第11話 オフィール

 あくる日、城が慌ただしいことに気が付いた。

 魔物の襲来の音は聞いていないから違う。しかし、城中がどこかピリリとした緊張感に包まれていた。


「何かあったのか」


 タガーナイフを落ち着きなく触っているサムエルに声をかけた。最初は怖くて声などかけられなかったが、回復魔法を使って以降サムエルを含む者たちの態度は軟化していったので、彼らがナイフを持っていようと斧を担いでいようといつでも声を掛けられる。


 サムエルはほんの少し迷う素振りを見せ、私の頭の上にいるライラックを見て「まだ小さくて食べられませんね」とコメントし、ため息をついた。怒りの鳴き声が聞こえるので、ライラックはサムエル相手でもメンチを切っているらしい。


 なんてヒヨコだ。本当にヒヨコなんだろうか。自分のことを人間だと勘違いしていないか?


 ちなみに、エストラーダ辺境伯領では魔物以外の動物も大体が平均より大きい。馬だって大きく、牛や豚も何を食べたらこんなに大きくなるのだと言いたくなるほど大きい。もちろん、それはニワトリもだ。このライラックも将来、とんでもなく大きいニワトリになるのだろう。辺境伯の身長だって高いのであるし。


「テオドール様が帰ってこられています」

「それは……辺境伯の兄では?」

「左様です。大方、二度目のドラゴンが出現した話でも聞いて他国から戻ってこられたのでしょう、今更」

「今、彼は執務室だろうか?」

「はい。デライラ様には誰も入れるなと言われていないので、行かれても大丈夫です。婿殿ですからね。えぇ、むしろ行くべきでしょう」


 普通、来客中なら誰も入ってはいけないと思うのだが。サムエルは彼にしては珍しく落ち着きなくナイフを触っている。いつもなら獲物から視線を離さずに触っているはずなのに、あちこち視線を彷徨わせている。これはきっと「あんたが邪魔しに行け」ということだろう。


「必要ならばこれをお使いください」


 無理矢理手を取られて、ズシリとしたタガーナイフを渡される。


「ご安心ください。それは軽い予備ですので舐めていません」


 そういう問題じゃない。なぜナイフを真顔でやたら決まったウィンクまでして渡してくるのか。サムエルがやればいいだろうに。


 いや、辺境伯は兄の間違ったウワサを流して兄を貶めてまでドラゴンの呪いから守ろうとしていたのだから、サムエルだって大いに誤解しているのだろう。このナイフが登場する機会はないはずだ。しかし、突き返してもサムエルにはのらりくらりと躱されてしまい、結局持ち歩く羽目になった。


 恰好だけは書類を持ってノックして入ると、中には辺境伯とライナーと見たこともない紫紺の髪のこれまた背の高い男性がいた。間違いなく、辺境伯と血のつながりを感じさせる男性だ。髪型以外とてもよく似ている。


 というかライナーはいいのか、初めからここにいて。ほんの少し胸がムカムカした。


「あぁ、来たか」


 辺境伯はなぜか笑うと、書類を持った私の腕ごと私を引き寄せて隣に立たせる。

 急な接触に驚いたものの、そのまま私は辺境伯の隣に立った。少しばかりドキドキしている。義兄である人の前で、すれ違っていた妻と隣り合っているのだから。


 辺境伯の兄テオドールは急に現れたヒヨコを頭に乗せた私の出現に驚いたようだったが、すぐにその表情をかき消す。


「彼がオフィール第一王子殿下か?」

「そうですよ、兄上。彼のおかげでドラゴンの呪いは解呪されましたので。兄上の苦労は徒労に終わりましたね」


 辺境伯は私の腕を抱き込みながら、もう片手でシャツをまくって自分の腹を見せる。腹筋が見事にバキバキに割れた腹を私は凝視してしまった。視界の端でライナーは見ないように、大きく天井を見上げている。本当に彼は弁えた男だ。


「回復魔法でドラゴンの呪いが解呪されるなんて聞いたことがない」

「されましたが」

「俺が他国を回って調べた結果分かったのは、ドラゴンの呪いを解呪できるのは聖女だけだ」

「じゃあ私の夫は聖女だったということか」

「私は女じゃない」


 辺境伯が意味ありげに股間を見てくるので、私は慌てて否定した。


「分かっている」


 辺境伯に笑いながら腕を叩かれたが、本当だろうか。お互い裸を見せたことだってないのに。いや、私は辺境伯の意識がない時に見たけれども。こんなに見事でしなやかな筋肉がついているところまでは余裕がなくて見ていなかった。


「第一王子殿下は聖人である可能性が高い。これは神殿に報告しなければならないだろう」

「え、それはなぜ?」


 挨拶もしていないのに義兄に聞いてしまった。

 神殿? そもそも神殿は王家と仲が悪いから付き合いなんてなかった。


「神殿は聖人および聖女を探している。隠すのは重罪なんだ。分かった時点で報告しないといけない」

「私は聖人ではない」

「あなたが使っているのはおそらく普通の回復魔法ではない。その部分だけ時間を巻き戻しているような類の魔法だと思う。そうでなければドラゴンの呪いは完全に消えないんだ。それならば、殿下が使っておられるのは聖人及び聖女の魔法だ」

「心当たりなどないし、王家は神殿と仲が悪い。別に回復魔法だと思っていればいいじゃないか」


 同意を求めるように辺境伯を見ると、なぜか彼女は考え込んでいた。


「辺境伯?」


 不安になって呼びかけると、彼女は視線を上げた。

 久しぶりに紫の目と至近距離で視線が絡み合う。それだけで私の心は踊った。自分のあまりのチョロさを呪いたい。これでは私ばかり辺境伯を好きみたいだ。


「あなたが聖人認定されれば、神殿の力を借りて王位に就けるのでは?」

「私は王位に興味がない」

「でも今王都で貴族たちは揉めているだろう?」

「あぁ、それはそうだ。今度は王弟かその子供を担ぎ出そうとしている。そろそろ市井から自称隠し子でも見つかるはずだ」


 ドラゴンまで出たのだから、エストラーダ辺境伯領まで私を捕まえには来ない。彼らにそんな余裕はない。私の評判を落としたところで第二王子の評判が上がるわけでもないのだから。


「聖人になって国王になったらいいのではないか。兄上、神殿にはどうやって連絡を? まずは連絡してみなければ始まらないだろう」

「呪いについて調べるうちに伝手ができたから、私から連絡が取れる」

「じゃあ、まずは」

「待ってくれ」


 怪しい雲行きに口を挟んだ。

 一体、何が始まるのだろう。彼女は私に「死ぬまで寄り添え」というようなことを言っていたのに。聖人になった方が私に利用価値があるのか?


「万が一、私が聖人だったとしよう。しかし、今はタイミングが悪い。神殿と王家は仲が悪いんだ。そんなところに私が接触したとなればまた王妃を刺激する」

「第二王子の評判は王都ではよくないのだろう? 王妃が第一王子殿下を気にする余裕はないのでは?」


 辺境伯の兄テオドールは静かな声を出す。辺境伯の声には威圧するような力があるのだが、兄の方は聞いていると不思議と落ち着いてくるような声だ。それに兄の目は辺境伯のように紫ではなかった、灰色だ。


 そしてテオドールの大きな片手には手袋がはまっていた。彼はドラゴンの討伐で酷い火傷を負ったということを思い出す。神殿に伝手があるのに高度な回復魔法を受けていないのは、神殿が腐敗しているからか、それとも金はあったが辺境伯の呪いを優先したからか。


 神殿はかなりの金を積まないとこの傷は癒してくれないだろう。


「あちらに余裕はないだろうが、神殿がおかしなことを考えるかもしれない。私を担ぎ上げて王位を狙い、王都で争いが起きては困る」

「第一王子殿下は慈悲深い方のようだ」

「王都はどうでもいい。ただ、雪が降る前にネルソン村の復興は終えておきたい。できれば実りの祭りまでに。そのために王都で争いが起きるのは好ましくないんだ。商人たちが買い込んで価格が跳ね上がるから。そうすると余分に金がかかる。そうしたら冬支度のものも買えなくなるし……ある投資が思うほど利益が出なくて予算以上は組みにくい」


 ネルソン村。それはドラゴンに焼かれた村で、辺境伯が父を失った村だ。

 聞いた話だが、エストラーダ領では実りの季節に王都と同じように祭りがあるらしい。そして厳しい冬を迎えるのだ。寒さは厳しいが、魔物も動かなくなる季節である。


「あなただって、辺境伯の呪いを解くために方々を巡っていたはずだ。それならエストラーダ領に損になることはしないはず。私の使える回復魔法についての解明は今ではない」

「まぁ、兄上。今日は私の無事を見に来てくれたのだろう? じゃあ、まずはもういいじゃないか。兄上が金品を盗んで出て行ったという嘘の話はちゃんと打ち消しておくから、城の兄上の部屋を使うといい」

「いや、宿を取っている。私は一度エストラーダからどんな理由であれ逃げ出した人間だ。金くらい落としていく。それに私が金品を盗んで出て行ったのは本当の話だ」

「そうか。ライナー、兄上が今日の所はお帰りだ」


 ライナーはその大きい体からは想像もできないほど俊敏に動くと、なぜか私の前に来て両手を差し出した。


「え?」

黄色腕白おうしょくわんぱく一号をついでに散歩させてきます」

「あ、あぁ」


 本当に彼は弁えた男だ。腹立たしいほどに。

 彼はこう言いたいのだ。「ヒヨコを口実にしばらく戻ってきませんから」と。


 ただ、私のヒヨコは弁えることなどしない。ヒヨコの辞書に「空気を読む」「弁える」など存在しない。

 変な名前で呼ばれたことが癪に障ったのか、私の頭が存外尻にいいのか分からないが、頭から引きはがそうとすると喚いて抵抗した。


 ライナーの両手で上下にすっぽり檻に掴まったようにされる頃には、私の頭は鳥の巣くらい爆発していた。

 この一連のヒヨコ騒動をテオドールは若干諦めを滲ませた目で見ていた。私もヒヨコを飼う前だったらこんな目をして見ていただろう。


 ライナーとテオドール、ライラックが出て行くと辺境伯の部屋は途端に静かになった。主な騒音の元は小さなライラックだったが。


 ライナーの素晴らしい気遣いにより急に妻と二人きりにされて、何を話せばいいのか分からなかった。あんなに切望していた瞬間なのに。だからだろうか。


「サムエルはどうしてタガーナイフを舐めているんだ?」


 気になるがどうでもいいことのために口を開いてしまった。一瞬で後悔が襲ってくるが、唾と一緒に呑み込む。


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