第11話 ラムネ

 太陽が煌めいて、空と名付けられたサイダーに美味の色を付ける。それはあまりにもハッキリとした色で、しかし炭酸の泡の加減を教えてはくれない。夜空はあれ程泡立っているのに。

 そんなことを考えながら上空の深海をその目で追いかけ続けて途方もない距離感に飲むことは出来ないものなのだと思い知らされて。

 気が付いた時には隣に見知った女が立っていた。

「奈々美、来たんだったら挨拶」

 驚きに思わず引き出されてしまった言葉はどうしてもこのような姿を取ってしまう。もっと優しくてきっちりと形作られた事を声に出来ないものか、思い悩んでしまう。

「ごめんね、なゆきちの表情全部見てたくて」

 魔女の奈々美、彼女は那雪の表情の一つ一つを知って何を行おうとしているのだろうか。悪用はしないだろう、ただ信じていた。

「なゆきちの今日の貌で私は生きて行けるわ」

「大袈裟過ぎ」

 那雪が見ている世界について問いかけることなど何もないものだろうか。今この時那雪が見つめている景色、巡らせている感情、空に抱く印象、何もかもを話してしまいたくなった。

「なんだか空がサイダーみたい」

 抱き締め続けていた言葉、内側に抑え込むために回していた手を放して。話題とはこうして生まれるものなのだと確認しながら。

「雲が泡とかアイスクリームで」

 途端に奈々美は言葉を紡ぎ、想いを受け取り自分の想いを見せて行く。

「サイダーいいね、私にはラムネに見えたわ」

 ラムネ、あまり変わりのない例えに首を傾げて那雪の口は開かれようとしていたものの、一秒程度の間は奈々美の次の言葉を引き出す為に充分すぎる準備時間だった。

「太陽がラムネのビー玉みたいじゃない」

 空に堂々と居座り爽やかな輝きを放つラムネのビー玉、泡と共に弾けるような心地で散りばめられた光は那雪にはゼリーの破片のようにも見えるものの理解自体は得られて納得を見せた。

「似たものなのにそれぞれ違って面白いね」

 細かな違い、些細な差が観点の違いを大きく映しているもので、そんなことに面白さを感じている那雪に対して奈々美はいつになく細い笑い声を零しながら繋がりの温もりで空気の熱に柔らかさを与える。

「なゆきちはちょっとした事まで愛おしいのね」

「幸せを与えてくれるものなら何でも」

 日頃から楽しみなど殆どなかった。時たま読んでいる本に書かれていることを思い描くにも想像することが出来なければ目いっぱい楽しむことは出来ないだろう。文章の海に溺れることは書かれた言葉の一つ一つに触れて味わう事、勝手にそう思っていた。

 読書については奈々美には分からない世界とのこと。彼女にとって文章の列は飽くまでも知識をつかみ取るための物なのだから。

 那雪とのものの感じ方が異なってもそれはそれで今のこれはこれ。

 空を眺めて感性を片手で弄る様に跳ねさせることが出来るのだから素直に尊敬していた。

 奈々美は那雪の頬を柔らかな両手で挟み視線を空から取り上げる。那雪と顔を合わせる形で沈黙の五秒間。桃色の感情を、リンゴにも似た香りの情をすぐに届けることが出来る奈々美は不思議な魅惑の持ち主だった。

「今からラムネ飲もうかしら」

「今から」

 那雪はどうにも会話というものが苦手なようだった。経験なのか元々人間としての才能に乏しいのかやせ細っている身体が示す通り足りていないのか。分からないものの考えてみても答えは出てくれない。

「今の季節なら近くのスーパーでも置いてるはず」

 那雪には分からない、気にしたことすらなかった。日頃の食材や飲み物は基本親の思う通り、お菓子は許してもらえた時に許しをもらえたものだけ。金が無いがためにこの辺りの自由は利かないもので、かつ小遣いも一か月につき千円程度しかもらえなかったが為に気楽に買いに行くことすら叶わない。売り場を確認することすらなかった。

「そうなんだ」

 返すことの出来る言葉など限られていた。あまりにも経験が乏しすぎて考える以前の問題だった。

 いつもの公園から既に姿の見えている店の堂々たる事。一階建てで辺りに並ぶ一軒家やアパートよりも背の低い場所ではあったものの、彼らよりは広い。毎日の生活の味方として最低限の身を構えているそれは生活の味方に相応しい広さの駐車場を備えていた。

 ただ単に買い食いをする地元の中学生たちも多い中、那雪にはそのような余裕がなくいつも総菜を手にしている集団を見つめては羨ましさを込めた眼差しをちらちらと向けるだけ。

 そんな彼女が今日は珍しく買い物をするのだ。

 二人並んで入店からの外の熱と蔓延る冷気の差に身を震わせながらもすぐさまラムネを手に取り会計を済ませて再び強い熱と空の明るさを上回る激しい太陽のスポットライトを浴びる。

 プラスチックの玉押しをラムネの蓋の役割を果たしているビー玉に被せて勢いよく叩く。

 カランコロンとガラス同士が心地よい音を立て、どこからか湧いて来た泡が上り始める。

「どう」

「ふふっ、美味しい」

 少しだけ流し込み、喉を通る泡たちの刺激に軽い痛みを覚えつつも味に舌を打つ。

 気持よさを携えながらラムネ瓶の中を覗き込む。そこには確かにビー玉の太陽が浮かぶ壮大な青空の海が広がっていた。

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