第28話 おせち

 目を開いた。優しい朝の訪れに身体や心はいつ馴染んだものだろう。軽い身体を置きして思い切り腕を天井へと伸ばして欠伸を噛み殺す。

 すぐさまメガネを掛けて那雪はいつもの景色を、窓の外に流れる激しい寒気を見つめる。

 空は乾き、コンクリートやアスファルトによって固められた地は色を沈めていた。季節毎に太陽からの視線も変わって来るもので、今は日差しの弱さに寂しさを感じてしまう。

 隣では奈々美が時たま唸るような寝息を立てながらも基本的には静かに眠っていた。話によれば奈々美もまた悩むことの多い人生を歩んでいるのだという。

「大丈夫、私はずっと味方だよ」

 奥に潜んだ意識には決して届かない優しい声を更に潜めて奏で、那雪はすぐに着替えを済ませて降りていく。一旦外に出てポストを確かめる。親が取っている新聞は新年の訪れと共に新たな報せを持って来る事など無いようでどことなく寂しい中身をしていた。中に納まっているのは三枚の年賀状だったものの、その全てが親に宛てられたもの。那雪には広い親交と言うものが無かった。

 部屋へと戻り、顔を洗って鏡を覗き込む。新年早々眺めるやせ細った顔は見るからに惨め。可愛らしさはそこに住んでおらず弱々しさと大人を迎えた時には少し落ち着いた印象を持つことが出来そうな薄っぺらな顔。もしかすると将来は文学や最悪アニメが好きそうだという前提で話を持ち込まれてしまうかも知れない。面倒な誤解は避けたかった。

 朝ごはんの食欲を減退させる効果が期待出来そうだった。痩せているのはそのためだろうか、などと言う冗談が思い浮かんでしまうものの、すぐさま仕舞ってリビングへと向かう。

 冷蔵庫に入った少量のおせち料理は新年の訪れの象徴だろう。昨日は大晦日。月の終わりの事を晦日と呼ぶ風習など大衆からはとうの昔に忘れ去られてしまったようで、毎月の節日にいただくという先人の遺した文化もまた消え去って年の変化という節日にのみいただく料理となっていた。

 取り出して並べてみせる。そうしている内にも奈々美が降りて来る。いつも以上に揺れる茶髪をどうにか櫛で整えたような印象はきっと間違いではないだろう。

「明けましておめでとう」

 奈々美の言葉を繰り返すように那雪の口からも同じ言葉が飛び出して行った。

 奈々美はテーブルの上に置かれた大皿に乗ったアルミホイルのカップたちとそこに入った食べ物の数々に目を当てて明るい笑みを浮かべた。

「おせち料理、いいわね」

 きっと今年も一緒に過ごすだろう彼女と向かい合って座り、那雪は控えめな笑顔を対して奈々美は朗らかな笑顔を浮かべて見つめ合う。

「ところでなゆきち」

「なに」

 奈々美は那雪の反応一つにすら喜びを得ていた。

「おせちで好きなのってどれかしら」

 様々な物が並んでいるものの、その中でも那雪は黄色い粒の塊を指して笑顔をそのまま揺らす。

「数の子かな」

 続けて指を赤くて背の曲がった彼の方へと向ける。

「エビも好きで」

 次は黒い帯に巻かれた小さな魚の方を向く。

「よろこんぶ」

 奈々美は微かな笑い声を零しながら自分の好きなものを述べる。

「黒豆と栗きんとんあとはこんぶかしら」

 基本的に甘い物を好んでいるようで、奈々美によく似合うように感じてしまう。

「そっか、奈々美の好きなものかわいいね」

「なゆきちは長生きして子どもいっぱい抱えてそう」

 言われてみれば喜びと長寿と子孫繁栄。確かに子宝に恵まれそうな組み合わせをしていた。

「命が大切かな」

 そんな希望溢れる姿に火の気配を感じてしまう。奈々美にとって足りないものはそこにあったようだった。

 御神酒の代わりの甘酒をコップに注ぎ、箸で少しずつつまみながら一年の幕開けを祝う。

「この時期って個人の外食とかあんまりやって無いのよ」

 奈々美の言葉に頷く。

「あと私の家にも誰もいないし」

 どうやら世間から少し逸れた魔女の一家も日本の文化の在り方には逆らう事が叶わないようだった。もしかすると世間の店や交通機関の事情から適う在り方を選んだのかも知れない。

 奈々美は米から作られた甘いそれを一気に飲み干して蕩ける笑みを見せる。

「甘酒美味しい」

 那雪は一つ、将来の姿を語り始めた。

「もしかしたらこれが御神酒に変わって同じことやってるかもね」

 変わらない流れ、変わらない関係。那雪の中に根付いた予感は二人の歩む未来に深い繋がりの気配を見て取った。奈々美も同じ意見を浮かべているようで、言葉を上に重ねてみせる。

「そうね、なんでか不思議だけどそんな気がするわ」

 きっと根拠など無い。それでも断定できること。見つめ合う二人に流れる静寂。奈々美の薄桃色に色付いた顔をまじまじと眺めることが恥ずかしくなり、那雪は顔を逸らした。

「そう言えば初日の出、見逃したね」

 顔と共に逸らされた話題に奈々美は頭を抱えて微かに頭を揺らしていた。

「また来年、その辺でもいいから見つめたいわ」

 それはまた一つ、人々の歴史の積み重ねによって数字が進んだ時まで取って置く他ない。

 それからもこの日を優しく和やかな雰囲気で過ごす二人の関係に寒気が忍び込む隙間など残されていなかった。

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