第4話 デライラ

 そこからは相変わらず、夫婦というよりも同居人のような生活が続いた。領地を案内したり、晩餐を一緒に食べたりなど関わりは多くなったがそれだけだ。書類上の夫に突っかかられることもないし、変に偉そうに口を出されることもない。


 仕事を割り振ったわけではないが、書類上の夫は投資を続けているらしく「あれが足りないんじゃないか」「これを使ってみたらどうか」と領内を見て回って進言はしてくる。


 部屋は初日からずっと別だ。どうせ私は妊娠などしないのだ。それを国王も分かっていて婿入りさせたのだろう。



「セルヴァ!」

「主君……申し訳ありません」

「バカ! 喋るな! お前にはもうすぐ二人目が生まれるのにどうしてこんな無茶を!」


 問題は私が出なかった魔物の討伐で起きた。一族で仕えて一緒に戦ってくれているセルヴァが魔物の毒を浴びたのだ。毒を持つ魔物などめったに出ないのに、相当な不運だ。


「これは新種の毒ですね。解析から進めないといけませんが、その間に毒が全身に回るでしょう。腕を切り落とすしか命が助かる道は……」

「そんな! それではもう彼は剣が握れなくなってしまう!」


 医者はどす黒くなってはれ上がったセルヴァの腕を見て首を振る。


「切り落としてください」

「セルヴァ!」

「殿下! いけません!」


 私の叫びと全く関係ない誰かの叫びが重なった。

 医者が器具を用意するために離れている間に、私の横には書類上の夫が立っていた。


「少し彼に試したいことがあるんだが、いいだろうか」


 夫は静かに口を開いた。


「セルヴァの腕が今より良くなるなら何でも。彼はもうすぐ二人目の子供が生まれるんだ。両腕で抱かせてやりたい」


 腕を切り落とすなんて、彼が誇りを持っている兵士としてはもう生きていけない。縋れるものなら、切り傷くらいしか治せない回復魔法にでも何でも縋る。


 側近のロイドが後ろでなにか騒いでいるが、夫は何のためらいもなくセルヴァの腕に触った。蛍の光よりも弱く、淡い光が灯ったと思ったらセルヴァの腕は元通りの色に戻っていた。セルヴァも信じられないらしく驚いたように腕を動かしてみている。


「医者に確認してもらってくれ」

「これは……」

「辺境伯、他に深刻な怪我の兵はいるか?」

「あ、セルヴァほどではないが二人……」

「どこだろうか、彼らか? 案内してくれ」


 夫はそのまま二人に回復魔法を使うと、気を失って倒れ込んだ。



「どういうことだ?」


 倒れた夫をベッドに運んで側近のロイドを問い詰める。彼は私を前にすると、魔の森に入らされた記憶が蘇るらしくやや震えながらも睨んできた。失礼な、目の前で人食いウサギを十匹ほど殺しただけだろう。返り血を浴びたくらいでピィピィ文句を言うとは。


「切り傷を治すくらいしかできないのではなかったのか」

「それは殿下が隠していらっしゃったからです。その、亡くなった王妃殿下が悪用されるから力はなるべく隠せと言い遺しておられたので」

「わざわざ切り傷しか治せない演技でもしていたのか」

「はい。そのくらいの回復魔法持ちならいても不思議ではなかったので」


 浅い切り傷を治せる回復魔法持ちは平民にもいるくらいだ。回復魔法持ちだけでくくるとその数は多い。しかし、深い傷を治せるだとか解毒できるということになれば、その数は急激に減る。そういう強い回復魔法を使える者は王家やら貴族家に抱え込まれる。


 そういえば、この側近はかたくなに夫を殿下と呼び続ける。癖もあるのだろうが、私を妻とは認めないと言っているのと同じだ。今はそんなことを聞いている暇はないので、重ねて質問する。


「悪用というか、回復魔法の搾取だろうか。正直、これほど回復魔法を使える人を私は知らない」

「私もそう思います。殿下のお力は大変強いのです。それが知られれば、陛下あるいは辺境伯が殿下を監禁でもして死ぬほどこき使うことも考えられました。味方のいない王宮は言わずもがな。そして殿下はここでどんな扱いを受けても文句は言われないのでしょう?」


 ロイドは睨むのをやめて、今度は探るような視線を向けて来た。


「あぁ、使者にはそう言われた」

「辺境伯はそのような扱いをする人でないことは……分かっています。ここではそんな扱いをされる人はいない。ただあまりに殿下への扱いは酷くて日常的に警戒してしまい……こんな態度で大変申し訳なく思っております。殿下は何度も家族や婚約者に裏切られてきたので……私は殿下にこれ以上傷ついて諦めて欲しくないのです」

「力を使わないようにしていたのに、なぜ今日は使ってくれたのだ? セルヴァと仲が良かったわけではないのに」

「殿下もこちらに来て心境の変化があったのでしょう……私は反対しました。申し訳ないのですが、やはり会ったばかりの辺境伯様を信用できず……それなのに殿下は力を使ってしまわれました」

「体に負担はかかるのか?」

「今日は久しぶりでしたから。魔法だって使えば疲れます。剣を振るうのと同じです」

「しかし、今日は本当に助かった。ありがとう」

「……私は反対しました。私はあの男性の腕と将来よりも殿下が大切だったのです。しかし、殿下はそうではなかった。殿下はきっとあなたのために力を使ったのです。ですから……お礼はどうか目覚めた殿下に」


 心境の変化とは何だろうか。

 私は彼を王子様扱いも夫扱いもしていない。しいて言うならば地下に金でも隠し持っている黄金郷だとは思っているが、それだけだ。


 私はライナーや他の兵士にするように書類上の夫の頬をつついた。


 まさか、このひ弱な夫に助けられるとは思ってもいなかった。竜殺しと呼ばれても、私は自分のことを父に比べてまだまだ半人前だと思っている。父ならこんな押し付けられた結婚をしなくても、エストラーダ領を復興できただろうから。


 私はまだまだだ。もっと強くならなければならない。

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