第20話 紅葉
そこに色付く紅は群がる炎のよう。辺りを彩るそれに心を奪われてしまう。
那雪は紅葉が立ち並ぶ山の中で大きく息を吸う。目を閉じて瞼の裏で一度思い描いて再び目を開いて。
そうして味わう景色の美しさの濃さのあまり、感想を述べることすら出来ない。どのような言葉も霞んでしまいそうな様だった。
そんな那雪の満悦模様を目にして奈々美はしっかりと明るい笑みを浮かべる。
「なゆきちなら絶対気に入ってくれると思ったわ」
奈々美の中に渦巻く想いはどのような物だろう。那雪と同じく言葉を失ってしまうものだろうか。その答えはすぐさま声として引きずり出された。
「知ってるかしら、メープルシロップって」
サトウカエデの樹液を濃縮したもので、日本ではパンやクラッカーに塗ることが主だろう。
「紅葉の群生の中でそれ言う」
那雪は笑い半分呆れ半分の独特な心地に浸っていた。本当に浸りたいのは紅葉や楓の木々に囲まれた温泉だった。
「ふふっ、食べたくなったんじゃないかしら」
奈々美の言葉につい笑ってしまう。軽くではあったものの確かな笑い声。空気中を微かに色付ける雰囲気は紅葉の着飾る盛大な着物には敵わない。
「もうやめて、私、紅葉見に来ただけなのに」
そう、これは那雪の要望から始まったこと。この美しさに触れる機会はそう簡単に巡って来ない。家から三十分でも歩けばそこで待っている公園にも生えている。それは間違いないものの、演舞のような輝きの幕を見ることが出来るのはやはり山の中。
紅葉狩りの名所である神社から続く道がどこまでも美しい。車一台と半分程度の通行が許される幅、その外の両側から伸びる紅葉の枝に実る火炎の葉。
那雪のメガネ越しの視界の中では空と紅葉を共に収めることで精一杯だった。
「後で神社の恋みくじでも引こうかしら」
魔女の発言とは思えないもの。神道の思想も魔女は信じているのだろうか。
「魔女もおみくじ引くんだ」
那雪は優しい声でつい訊ねてしまっていた。
「ええ、でも日本ならではかも知れないわ」
あまりにも多くの宗教が生活の一部として混ざり合っていて、一つの宗派だけを決めてそれだけに従うことは出来ないのかも知れない。特に考えもしないで実行に移した仕草や行動の中身が信じてすらいない宗派に由来するものかも知れないということ。日頃から使っている日本語に紛れた多様性こそが純粋な一派のみで動くことの出来ない大きな理由とも言えることだろう。
「そう、海外ではもう少しくっきりとしてるわね、信仰も」
そんな考えごとも紅葉の美しさの中に流し、再び見惚れようとする那雪の意識を奈々美はクッキーを手渡すことで引き戻す。
「お食べ」
「ありがと」
受け取って見つめる。渦を巻いているような姿をした小さなそれ、見慣れたベージュのような茶色のような、美味しそうな塊。風に乗って微かに運ばれてくる香りはクッキーをすぐさま口へと運び込んだ。
日頃はあまり味わうことのない独特の甘み、香ばしいと呼ぶには不適切にも思えるちょっとした大人っぽさを思わせる香り、それはこの紅の景色に上手く溶け込んで行く。
「これメープルクッキーじゃ」
「正解」
そこまでして一つの想いを壊してしまいたいのだろうか。奈々美の目を見つめる。時たま景色を楽しみながらもすぐに飽きてしまうのだろうか。
「紅い葉の一つ一つの輪郭と重なり、それぞれが作る模様」
那雪の声に合わせて奈々美は微かに顔を傾けながら視線を忙しなく映しているようだった。
「ちょっとずつ色とか光が透ける姿が可愛くて」
そうして美しさをその目に映し続ける那雪に対して奈々美はすぐに目を那雪の方へと向けてしまう。
「ごめんね、炎みたいでやっぱり苦手」
ここでようやく語られた本音に目を丸くした。思いのほか原因が重大なものだったようだ。奈々美の人生において炎は宿敵のようなモノで、人類の進化に携わるそれと相性が悪いということは何かしらの進歩を否定しているようにすら見えて仕方がなかった。
「そっか、私こそごめん」
炎のよう、那雪の心の中でもそんな感想が浮かんでいたはず。それでも奈々美への配慮が足りなかったという事。自分の事が嫌いになってしまいそうだった。
「なゆきち」
まつ毛の動きだけで悟られてしまっただろうか。雰囲気で分かってしまうものだろうか。奈々美の目は申し訳なさでいっぱいだった。
「なゆきち、おみくじ引きに行こ」
これ以上は紅葉を眺めることすら危うくなっていた。素直に楽しむことが出来ない場所からは逃れるように立ち去る。
神社の境内へと戻る。そこもまた紅葉の葉でいっぱい。散った葉たちが地面を塗り潰す。その景観は立派な絨毯の敷かれた燃え上がる社。
恋神籤を引いて、開く。二人共に見合わせて、笑顔を浮かべた。
既に恋人はそこに居たのだから。
「それじゃあ、帰ろっか」
満足を抱いて箒に跨る魔女の姿を目にしてつい笑ってしまう。その箒は本来落ち葉などを集めて掃除するためにあるものではないだろうか。
そんなことでさえ、笑みを引き出すきっかけとなっていた。
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