第8話 駄菓子屋アイス

 日差しが降り注ぐ、熱気の雨が身を焦がそうと必死に舞い降り容赦など知らない。それがアスファルトの地面を焼きながら跳ね返り、上と下の両方から空気を焼いてしまおうと挟み込む。

 そんな七月の熱に那雪は思わず目を細めてしまう。

 七月といえば先日は夜の天野川で例の二人は一年ぶりの逢引は叶ったものだろうか。地上から見ても分厚い雲に妨げられて分からなかった。

 織姫と彦星の行く末を知らない那雪。これから今日も紡ぐこの関係は誰の目からも那雪から天井への視線に似ていた。誰も知らない関係、誰も触れないやり取り。

「お待たせ」

「そんなに待ってないよ」

 三分待っただろうか、そうでもないだろうか、その程度の時間で待たせたと言われる感覚に未だに慣れない。

 奈々美は那雪の手を取り日差し顔負けの笑顔で歩き出す。

 那雪はくたびれたスニーカー越しの地面の固さを感じながら奈々美の冷たくて柔らかな手を握りしめ、日差しだけが原因だとは思えない熱を感じる顔を微かに背けていた。内側から滲み出る、全身へと駆け巡って行く。この感情をメガネと前髪だけで隠しきれるものだとは到底思えなかった。

「なゆきちったら照れてるの」

 おかしなあだ名、初めは男なのかマンガのキャラクターチックなのか、そんなあだ名で呼ばれることに違和感を抱いていたものの、今となっては実に慣れ切ったものだ。奈々美のしっかりとした潤いのある声で自分が呼ばれているというだけでどこまでも嬉しく思えた。

 電信柱の周辺だけが揺れている。内側と外の熱が空気をほんのりと揺らしている様が見て取れた。

 地面に寝転がっているネコは毛繕いをしながらも、二人が近づいた途端、耳を震わせるような様で揺らして動きを止める。視線は那雪たちの方へと向かっていた。那雪が手を振って返すものの野良ネコにヒトの感情は伝わらなかったのだろう、欠伸を交えて何事もなかったかのように再び毛繕いを始めた。

 そんな愛しい姿を後にして、熱い日と言えばセミだと奈々美が鬱陶しそうな顔をしながら語る様に思わず微笑んでいた。

「思うでしょ、あのうるさいの」

「頭痛くなるよね」

 それ程までではないけど、そう返って来て、やはり人によって感覚は違うものなのだと思い知らされた。

 きっと奈々美にはもっと様々なものが見えていることだろう。聞き取ることだけでなく、メガネ無しでもその目に映る煌びやかな世界。きっとそこにこの世の本当の姿が映っていることだろう。耳が捉える世界も人間としては彼女の方が普通を見ている。

 那雪の感覚は全体的に歪んでいた。

 それから更に少し歩く。車が進みづらいであろう、ただでさえ狭いのに家の壁となるレンガやコンクリートに駐車スペース、フェンスたちが妙な仕切りを作り上げて素直な直線を描いてくれない。

 そんなところでも夕方になれば児童や生徒の通りが活発になり、社会人への容赦など知らない。今は昼間、昨日のコーヒーの余韻を引き摺りながら那雪は目の前の景色に心を打たれていた。いつも通っているはずのそこでも奈々美の姿が、通わせる心があるだけでも全く違って見えた。

「なゆきち、今日は駄菓子屋に行くよ」

 駄菓子屋などという単語を耳にしたのはいつ以来のことだろう。

 二人がたどり着いたそこは一見すると民家とそう変わりない所、シャッターが開かれているが為に辛うじて店だと分かる事が出来る場所。ドアの一つもなくむき出しの店に立つ老人は時代と共に減った需要に如何なる想いを馳せていることだろう。

 そんな中で奈々美はアイスの入った箱を見つめる。

「今から魔法を使うから」

 そう告げて透明な蓋をスライドしてその手を伸ばした。

「当たりを引き当てる魔法」

 老人からすれば見慣れた光景だろう、客の殆どが小学生から中学生、時として子連れ。どの客でも語ってもおかしくないこと。

 奈々美は神経を張り巡らせてアイスを二つ手に取る。那雪はそんな様をただ見ていることしか出来なかった。

 金を支払い那雪と並んで道路の真ん中で微笑む。

「きっと両方当たるから」

「そんなこと出来るの」

「多分全部当たりに変えるから」

 それはもはや不正だろう。那雪は思わずささやかな笑い声を引き出しながら袋を開く。奈々美は目を閉じて告げる。

「一緒に引き出すよ」

 那雪の方もそれに倣って口を開いた袋に居座るアイスの棒をつまんで目を閉じた。

「そーれ」

 ともに取り出したそれ、共に取り出したところで変わりはない。

「よく考えたらアイスの中に書いてるんじゃないの」

 那雪の言う通り、棒の中でもアイスに包まれた部分に書かれているようで、アイスを食べてみるまで分からない。つまり、早まった心意気はただの無駄だった。

 それから二人で暑さに身を揺らし、山や森で見かけた植物のことから街に咲く花にこの狭い世界を住まいにしているネコ、犬に引っ張られて散歩させられている有り様の少年と言った日常で見かけた事を軽く話しながらアイスを食べ終え二人共にハズレだったという結果を目にした。

「失敗したかな」

「魔法って」

 本当に当たりを引き当てる力を持っているのか、そんな疑問すらアイスの味わいに溶けて言葉にならなかった。

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