第14話 海

 パフェを食べに行ってから一週間が経過した。那雪は待ちに待ったこの日に胸を躍らせる。奈々美の箒に跨って空を飛ぶ光景が誰かの目に入っていないことを願いながら、密かに進み続ける箒に身を預ける。誰にも見られないことはないだろう。隠し通すには世界に生きる人間の数はあまりにも多過ぎる。その全ての人物の不規則な視線の数々を一切受けないようにするのは不可能と言って差し支えなかった。

 サラサラと広がり滲む空、ギラギラと輝き飛び続ける太陽、照らされてキラキラと煌めきを見せる海。

 どれもこれもが人の手を超えた美しさを手にしてはしゃいでいるようだった。

 やがてたどり着いた。無事ではあったが見られずに済むなどといったことはなかっただろう。下手な番組に投稿されていない事だけを祈りつつ、奈々美に礼を述べる。

「ありがとう」

「どうも……一人じゃ行けない場所だものね」

 那雪の小遣いの許す範囲では行くことの叶わない場所、それが今手の届く所にあった。

「水着持ってきてるかな」

 那雪に問われて奈々美は頷く。

「けどやめた方がいいわ、私は」

 そうは言っても那雪は綺麗な彼女の水着姿が見たくて仕方がなかった。きっと男たちは常にこのような欲望を抱えていることだろう。もっと言えば似たものを常備して生きているのかも知れない。

「お願い」

 どうしても、そんな想いが届いたのだろうか。奈々美はしばらく海の眩しさに目を細めるように影を貌に這わせていたものの、やがて顔を上げて承諾し、二人揃って更衣室へと向かう。

「何故か人がいないんだ」

 那雪が疑問を抱く。気にするほどに違和感は膨れ上がるものの、気にしたらいけないような気がして頭の片隅へと追いやった。

 手早く着替えを済ませる。奈々美と二人で選んだ水着。奈々美の方はこの日に対して後ろ向き。態度で分かってしまうにもかかわらず奈々美に金を払わせてしまったことを悔やみつつ日焼け止めクリームを塗る。

 その際に嫌でも突き付けられてしまう現実に那雪は眉を顰める。

 全体的に薄っぺらで脂肪の宿らない身体、斜めに走る鎖骨の下には薄っすらと浮き出た幾つかの筋のような骨に女とは思えない程に小さな胸。色気など微塵にも無くてため息が零れ落ちてしまう。

「やっぱり、この身体じゃあ」

 やせ細っている割には、肌の触感の割には主張の控えめな肋骨は初めから那雪本人を嗤っているように想えて仕方がない。全体的に貧相に見えてしまうのだ。

「栄養足りてないのかな」

 呟きながら砂浜へと向かって行く。日頃からスカートやズボンで覆い隠していた細くて力を感じさせない脚が露わとなっているのが恥ずかしくすらあった。

 砂浜の熱を受け続けること十数分は経過しただろうか。奈々美は中々出てこない。更に沈黙を、時間と言う栄養にすらならないものを貪り続けて十分近くが経っただろうか。空気中を蔓延る熱は砂の上で波を打っていた。

 待ち続けた那雪の方へと寄って来る姿をようやく目にした。伸びた背筋としっかりと踏み出される足。堂々と歩く姿勢はこの上なく美しく全体的に肉付きの良い身体はどこか美しい。

 しかしながらその美しさを崩してしまうものを目にしてしまった。

 白い肌、お腹から右側の太ももにかけてだろうか。意識して露出しなければ見えない範囲を焼いたと思しき跡がくっきりと住み着いていた。

「お待たせ」

 震える声はいつもの調子とは打って変わって弱々しさが主な成分。

「その、身体」

「言ってなくてごめんなさい」

 奈々美に付けられた火傷跡は暗い過去の象徴のように思えた。

「本来〈東の魔女〉は四つの元素の魔法が得意なの」

 那雪には四つの物が分からない。一つだけ、奈々美の身体を見て気が付いた程度のもので。

「水、土、風、そして火」

 本来、奈々美はそう言った。しかしながら奈々美の身体には火が襲い掛かって来た痕跡が居座っている。

「私が本来の得意魔法以外をたくさん使えるのは生まれつきの苦手からだったわ」

 語られなくても分かってしまう、同時に那雪の中に生まれた罪悪感が奈々美の色っぽい身体を覆う黒いパレオのビキニと共鳴する。

「小さい頃に炎の魔法を使うことに失敗して、今もたまに試してはダメで」

 美しい顔に手を伸ばす曇り、それは奈々美だけが持つ苦しみだった。

「多分魔法を使う脳と別にある臓器が火傷してるとこらへんの何処かにあるのね」

 魔法のことなど全く分からなかったものの、那雪に希望を与えてくれていた奈々美の笑顔という魔法が音を立てながら崩れ去ろうとしている事だけは分かった。

「神さまも意地悪ね」

「ごめん、知ってたら」

 誘わなかったのに、そう続けようにも言葉が枯れて出て来ない。声に力が宿っていなかった。

「いいの、いつか話すつもりではあったもの」

 それから那雪の頬に手を添えて顔を近付ける。

「それより、全体的に細くてやっぱり大好き」

 言葉と共に添えられたのは温もりに充ちた優しいキスだった。

「魔女の接吻よ、元気出して」

 ツラいのは奈々美のはずなのに、那雪が励まされているという事実に情けなさを感じながら奈々美の身体に腕を回す。

「可愛い腕で抱いてくれるのね、ありがと」

 それから二人は煌めく宝石の海の中へと潜り込む。熱い世界の中に同じように広がるものだとは思えない程の冷たさに悲しみさえも冷やされて、代わりに暖かな恵みをいただいた。

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