第8話 デライラ

 書類上の夫が王都へ向かうのを見送ってから、五日後のことだった。


「大変です! 何者かが魔の森に火を!」

「また隣国か?」

「今回はこちら側から火の手があがっています!」


 ほんの少し考えて、私は笑った。ここまでするか、と。


 タイミングから見て、これは王妃と第二王子の手の者の仕業だろう。我々が第一王子を支援しないように、この地に縛り付けておくために。いや、あるいはこの辺境ごと潰す気かもしれない。迷惑なことこの上ない。第一王子を押し付けられた上にこれか。


「兵士たちはすぐに準備を! ドラゴンの出現に備えろ! 他は消火と避難誘導に全力を尽くせ!」


 以前、奇妙に空が歪んでそこからドラゴンが出現した。あの魔の森が存在すること、それが世界の何かのバランスになっているのだろう。


「投石機の準備! ありったけ矢を集めておけ!」


 指示を飛ばして外に出る。あの日のように、魔の森の上空はすでに奇妙に歪んでいた。


「まずい! やはり来るぞ!」


 そこから時間をかけて、少しずつ空が裂けていく。

 私はほんの少しだけ祈った。前回ドラゴンは真っ直ぐこちらに来た。隣国が火をつけたのに。隣国のせいなのに。だから、今回はあちらに行って欲しい。


 亀裂から大きな爪がのぞいた。

 その爪を見た瞬間、私の腹は熱くなる。ドラゴンの呪いを受けた部分が熱を持ってうごめいているような感触だ。


 次にのぞいたのは金色の目。赤い鱗に金色の目のドラゴンは、間違いなく上空から私をひたと捉えていた。耳を塞いでも意味がないほどの大きな咆哮を上げてドラゴンは亀裂から這い出て、エストラーダ領に向かってくる。


「まったく。この前も隣国へと行けばいいものを! よほど私が好きなようだな!」


 私のかけ声と共に投石が始まった。

 以前のドラゴンよりも動きが鈍い。いや、以前はこれほどの台数の投石機はエストラーダになかった。これは書類上の夫の金で揃えたのだ。


「何とか地上戦に持ち込め!」


 石が何度かドラゴンに当たる。矢も立て続けに放っているので、何本かは命中してドラゴンの翼に小さな穴が開く。


 早い段階でドラゴンは魔の森に落ちた。これでまた村を焼かれる事態は避けられる。というか、今回のドラゴンはまだ火を噴いていない。ドラゴンの種類だろうか。


「ああなれば、ただのデカいトカゲだ!」


 夫の金で念のためにと買いそろえておいた手投げ式の爆弾がドラゴンには有用だった。特別な訓練も要らず、標的が大きいので狙いやすい。ついでに魔の森の他の魔物も討伐できる。


 まさかこんなに早く使う機会があるとは思っていなかった。「こんなのがあるよ」なんて情報を持って来た頼りない体躯の書類上の夫を思い出す。鍛錬して足腰は少し鍛えられたが、エストラーダ領の男たちに比べたらまだまだ細い。


 ドラゴンとの戦闘中にそんなことを考えている自分に気付いて、ふっと笑った。以前のドラゴンの時は死なないように必死だった。父が丸焦げになり、足の速い兄は囮を買って出て怪我を負いながらもドラゴンの目の前をひたすら走ってくれた。


 あの時に比べたら、父も兄もいないのに相当楽をしている。でも、ドラゴンは心臓を刺さなければ死なない。この役目は私がやらなければいけない。


 手投げ式の爆弾による煙が晴れてから、私はドラゴンに近付いた。


 さすがに二度目の呪いともなれば、どうなるか分からない。

 一瞬だけそんな考えが頭を過ぎったが、机の引き出しに入れた遺書は必ず誰かが見つけるだろう。

 振り上げたドラゴンの爪を切り裂き、すぐに間合いを詰めてからドラゴンの心臓に剣を突き刺した。


 ライナーやセルヴァが、兄を探し出すだろう。臨時でライナーに辺境伯は任せればいい。サムエルだっているのだし。


 あぁ、書類上の夫はどうするだろうか。あの回復魔法があるから、ここにとどまっても邪険にはされないはずだ。ロイドだって兵器の開発に乗り出して変なものを作っていた。何だったか、唐辛子入りの煙幕だったか? あれは魔物にも有効だったな。


 いや、そもそも書類上の夫は第一王子だった。

 王妃と第二王子さえ退ければ、彼は国王になれる。私は取り乱すことしかできなかったが、彼は私にとって家族にも等しいセルヴァに回復魔法を使ってくれた。


 あれは諦めてはいたが、痛みの分かる男だ。投資も成功させていて先見の明もある。武力で一緒に戦うことはないが、彼とは一緒に戦っている気もしてきている。


 カリスマ的な国王ではないが、ロイドみたいな側近を複数つければ優しい良い王になるだろう。傲慢ではない国王はいい。そうすれば、辺境だって他の地域だってもっと支援してもらえる。傲慢で強欲な王はダメだ。いくら尽くしても、のらりくらりと支援を断られる。


 私から見たらよちよち歩きの黄金のヒヨコのような男だが、あれはあれで面白い。彼にこんな辺境など似合わない。

 私みたいに戦いに明け暮れて呪い持ちで学園にも通っていない者ではなく、ちゃんと令嬢教育を受けた王妃にふさわしい令嬢を迎えたらいい。


 私はここで魔物を狩り続ける。エストラーダの人々を守りきるために。いや、その前にドラゴンの呪いですぐに死ぬか。それは兄に託すしかないな。


 前回はドラゴンを殺してすぐに腹が熱くなった。今回は心臓が掴まれたように痛い。


「デライラ様!」


 サムエルの声が聞こえる。

 多分、私は死ぬだろう。二度もドラゴンの呪いを受けたのだから今回こそは無事では済まない。サムエルの他にも声が聞こえたが、ドラゴンの心臓に剣を突き刺したまま私は気を失った。

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