第19話 外読書
木枯らしと呼ぶことは出来るだろうか、それともその言葉を当てはめるには少し早いものだろうか。時期と気温のどちらも共に中途半端な寒気を放っていた。
那雪のほっそりとした身体を包み込む服は編み込まれたマスタード色のセーターとその上に羽織る厚手で固さを感じさせる手触りをしたカーキ色のコート。
隣に座っている奈々美はもこもことした白い服を纏っていた。奈々美の話ではあまり重ね着をすると太って見えてしまう、ただでさえ少し肉付きが良いのだから余計にそう見えてしまう、とのこと。
恐らく着込むことに関しては那雪程幾つも重ね着できる人物はある種の不健康の塊だと言える。大人になったら危うい、そんな話を耳にしたことがあった。
そんな二人は公園のベンチで乾いた空気の無感情に触れながらそれぞれ本を読んでいた。
現実世界の中で手軽に異なる世界に思える部分に触れることの出来る物語。那雪は何処かの国に住まう男が女と過ごす話を覗き見ていた。西の方の何処かの都会で塔に上って鐘を鳴らし、酒に身を預けて甘ったるい言葉で愛を誓い合う。そこで男に向けて女は言うのだった。
あなたは自分の事をおかしくしないと愛を叫ぶことも出来ない。
そんな頼りない男がどのような活躍を見せるのか、そんな話を期待するのは愚かなのだろうか。仕事以外の場面ではただただ意気地なし。きっと女の方から様々な言葉で攻められてしまうことだろう。しかしそのような愛の形もあるのかも知れない。那雪は自身が頼りないだけにそんな人物とは付き合えない、付き合ってしまっては互いの為にならないのだと断言していた。
やがて本は閉じられる。結局変わることの出来なかった男は挙式から女の妊娠出産と当然の流れを受け身で歩んで来た事を後悔しながら限界に近い身体と想いで手伝う姿が日本人の大人の姿とどうしても重なってしまった。
奈々美はどのような本を読んでいるのだろう。晴れているにもかかわらずどこか優れない色をしている寒空は灰色の雲を流しながら己も軽い灰色をしていた。
那雪の中に息づく感情の余韻を上手く吹き飛ばしてくれるものだろうか。乾いた空は心を遠くまで運んでしまいそうだった。
暇な中で一人。隣に好きな人がいてもただ一人。想像の糸を張り巡らせて感情の空を泳ぐ。
奈々美に出会って救われた事、様々な日常とちょっとした魔法のある生活、他にも目に見えることや感じた事。一緒にアイスクリームや空のパフェを食べた事や海での薄暗さを感じながらも優しい時間を過ごした眩しい海でのこと、料理の出来ない奈々美の役に立つことが出来る数少ない機会。
日常だけでも虹色の日々を過ごしていたように感じられる。
それに加えて慰めの為に空を飛んだこと、所々でたまにしか扱われない魔法たち。様子を見る限り使いこなすことは容易ではないのだという事実。きっとこれからも全てが成功するわけではないだろう。
そんなちょっとした非日常の彩りがキラキラと輝きながら辺りに散っていく。
那雪にとってこの半年程度の時期は特別で、当たり前のことだとは思えない程に嬉しいものだった。
きっと奈々美という魔女の魔力無き魔法に魅せられてしまったのだろう。この世で最も優しい幻想の惑いはただの日常を絵画のような美しさを持った日常へと変えて行った。
今にして思えば奈々美がいない生活はどれ程厳しいものだっただろう。大切な人に甘え過ぎていないだろうか。そんな不安に襲われてしまう程の甘み。
ただただ座って自分の歩んで来た物語を振り返っていただけ。それだけで時間は幾程でも過去に流されて行く。灰色の雲に乗って消え行く。
気が付けば奈々美は本を閉じて那雪の姿を見つめていた。
どのような事を考えていたのだろうか、そんな疑問に思い出語りが始まる。中学生という若々しい口から思い出話。それは受け入れても良いものだろうか。
奈々美微笑みながら何度も頷き、冬の寂しい木々のような枯れ声に耳を傾けて、静けさにて気が付いたことを告げる。
「少し、声から力が抜けて来てるみたいね」
緊張の表れだったのだろうか、強張っていたそう。もしかすると人間というモノにちょっとした不信を抱いてしまっていたのかも知れない。
やがて奈々美は読んでいた物語の内容を語り始めた。
それはちょっとした仕事の片隅で起きた事件の話。一つの事件の謎を突き詰めると様々な黒みを帯びた事実が明かされて行くものの、結果的に犯人はただ一人だったのだという。
「なゆきちの苦しみも私の苦しみも犯人が一人なら楽だったのにね」
運命は罪無き者を悲しみのレールに平気な顔をして乗せてどこまでも深くまで傷を入れて高笑いをする。そんな様子はあまりにも残酷で、しかし抗うことは簡単なものではない。
「だから私たち、二人で一つの幸せを」
単純ではない人生を歩む為に一人で不器用なまま進んで来た二人。出会いは偶然でも、関係は必然だったのかも知れない。
乾いた空、潤いを奪い取って笑っているそれに負けない二人の絡み合う想いはこの道を歩む覚悟と共に揺らめいていた。
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