第32話 雪だるま

 幾度の日々を進み続けたのだろう。長く感じられる運命の旅の中、気が付けば初めの休みがやって来た。授業は手を伸ばしても届かないような難しい説明が続き、数学程の複雑な数字を扱うことが苦手だと感じる一方で理科における計算から化学式、加えて家庭科の成績は二学期を通して伸びていることを実感していた。

 きっと日々の生活のおかげだろう。不器用ながらに化学や簡単な縫い物は奈々美と共に行なっていたのだから。

 休日の訪れは嬉しさよりも落ち着きを与えてくれる。奈々美と会う事により気分が上がる事が少なくなり、ただ一緒に居たい人、共に過ごしているだけで次の週までの気力を蓄えてくれる人と言った印象へと変わっていた。世間の言う恋からは程遠い感情、那雪は迷っていた。この雪の積もる景色の中、彼女の姿を見失ってしまうのではないだろうか、このまま追いかけていられないのではないだろうか。自分の感情が嫌になってしまう。

 そんな想いなど、降って来る雪を流してしまう風と共に吹き飛んで見えなくなればいいのに。

 那雪の中に閉じ込められたまま声にもならない。

 このまま冷めてしまうかも知れない事を恐れながら、その目は無事にここまで足を運んできた奈々美の方へと向けられる。

「なゆきちおはおは」

 いつも通りの声にいつも通りの態度、人々が通った跡や土と混ざり合った色、様々な痕跡が作り上げるものは綺麗なだけの雪景色ではない。薄汚れたものは永遠に元には戻らない。まるで人生のよう。

「おはよう、奈々美」

 まだ昼の訪れは遠くて空は寒気に染められて優しさなど見えて来なくて。

 降り積もる雪に凍える心。真冬の厳しさは幾つもの服を重ねて着ることでようやく避けることが出来た。

 奈々美は積もった雪をかき混ぜるように掬い上げ、押し固め始める。

「雪だるま作ろう」

 あまりにも無邪気な笑顔は年上の物とは思えない鮮やかさ。那雪は手伝うべく雪を掬おうとするものの芯にまで忍び込もうとする冷たさに手を引っ込めてしまう。

「冷たいものね」

 そう言って笑う明るい彼女と同じようになりたくて。火を使う事が苦手な彼女と何不自由無い那雪の二人が内に持ち合わせるモノの違いを思い知らされつつも那雪は再び雪に手を突っ込む。

「慣れれば大丈夫だから」

 強がりは本当になるだろうか。冷たさに手の感覚は薄れて温度感は曖昧に、すぐさま疲れを感じては雪を固め続ける奈々美の隣で手を止める。

 その繰り返しの中で奈々美はずっと笑顔を浮かべていた。

「無理しなくていいの、ちょっとずつ」

 言葉の優しさに、想いの温かさに包まれながら那雪は冷たくなってしまった手を温めながら、少しずつ冷えて行く身体に不安を感じながらもたまに加わり雪だるまの形を作っていく。

「私の身体みたいね」

 奈々美の自嘲気味な声は那雪が敢えて触れていなかった事実にたどり着いてしまった。

 那雪と出会って以来、奈々美は幸せに触れ続けてか少しずつ肥えていた。初めの頃を思い返せば一目瞭然、頬が柔らかな丸みを帯びていて、手も少しだけ膨れていただろうか。

 そんな彼女の落ち込み具合いに深刻な情を感じないのは隠しているからだろうか。

「ごめん、何も言い返せない事だったわね」

 気まずい感情を振り払い、殆ど奈々美が作った雪だるまを見つめる。

「後は枝を差して」

 二本の枝を差し込んだ。不揃いな手は不格好、左手はしっかりと斜め上を向いているものの右手は地面に着いて上がらない。重みが自由を与えてくれない。

「とりあえず完成ね」

 出来上がった雪だるまの姿を見て何を思っているのだろう。奈々美はただずっと雪だるまを見つめている。

 那雪は出来上がった雪だるまに物足りなさを感じていた。

 奈々美が立っているその場を少し離れ、赤い木の実と固くて立派な葉っぱを二つ、持ち出して雪を丸めて少しだけ細長く固めて木の実を埋め込み葉っぱを差し込んだ。

 完成したそれは小さなウサギ。そのまま雪だるまの頭に乗せて微笑んで。

 そんな那雪の顔を見つめて奈々美の鮮やかな笑顔も淡くなり始めた。緩んだ頬に優しい笑みの組み合わせは那雪の心を強く打つ。

「なゆきちのウサギかわいいわ」

「奈々美の雪だるまもかわいいよ」

 特にこれと言って語る中身の無い時間、忙しさの中に埋め込まれた優しさだけが募るひと時は二人にとっては必要なものなのかも知れない。

 特に那雪にとってはあのまま真剣な態度で突き進んではすぐに崩れてしまいそうだった。雪の塊のようにすぐにでも砕けてどこにあるのか分からない欠片になって散ってしまいそう。

「なゆきちって雪みたいに儚いからね」

 突然投げられた言葉に那雪は首を傾げる。きっとそんな動きの一つまでしっかりと見つめていることだろう。

「壊れてしまわないように大切にしなきゃ」

「奈々美だって壊れそうなくせに」

 言い返すと共に奈々美の笑顔が飛び込んで来た。きっと誤魔化したのだろう。彼女の想いはいつでも笑顔か無表情で隠されているのだから。

「たまには奈々美も素直になって良いんだよ」

 たった一言で、奈々美の笑顔は曇り、那雪を抱き締めながらそれでも涙は零れることも無く。

 この時が初めてだろう。奈々美にも救いが必要なのだと実感したのは。今までの那雪とは異なる視点で奈々美の苦しみを見つめては奈々美の凍える身体を抱き締め返した。

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