第12話 デライラ

「サムエルは相手に自分の得物をわざと開示して、相手が油断してから絶望に歪む顔を見るのが趣味だから」


 私が説明すると、夫の顔は分かりやすく引きつった。

 サムエルがあんな風に死を恐れず、むしろ死を望むように戦うようになったのは父が丸焦げになって死んでからだ。サムエルは彼なりに、私は私なりに父の死について思う所があった、それだけだ。


 夫は小さく頷くと、それ以上何を口にしていいのか分からないように途方に暮れた様子だった。


 こうして夫とヒヨコさえなしで二人きりになるのは、ドラゴンの呪いを解呪されて起き上がったあの日以来だ。

 病み上がり、いや呪い上がりでしかもドラゴンとの交戦の後だったから精神状態が普通ではなかった。だからあんなに私は無防備に振舞ってしまった。


 翌朝起きてから少しばかり後悔した。そして魔物狩りに行ってさらに後悔した。


 私をあざ笑うようにミミックが出たのだ。

 ミミックは弱い魔物だが特殊な能力を持つ。頭の中を覗き見て、最も大切な者の姿を模倣するのだ。これまで何度も見せられたのは、ドラゴンによって黒焦げになった父の姿だった。


 しかし、今回は違った。

 ミミックは私を見た瞬間黒い小さなポヨンポヨンした体を揺らして醜悪に笑い、ヒヨコみたいな夫の姿になった。父の姿が夫に置き換わったのだ。黄金の髪だけは残しているのに、黒焦げになったヒヨコの夫。


 慣れている、そんな死体を見ることには。慣れないとやっていけない。

 いちいち足を止めていたら死ぬだけ。それなのに、黄金の髪が太陽の光に反射して煌めいて私は一瞬足を止めかけた。


「デライラ! 何してやがる!」


 斜め後ろからライナーの切り裂くような声が聞こえて、すぐに模倣したミミックに剣を突き立てた。


「本調子じゃねぇなら帰って寝てろ!」

「寝ててもこのくらい倒せる」

「集中しろって言ってんだよ!」


 ライナーは戦闘中、特に口が悪くなる。

 ミミックを全部倒してから、ライナーの背中に向かって口を開いた。


「ライナーの前ではミミックは何に模倣してるんだ」

「……死んだオヤジだ」


 幼馴染だからこそ分かる。こいつは嘘をついている。語尾が小さくなるのだ。


「そうか」

「デライラは?」

「黒焦げになった父」

「……だろうな」


 だから、私も嘘をついた。

 面白いことに、ミミックの模倣は人によって違う。同じミミックを相手にしていてもライナーと私には見えているものが違うのだ。


 父は言った。「大切なものをたくさん持てば強くなるし、自分が生きて帰って来る楔になる」と。

 でも、父は帰ってこなかった。それどころか私の目の前で死んだ。私なんかよりも父は圧倒的に強かったのに、あんなに早く死ぬなんて。あの日、何が間違っていたのか私はまだ分からない。


 そこからはずっと絶望している。悪い夢を見続けているみたいに。


 父上、大切なものを新しく作ったら私は弱くなりました。

 たかがミミックの前で一瞬とはいえ足を止めかけるくらいには。この魔の森は私に弱さを決して許さないのに。

 失うものが何一つなく戦える方が強くないですか?

 少なくとも私は、ドラゴンの呪いを受けて子供も望めずに早く死ぬことが決まっていた時の方が絶対に強かった。何も期待する余地などなかったのだから。



「言いにくいんだが……お兄さんは怪しくないか?」

「どうだろうか、帰って来るタイミングとしては何も怪しくないな」


 夫に意識を戻す。うっかり物思いにふけっていた。


 兄は私の呪いを解くために大喧嘩の末に出て行った。金品を勝手に持ちだして。二度目のドラゴン出現を聞いて私を心配して戻って来たならば、タイミングとしては怪しくない。


「なんだか、私が邪魔なようだったから」


 夫はおずおずと机に浅く座ろうとした。彼の頭はヒヨコのせいで乱れて爆発している。私は手を伸ばして彼の手を掴むと、そのまま引っ張って自分の膝の上に夫を乗せた。


「ひぇ!」

「体幹の鍛え様が足りない」


 私はガシガシとヒヨコが荒らした夫の髪を整えた。

 夫は体を硬直させたまま、私の膝の上でされるままになっている。


「ピヨ一世は何を考えている?」

「ピヨ一世じゃない! ただ、あなたの兄は私をエストラーダ領から離したがっているように思えた」

「兄は王家に少しばかり恨みがあるのだろう。私よりも執務に関わっていたし、父に代わって王家に支援を求めていたこともあるから」

「あなたまで聖人認定を受けろみたいなことを言っていたじゃないか。神殿が腐敗していることは知らないのか? ネルソン村の教会だって建て直しすらしてくれない神殿だぞ。聖人になんて認定されたら、私はエストラーダ領に来させてもらえないかもしれない」


 あぁ、そういえばネルソン村の教会について要請を送っても梨のつぶてだったな。


「神殿が腐敗しているのは知らなかった」

「王宮だって同じだが……」


 あぁ、このヒヨコの夫は私に寄り添うと言ったのだった。ネルソン村をはじめとしてエストラーダ領のこともたくさん考えてくれている。


 でも、それなら神殿で匿われていた方が良くないだろうか。だって、この夫は弱い。すごく弱い。人間なら元第一王子だからと命だけは助けてくれても、魔物は見逃してくれない。

 私は仲間であるセルヴァが傷つくのでさえ耐えられないのだ。この夫が傷ついたら? ミミックが模倣してもショックを受けたのにどうするのだ。


 二回目のドラゴンとの交戦の後、私は夫の前で無防備になりすぎた。急に開けた未来にどうしていいか分からなくて。子供も作らず、早く死ぬとばかり思って生きていたのに。


「何か変なことを考えていないか?」


 イスの肘掛けに肘をついて考えていると、夫が顔を覗き込んできた。

 彼は家族に裏切られてきたから妙に察しがいいところがある。私も兄を疑うべきだろうか。兄が戻って来たタイミングは疑いようがない。ただ、聖人を気にして神殿に連絡を取ろうとしていたところは怪しい。急に信心深くなったのか? 神は魔物を追い払ってくれないと一緒にぼやいていたはずなのに。


「兄が何を企んでいるのかと思ってな。辺境伯の地位が欲しいなら早くそう言えばいいのに」

「二度の竜殺しまでしたあなたをトップから下ろすのは無理じゃないか? 周囲が納得しない」

「兄が何か企んでいて私と敵対するようなら、あなたは神殿にでも匿われた方がいいのかもしれないと先ほど考えた」


 夫の体がビクリと揺れる。この夫は軽すぎて、膝の上でも震えない限り存在感がない。

 だがこの存在感のない重みと共に過ごせば、その思い出で私が苦しむことは目に見えていた。思い出などない方がいい。そうしたら悲しまなくていい。父との思い出はありすぎた。兄もだ。


「……私は辺境伯がどんな状態でも寄り添うとあの日に約束した」

「危険なことはしなくていい。無駄死と早死はしたくないだろう」


 整えた夫の黄金の髪に再度何気なく手を伸ばそうとしたが、振り払われた。


「私のヒヨコは反抗期か?」


 夫はごそごそ背中から何かを取り出した。

 見覚えがある、サムエルの予備のナイフ。なんだ、一丁前に私をナイフで脅すつもりか。


「あなたにまで見捨てられるのなら……私は死ぬしかない」


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