第6話 アジサイと傘

 ジメジメとした暑さはどこまでも伸びていく。薄っぺらな気候、分厚い湿度、つかみどころのない気温。何もかもが快適な生活の妨げになってしまうという季節。

 しかしながら日本に住む上では仕方のないこと。季節は四つの顔を切り替えながら何度でも回り巡る。昔と比べて何処か違和感を抱いてしまう動きをしながら季節は顔を覗かせる。きっと季節も毎年異なる動きをしている、或いは三百六十五日の流れについて来ることが出来ないのか。何はどうあれ周期はズレを見せたり日数が曖昧な記憶でも分かる程にまばらであったり。様々な感想を抱かせる環境を肌全体で感じていた。何かが張り付くような纏わりつくようなジメジメとした心地、メガネ越しの目線ではその実体を捉えるには至らない。

 那雪は気持ち悪さを抱きながら傘を差して歩いていた。降り注ぐ雨は心地が悪く傘は水を受けても育たない花。あまりにも不快な環境。嫌にならない理由がなかった。

 黒で統一された道路は濡れて妙な色気を醸し出す。両脇に引かれた白線は濁り切って輝きを得られない。

 この雨を堪えながら足を踏み入れる場所、そこは大きな池のある公園。昨日からアジサイを一緒に眺めたいという希望を唱えて奈々美はしっかりと頷いてくれた。

 草が生い茂る濡れに濡れて踏み心地の変わってしまった地を歩いては昔学校の遠足で通ったことを思い出す。あの日の那雪にとってはあまりにも身近な場所で面白みの欠片もない場所に感じていた。家から近いと言いうわけではなかったものの友だちの家の近くだったこともあって待ち合わせ場所としてよく使っていた。

 そんな彼女が今日久々にこの場所を待ち合わせ場所として使っていた。

 草原の中で白い半袖のシャツと重たく感じさせつつも軽い揺れをする黒のノースリーブワンピース、それが今日の那雪の装い。木を編んだような印象を与えるサンダルは細く白く薄い足をしっかりと覆う。自分の身体よりも頼りになるような印象を与えるそれは那雪の頼りなさを強調しているようで仕方がなかった。

 そんな那雪の姿を目にして喜びの色を見せている高校生もいたものだった。

「お待たせなゆきち」

 男とでも思っているのだろうか、そんなあだ名で呼んで来る女は部集めのグレーのシャツとその上から薄手の白のレースの上着を纏い、下はふくらはぎまでを覆うオリーブ色のスカートで彩られていた。奈々美は傘を畳んで那雪の傘を勝手に取って二人で収まろうと纏まった。

 那雪の頬に熱が生まれた。傘と言う狭いそこにて生まれた恥じらい。身体を寄せ合い濡れないように入り込む様は狭い密室に収まるようで

「恥ずかしい」

「だってなゆきちの声通らないもの」

 奈々美の言う通りだった。枯れ声のように聞こえる弱々しい響きは傘に反響して外にまで出て行く気がしなかった。実際別々に傘を差したならいつもの声の大きさではかき消されてしまう。そうなってしまえばただの音でしかなかった。

「ごめんなさい」

「謝って欲しいんじゃないんだけどね」

 奈々美はそのまま歩き出す。それについて行くように那雪の足が動いて行った。そのまま草の張り巡らされた地を抜けて赤い滑らかな赤レンガのような地面を歩き坂を上る。

 赤い地面に赤い壁、そうしたモノに覆われて作られたそこは何故だか派手な印象を与えることなく上手く纏まっている。

 やがて壁がなくなり道を挟む草木が姿を現した。崖を思わせる演出を施した草の向こうに見えるものは随分と低い位置に見える車道とアパートの二階及び屋根。

 空は常に泣いていてそれ程までに息苦しいのかと問いかけたくなってしまう。

「雨、止まないね」

 奈々美が言葉を届けたその時、那雪は草に覆われたアジサイの花を目にしていた。

「いっぱいの花、みんな仲良しだね」

 それぞれが身を寄せ合う花々は誰も彼もが水色で、そうかと思えば隣で纏め上げられる集団は晴れ空のように青々としていた。

 雨に濡れたアジサイはいつもより大人のように感じられた。

「肩を寄せ合って集まる姿は人みたいね」

 那雪は常々気になっていたことを訊ねてみる。

「アジサイってどうしてそれぞれ違う色をしてるのかな」

 那雪の質問は微かな沈黙を広げ、やがて奈々美の口から知識があふれ出す。

「土の成分で変わるみたいよ」

 アジサイの変わりゆく花びらの色、花言葉には移り気というものもあってまさにアジサイの印象そのもの。

「環境で色を変えるなんて人みたい」

 人間ほど複雑な感情を持つ生物はどれ程いるのだろう。少なくともアジサイにそのような物は見られないが。科学で説明のつく変化でありながらあまりにも繊細な様は人の在り方そのものを見ているよう。

「人だって誰と一緒に居て何を見ているか、それによって何色にでもなるもの」

 那雪は言葉を失った。こみ上げてくる温かな気持ちに名前を付けることが出来なくて、言葉を添えることすら出来なくて、黙り込むことしか出来なかった。

 そんな姿を見つめながら奈々美は微笑んで那雪の腕に腕を絡める。

「ほら、色が変わった」

 那雪の頬は確かに柔らかな桃色を帯びていた。

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