第9話 デライラ
目を開けると、そこには綺麗な黄金が広がっていた。
私はどれだけ金、金と思っているのだろう。死んでからも金を見るなんて。王家にケチられたことをよほど根に持っているのだろうか。
目の前の黄金をぎゅっと掴むと柔らかかった。
しかも、その黄金はモゾモゾ動く。何本かブチブチと黄金が抜ける。
「痛い……」
最近の黄金は喋るらしい。ぼんやりしていると、黄金が起き上がって人の形になった。
「辺境伯?」
ふむ、黄金に呼びかけられた。死後の世界でも貴族制なのか。
しばしぼんやりしていると、目の前で手をひらひら振られる。
「おかしい、呪いは消えたはずなのに」
黄金は私の服を勝手にめくって見ている。腹に冷気が当たってすーすーする。
「腹の呪いは消えてる。じゃあ、心臓か……」
勝手にシャツの胸元のボタンをはずそうとしているので、思わずその手を掴んだ。触れるとはどういうことだろうか。
「ん?」
「あ、良かった。気付いたか」
よく見たら黄金は彼の髪と目だった。書類上の夫に大変よく似た男がラフな格好で側に座っている。
手をついて起き上がると、自室のベッドの上だった。ということは、目の前の男は書類上の夫か?
「どういうことだ?」
「ドラゴンが現れたと聞いて、王都からすぐに戻って来た」
「私の……呪いは?」
「私の回復魔法で何とかなった」
起き上がって自分のシャツをめくる。
ずっと、あの日から毎日あったはずのどす黒いものが腹にない。襟ぐりを掴んで胸元を見るが、そこにも何もない。
「まさか」
書類上の夫の肩を掴んで、すぐにシャツをめくる。腹には何もない。というか、なんだこの腹は。白すぎる。
「いや、待て。男はこっちに出るのか」
呪いが彼に移ったのではないかとズボンを脱がせようとすると、慌てて距離を取られる。
「解呪は魔法で成功した! 移ってない!」
「本当か」
「えっと、心臓部分なら見せられるが……下はちょっと……」
彼は恥ずかしそうにそう言ってシャツを大きくまくった。どす黒い呪いはどこにもない。
私は安堵のあまりベッドボードに背を預けた。
「王宮はどうなった。あのケチ臭い陛下の容態は?」
「知らない」
「は?」
「会う前にあなたがドラゴンを討伐して怪我をしたという知らせが入ってきたから、とんぼ返りだ。途中でライナーからドラゴンの呪いの話を聞いて……」
「ライナーめ。私の渾身の遺書を勝手に読んだな」
はぁと私は大きくため息をつきかけて、それどころではないと思い出す。
「いや、待て。なぜ陛下に魔法を使わずに帰って来た。今すぐ帰れ、反逆扱いされる」
「そんなことはない。だって私は辺境伯の婿なのだから」
「それは王命を断っていい理由にならない」
「ではこう言えばいいだろうか。私を一度も守らなかった父よりも、私は辺境伯を助けたかった。それだけだ」
彼の黄金のような金髪がさらりと揺れた。
自分の手を見ると、先ほど掴んだのは彼の髪だったらしく黄金色の髪が数本パラパラと落ちる。
「王命に逆らえばどうなるか分かっているのか?」
「分かっている」
「では、なぜ?」
「私はあなたにとってヒヨコで、何の助けにもならないことは分かっている。でも、それでもあなたが痛い思いをしている時、呪いで苦しんでいる時には抱きしめたい」
「……あなたはただの書類上の夫だ」
ヒヨコだと自分で言いながら、何を恥ずかしいことを大真面目にピヨピヨと口にしているのか。
私はドラゴンと戦って先ほど目覚めたばかりだというのに。なぜこんな告白紛いなことを書類上の夫から言われなければいけないのか。大人しく陛下に回復魔法をかけて、適当な貴族令嬢と結婚し直せばいいものを。せっかく送り出してやったのに。ライナーとセルヴァまでつけて。あの二人はこの行動を傍観したのか? 後で倒れるまで稽古をつけてやる。
「私にとっては、ただの押し付けられた夫だ」
「私はただ……あなたに生きていて欲しかった。あなたの痛みなら代わりに受けたかった」
魔物一体狩れないくせに、何を偉そうに言っているのか。女のように綺麗な顔立ちをして。
「私のエゴだということは分かっている」
しかもこうやって早々に予防線を張ってくるのも気に食わない。何がエゴだ。人間なんてエゴでしか生きていないだろうが。私だってこの結婚を金のために受け入れたのだ。
しばらく黙って考えた。こんなにイライラするのは、なんとかドラゴンの呪いを解呪しようとする兄を止めた時以来だ。別に私が死ぬことなんてどうでもいいのに、兄は私を助けようと盲目的に行動した。
目の前の書類上の夫の何が最も気に食わないのかを私は黙って考える。
魔物が狩れないことは最初から分かっていた。鍛えれば、なんとか人食いウサギくらいは狩れるだろう。武力がなくても彼には先見の明と金を稼ぐ力がある。それに回復魔法まで。その魔法はドラゴンの呪いでさえ解呪できるほどだ。
一体、私はこの男の何が不満なのか。
「……病み上がりなのにすまない。私が王命に逆らったことでエストラーダ領に迷惑はかけない。どうせ王家にはかなり民衆から不満が溜まっていたようだから、ロイドと一緒にそのあたりは何とかするから」
ベッドのそばから離れようとする書類上の夫の背中を見て、私はやっと分かった。
この男の、大事な場面で逃げようとするところが嫌いなのだ。
「待て」
この男はいつもそうだ。武力はない、しかしそれを補うほどの他の能力を持っている。それなのに、なぜこうも予防線を張って安全なところに逃げるのだ。
いつもいつもこの男は困ったように頼りなく笑って、大事なことを口にしていない。明日私が死んだらどうするつもりだ。
「今度は私から逃げるのか」
「私は……逃げていない。あ、確かに王都からは逃げてきたように見えるかもしれないが……辺境伯が心配で。父よりも辺境伯が大切だから!」
彼は出て行こうとした足を止めて、必死に言いつのる。しかし、緊張しているようで手を握ったり開いたり落ち着きがない。
「言いたいことははっきり言え。明日、大切な者が死んだらどうする。私にはドラゴンの呪いがあった。子供も望めないし、早死にする女だ。そんな女と結婚しているあなたは哀れでしかない。あなたは武力もないし、辺境に合わないから離婚して別の令嬢と結婚すればいいと送り出したのだ。金は十分もらったし、あなたが王になるならこの結婚の王命は無効にできる。それなのに、あなたは陛下を放ってノコノコ帰って来た。帰って来る必要のないここに」
「っ、それは……」
「ハッキリ言え。私はそういう思いであなたを送り出したのだ。あなたなら第二王子よりも立派な国王になるだろうと、信じて。それなのにあなたは何だ? 帰って来てゴニョゴニョと私が大切だの、抱きしめたいだの訳がわからんことばかり言う。解呪してくれたのはありがたいが、何なのだ。このまま離婚するのか、しないのか。王都に戻るのか、戻らないのか」
書類上の夫の握った拳が震えているのが分かる。
ハッキリ言えないのは命を狙われ続けて、裏切られたことがあるなら仕方がないのかもしれない。だが、仕方がないはエストラーダでは死を意味する。
私がドラゴンを倒せなかったら仕方がない? そんなことは通用しない。だが、私が呪いで死んだとしてもまだ兄がいる。
「辺境伯は……私との結婚は金のためだっただろう?」
「その通りだ。呪いもあったしな」
「呪いは今日で消えたはず。私との結婚は今、辺境伯にとって何なんだ?」
「やはり金だな。あなたには金を稼ぐ能力がある」
「っ! 結局、あなただって私と同じだ。私はいつも逃げているが……あなたは一切自分を大切にしていない。呪いだって自分一人に降りかかればいいと思っているだろう! エストラーダ領が無事であればいいと! 金だってあなたのためじゃない、エストラーダのためだ。あなただって自分の心を殺している」
目の前にいるのは書類上の夫のはずなのに、彼の発言は兄と最後にした言い合いそのままだった。
あぁ、なるほど。きっとこの書類上の夫もすぐにここから出て行く。兄だってそうだった。
解呪なんてしなくて良かったんだ。ただ、父がいなくなって不安な私と一緒に、死ぬまでエストラーダを守ってくれれば良かったのに。それなのに、兄は私を救うために無鉄砲に出て行った。私は呪いから救ってほしくなんてなかった。ただ、竜殺しになっても兄に寄り添って欲しかった。
それをやってくれたのはライナーだけだ。いや、ライナーはこんな面倒なことは言わないか。ライナーはここまで私に真っ直ぐぶつかってこない。こっそり遺書を盗み見ても、知らん顔ができる男だ。結婚に対する小言も少し言うだけ。そう考えると、お互い寄り添っているようでないし、心を救おうともしていない。
ドラゴンの呪いがあって彼とは結婚しなかったが、それで良かったのだろう。ライナーとは結婚したところで、ずっと上司と部下の関係だろうから。こんな図星で不愉快なことをライナーは言わない。心の柔らかい部分に土足で踏み入ってこない。私だってそんなことはしない。
「そんなあなたを……好きになってはいけなかったのか」
「は?」
何も言えないでいた私に、書類上の夫はいつの間にか近付いてきていた。金色の目に薄く涙の膜が張っておりキラキラ輝き、彼の手は相変わらず震えている。ヒヨコのような夫は健気にプルプル震えながら口を開いた。
「あなたのその犠牲的な生きざまを美しいと思って……あなたを救いたいと思って……それでも無理で。私は無力だから。でも今日はあなたから逃げたくなかった。あなたが痛い思いをしている時に、呪われて死にそうな時に……その時くらい無力で何もできない私でも側にいたいと思ってはいけないのか」
「……ははっ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
付き合いの長いライナーでも、生まれた時から一緒の兄でもなく、押し付けられたはずのヒヨコの夫が私の欲しい言葉をなぜくれるのか。
今まで誰もくれなかったのに。どうしてお前が。ヒヨコの癖に。
どうして私の最も欲しい言葉をお前がくれるのか。
目の前に立っているはずの夫の姿が滲む。
その夫は急にアワアワしながら、ハンカチを取り出している。いつもなら鼻で笑うその女々しい動作さえ、私のためだと思うと心が震えた。
滲む視界の中で、彼の服を掴んで引き寄せた。体幹の鍛え様が足りない夫は簡単によろめいて、私の体を乗せているベッドの上に倒れ込む。
彼の胸元を掴んで引き寄せて、無理矢理彼の唇を奪った。そうでもしないと、私はここで激しく泣いてしまいそうだった。
最初のうちはプルプル震えてされるがままだった書類上の夫は、しばらくしてやっと私の背に手を回してくる。
唇を放す頃にはお互い息が上がっていた。
「私の側にいるつもりがあるのか」
「も、もちろん」
「死ぬまで?」
鼻同士を擦り合わせながら聞くと、彼はくすぐったそうに頷いた。
「じゃあ、私がどんな状態でも寄り添うように……兄も誰もそうはしてくれなかったから」
「……本当に、これからずっとここにいてもいいのか」
「良い」
頼りない体躯の夫の体を抱きしめると、一気に彼の体は緊張した。
「そもそも、呪いの確認で私の肌を見たのだろう」
「い、いやそれは……解呪ができているか見ないと分からない」
「じゃあ、責任も取ってもらわないとな」
まさか押し付けられた夫が本当に私の黄金郷になるとは知らなかった。
彼の胸に頭を預ける。これほど自分が無防備になるのは久しぶりだ。夫の指が私の髪をそっと梳くのを感じながら、私は目を閉じた。
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