだろうか。拭い去ることの出来ないこの時間が過去のシミとなって強く刻まれる。この罪深さから抜け出すことなど出来そうにもない。
二人は白昼の奈々美の家にて、コタツの温もりに浸っていた。
「ああ極楽浄土にいる気分だわ」
奈々美の言葉の通り、極上の快楽を味わいながら那雪の想いもまた同じような言葉しか思い描くことが出来ない。コタツを捲ったそこに寝そべっている黒猫も動くつもりは全くもってないそう。
「魔女もコタツ持ってるんだね」
さぞかし意外だと顔が語っていた那雪に対して、奈々美は軽く笑いを零しながらその表情を包み込む。
「そう、流石に昔からの由緒ある家系ではあるから」
話によれば昔は魔法の事を妖術と呼んでいたらしい。ただそれだけの事、奈々美はごく普通に日本人の血を引いた一般的な民族なのだという事。
奈々美の低く落ち着いた声と優しく奏でられる言葉は那雪にとっての魔法だろうか。彼女の様々な部分が那雪の想いを沸かせてくれる。そうしてコタツ以上の温もりを感じていた。
「そうだよね、確かに外国の血は濃くないね」
今どきの日本人であればありふれた様にも見える顔は形が整っていて抱き締めたくなってしまう。
抱いてしまった想いを閉じ込めるように那雪はミカンの皮をむいて一粒取って口へと放り込む。広がる香りと甘さに包まれた柔らかな酸味は二人の関係のよう。
奈々美も倣ってミカンを放り込む。途端にその笑顔は艶を帯びる。那雪の目は気が付けば奈々美を収めてそのまま動かずに空白の時間を流し続ける。
「ちょっと私に見惚れたでしょ」
「ごめん、いつもの事」
常にそのような目で見られている可能性を想っているだけで奈々美の心は温かなものから蒸気を上げるものへと変貌を遂げる。
「濃い恋を、好意の行為をありがとう」
きっとこれからもついつい奈々美の顔に対してそのような目を向けてしまう事だろう。許してくれるのは確実に両想いという理由だけが証明の言葉だった。
みかんを二人で分け合い頬張っていたものの、やがて暇な時間を得てしまう。食べることを暇潰しとして時を平らげてしまう才能は那雪には宿っていないようだった。
「暇だね」
「なにかいいものあったかしら」
寒さが蔓延っているものの、二人揃ってコタツから抜け出して棚の中を探り始める。出て来る物一つ一つをその目に収めながら探り続ける。
太いペンや事務的な形をしたハサミにノリや定規が出て来て幾つもの鉛筆がその姿を現す。
「中に入ってるものは普通なんだね」
「そうなの」
周囲に飾られた鹿のはく製や絵画、どこの国のお土産なのかキラキラと輝く珠を集めて形作られた白鳥の姿。このような景色とは裏腹に棚に収められた道具は地味な事極まりない。
そんな場所を探って上から二段目三段目と下がって行って那雪は首を傾げる。
「魔女の実験に必要な道具とかは」
「別の場所よ」
撫でるように声をゆっくりと聞かせる奈々美の言葉に一度頷き解決とする。
寒さは外で激しく暴れ回っているのだろう。気温に近付いて騒ぐ部屋の中で震えながら引き続き棚の中で手を掻き回し続けていたところ、見慣れないものが飛び出して来た。
カメラだったものの、いつも那雪が見かけるような丈夫な姿をしているわけではなく、外からでも簡素な造りをしていることを感じ取る事が出来る。
そんなカメラを見つめて奈々美はぽつりと呟く。
「使い捨てカメラ、あったのね」
日頃からマメに整理整頓を行なう人物など稀なものだろう。奈々美の家もそうした例に漏れず、全ての持ち物は把握し切れていないようだった。
「結構楽しかった気がするわ」
奈々美は昔ちょっとした風景などをその手に収める際に使ったことがあるのだという。那雪はカメラをその手で弄ぶように様々な角度から見つめていた。
「なゆきちも撮ってみたら良いんじゃないかしら」
言葉に甘えて撮影を味わってみることとした。昔はそれなりに使われていたという代物だったようだがしばらく使われずに仕舞われていたようで。
久し振りに埃っぽい空間から出られた心境は如何なるものだろう。
二人は撮影をするべく歩み出した。その際奈々美はコタツの中に手を突っ込み黒猫を引きずり出して抱える。親も飼う事を認めてくれているようだと今更気を向ける。
激しい寒さを堪えながら外へと出て並び、那雪はカメラを持ってピースサインを奈々美の方へと傾ける。奈々美も真似して指同士が触れ合って妙な温もりを得ながらシャッターを切る。
そうして二枚、同じ写真を撮って後日、現像して二人で喜びを分かち合った。
☆
これは少し未来の話。奈々美が高校を卒業すると共に魔女の世話になると言って飛び立ってしまった日はどれ程前の事だろう。あと幾年の時を経れば再び会うことが叶うのであろう。
全くもって想像も付かずに那雪は寂しさを背負いつつも幸せの時が来る日を待ち続ける。
今でも幸せの日々の一ページを閉じ込めた写真は机の上で優しい笑顔を並べていた。
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