第3話 デライラ

 狩った魔物を解体して城に運び込む作業を監督していると、ライナーが話しかけてくる。


「儀式用の剣くらいしか持ったことのないヒョロヒョロの王子だったな。髪も長くて女性みたいだ」

「あぁ、だが女に狂ったわけでもなさそうだ」

「見て分かるのか? デライラは男と付き合ったこともないのに?」

「分かる。ライナーだって恋人すらいたことがないのに何を言っている」

「俺だって告白くらいされたことはある。デライラの補佐が忙しいから断っただけで」

「へぇ、罰ゲームで告白?」

「おい、こら」


 二人でいつものように気安くギャアギャア言い合っていると、急にライナーが一点を見つめて黙った。つられて見ると、先ほど夫となった第一王子とその側近がやって来たところだった。二人とも怖がりながらも興味深そうに魔物の死体を眺めている。


「荷物はすべて運び終わったのだろうか?」

「あぁ、日当たりのいい部屋まで用意してもらってありがとう」


 早速礼を言われて、私は少しばかり鼻白んだ。


 もっと偉そうなやらかした王子が来ていろいろ文句をつけてきたのなら、最初にエストラーダの流儀を拳と足と剣で叩きこんでやろうと思った。しかし、やって来た王子は女のように綺麗な顔立ちで、私よりも綺麗な長い髪をなびかせて諦めきった目をして礼儀正しく振舞う。


 拍子抜けだ。これは明らかに王位争いに負けて都落ちした王子ではないか。むしろ、後ろの側近の方が生意気そうだ。やらかした生意気な王子の鼻でも折ってやろうと思っていたのに。そうしたら少しの間、それが娯楽になった。


「魔物を見るのは初めてか?」

「一度だけゴトフリー辺境伯領への公務で見た。もっと小型だったと記憶している」

「あぁ、あちらは小型で俊敏なのが多い。こちらは大型が多い」

「これらの死体はどうするんだ?」

「肉は食料に。毛皮や牙は剥いで加工して売る」


 王子は頑張って馴染もうとしているのかいろいろと質問してくる。その健気な様子に思わず目を細めていると、王子はハッとした。


「辺境伯は先ほどまで討伐に行っていたのに、こんなに質問攻めにして申し訳ない」

「今回は数が予想より少なかったから大したことではない。魔物が来ない時に屋敷や領地を案内しよう。予測などできないが、雪の降る季節が近付けば魔物もだんだん大人しくなる」


 一応、この王子が来たから辺境伯領に金が入って潤うのだ。金の分くらいは丁重に扱おう。目には目を、歯には歯を、拳には拳を、金には感謝を。


「来る途中に一際荒れた地域を見かけた」

「あれはドラゴンを討ち取った時に被害を受けた村だ。金が足りなくて復興できていなかったが、あなたのおかげで復興ができる」

「あぁ、それは良かった。金を貯めておいた甲斐がある」


 その言葉に私は首を傾げた。ドラゴンの爪痕からの復興は私の悲願だった。あの村が復興しなければ、父は焼け焦げて死んだままである気がしていた。しかし、金が足りなかったのも事実。他を切り詰めてまであの村の復興に回すだけの余裕はなかった。


「どういう意味だ? 王子がどこかに婿入りする際の持参金はあのくらいではないのか? 品格保持費だか何かがあるのだろう?」

「それもあるが、亡くなった私の母の資産や私の資産も入っている。投資も少ししていたし」


 金額を聞くと半分以上はオフィール第一王子の資産だった。取り上げられなかった僅かな母親の資産を元に投資で増やしたらしい。投資ってあのよく分からないものか?


「どうりであのケチ臭い陛下にしては気前がいいと思った」


 王子は悲し気に笑った。諦めたような笑みだった。


 この男はそこまで偉そうでもないし、金も出してくれたのだし、押し付けられた結婚だが何とかやっていけるだろう。


 何より、私は努力する人間が好きだ。彼は引きこもって部屋から出てこない選択肢もあったのに、出て来て私が何も言わないのにいろいろ領民や兵たちに話しかけて回っている。演技でもああできるのならば、きっと大丈夫だろう。


 私はそんな風に甘く考えていた。



「デライラ様。城内で殺しの許可をください」

「許したいところだが、まず理由を聞こう」


 王子が来てから一週間ほどたったある日。難しい顔をしたライナーが、家令サムエルを引っ張って連れて来た。


 家令のサムエルならば、直接私に意見しに来ればいいだけである。

 これはわざわざライナーを挟んだわけではなく、ライナーが不味い現場を見て慌てて止めたのだろう。すでにサムエルは仄暗い目でダガーナイフを手にして舐めている。これは明らかに殺る五歩手前だ。


 サムエルは五十代だが、若い頃は第一線で父と共に戦っていた勇敢なる兵士だ。若い頃は剣で戦っていたのに、今は暗殺でもするつもりなのか。暗殺者の割には血の気が多すぎると思うが……。


「お坊ちゃんの連れて来た使用人たちが、お嬢様、いえデライラ様を侮辱しましたし、先代たちが守り続けてきたエストラーダ領を何もない田舎だと」

「何もないのは確かだが、他になんと侮辱した?」

「とても口にできません」


 サムエルは私が「でべそ」と言われてもこのように言うだろう。ちなみにお坊ちゃんとは婿入りした王子のことだ。サムエルから見たらライナーでも子供扱いだ。


「先代たちとデライラ様とテオドール様のおかげで、あの者たちは平和に慣れ過ぎたようです。見せしめに毎日一人ずつ殺していけば凍るような恐怖を思い出すでしょう。躾に最も有効なのは恐怖。ライナー、何日であいつらが逃げ出すか賭けますか?」


 ライナーが止めていなければ、確実にありもしない窃盗罪でも被せてサムエルはやっていただろう。サムエルがうっかり口にした「テオドール」の名に私は心が一瞬だけ疼いた。テオドールとは、私の兄の名前だ。


「サムエル。私がこの件は預かろう。なぜなら王都の人間は魔物を見たことがないのだ。見たことがないものを想像するのは難しい。死ぬ前に魔の森に一度突っ込んでやろう」

「あんな不味そうな人間、魔物でさえ願い下げでしょう」


 ふむ、サムエルは予想以上に怒っている。ライナーをちらと見ると、彼は首を振った。制御できません、ということか。


「一度魔の森に投げ入れて、それでも改善しないならサムエルの好きにしていい。王家が寄越した人間を不用意にバカスカ殺すのはよくない。あいつらは一応貴族だからな。せっかく食料や復興の資材が手に入るんだ。通行料を上げられたり、材料を売ってもらえなかったりしたら困るだろう」

「デライラ様がそうおっしゃるなら一度は我慢しましょう。二度目などありませぬ」

「サムエルが殺すと、掃除が大変だからな」


 剣呑な光を目に宿したまま、サムエルは引き下がった。

 あのサムエルの様子なら、明後日には半分が殺されていてもおかしくない。

 私は他の使用人たちに聞き取りをしてから、王子の部屋に乗り込む羽目になった。もうこれからは面倒なので書類上の夫と呼ぶことにしよう。すでに彼は王子ではないのだから。


「話がある」


 私が突然訪ねて行くと、書類上の夫は読んでいた何らかの資料から目を離した。文字、数字、数字と数字だらけの書類だ。


「何かあったのだろうか」

「あなたが王都から連れて来た使用人の態度が悪すぎる。具体的に言えば侮辱的で大変差別的だ。制御できないなら王都に突き返してくれ」


 命が惜しければ、とはさすがに言わなかった。サムエルの様子を知っていれば脅しではなく事実だと分かるだろうが、あのサムエルを見ていないなら単なる脅しだ。


 書類上の夫が連れて来た使用人の人数は本当に最低限だった。しかし、彼らはエストラーダで元々働いていた使用人たちに仕事を押し付け、お喋りばかりで何もしないのだ。しかも、エストラーダの使用人たちをあからさまに見下している。さらに、私とエストラーダ領をも侮辱した。


 仕事をしないのは不慣れと大目に見ても、エストラーダを侮辱することは私たちに剣を向けたのと同義だ。エストラーダを侮辱する、それは魔物と戦って死んでいった者たちをバカにされているのに等しい。


 私が最も許さないのはそれだ。彼らの存在にも死にも必ず意味があった。人はいずれ死ぬにしても、それを王都の魔物一匹狩ったことのない者たちにバカにされることはあり得ない。あってはいけない。ドラゴンの火に包まれて黒焦げになった父をバカにはさせない。サムエルだって背中に大きな火傷がある。


「それほど酷いのか?」

「あぁ、王都で辺境が田舎だの野蛮だの言われているのは知っているが。我々は魔物の脅威から国を守っていることに誇りを持っている。この地に来てまでそれをバカにされては、我々の存在意義はない。彼らの首と胴が離れるのが先か、それとも我々がこの地を捨てるのが先か」


 だめだな、殺すとか命が惜しくばとは言わないつもりだったが、結局同じようなことを言ってしまっている。


「殿下に対してそれはあまりにも失礼ではないですか。大体、辺境はマナーがなっていないのは事実です」


 書類上の夫を開口一番脅していると、ロイドとかいう側近が口を挟んでくる。確か得た情報によると、書類上の夫の乳兄弟だったはず。黄金の夫とは違って色素の濃い男だ。


「もう殿下ではなく、エストラーダ辺境伯の婿だ。いつまであなたは主人を王子様気取りで扱うのか」

「ここは殿下の資金で復興が進んでいるはずです」

「それは事実だ。陛下が父に出し渋った金を第一王子が出したということだな。それに関して感謝はしているが。これほどバカにされるならドラゴンを殺さず、王都に向かわせれば良かっただろうか」


 ロイドという男はなおも何か言いたそうだが、私が言葉を被せるのと書類上の夫が制止するのはほぼ同時だった。


「大体、どうしてマナーなどいるのだ。最高のマナーがあれば魔物がどこかへ行ってくれるのか。ここは辺境。今日一緒に飯を食った仲間が、明日には冷たい土の中ということもある。マナーとおしゃべりで何とかなる王都と同じに考えてもらっては困るな」

「ロイド、やめろ。辺境伯、使用人の態度は調査をさせるが事実なら申し訳ない」

「申し訳ないという薄っぺらな謝罪だけでは、我々の怒りは消えない。あなたの連れて来た使用人は我々や兵たちをバカにしたのだ。魔物と命懸けで戦い、家族を亡くしてきた我々を侮辱するなら相応の報いを受けてもらわねばならない。そこの側近も一緒に一度魔の森に放り込んでやる。マナーがどれほど魔物の前で意味がないか、知るといい。なんならあいつらに向かってカーテシーでもしてみろ。茶会をするなら湯と茶も用意しようか?」



 複数の証言もあったので、王都から来た使用人と側近を魔の森の入り口に放り込んだ、というか無理矢理連れて行って入るように剣や槍で突いて追い立てた。書類上の夫も行くと言うので同行させる。


 最後尾ではサムエルがダガーナイフを手にキビキビ歩いている。明らかに殺意しかない。


 どうせ入り口辺りには大した魔物は出ない。出たとしても人食いカピバラと人食いウサギくらいだ。

 エストラーダ領の民なら子供でも狩れる魔物だ。どちらも人を食べるのだが、他の魔物にやられた死体を主に食べるのだ。カピバラは動きがのろく、ウサギは大して攻撃力がない。


 しかし、王都から来た魔物を見たこともない人間には酷だったらしい。魔物というのはウサギでもなんでも独特の禍々しさを持っているのだ。動物のウサギと見た目がほぼ同じなんてことも、可愛い外見であることもない。


「ひぃぃ!」


 人食いカピバラがのっそのっそとやる気がなさそうに出てくる。

 その黒く禍々しい様子に何人かが悲鳴を上げた。そうこうしていると、人食いウサギが大きく彼らの頭上をかすめて跳ぶ。


「ひっ! 今、何か!」

「ただの人食いウサギだ」


 人食いウサギは着地すると、とがった牙を見せて威嚇してくる。死体を食べる人食いなのだから、顎や牙は発達している。


「ああいう牙を見せびらかしてくるのは弱い奴だ。強い奴なら黙ってさっさと人間の首を食いちぎればいいだけだから」

「そ、そうなのか」


 私の魔物解説にかろうじて返事をするのは夫だけだ。他の使用人たちは側近も含めて恐怖で体が動かないでいる。死人が出ないように兵士たちも引き連れてきているのだが、恐怖には勝てないようだ。


 あんな弱いのより、もっと厄介な魔物はたくさんいる。魅了を使う魔物や、最も嫌な記憶を引きずり出して目の前に見せる魔物、記憶を覗き見て最も大切な者の姿を模倣する魔物。

 私は黒焦げの父を何度あいつらに見せられたことか。


「人間だって弱い者ほどよく喋るだろう? それと同じだ。あいつらは弱い」

「どのくらい弱いんだ?」

「魔物の中では最弱。子供でも狩れる奴らだ。だが肉は美味い。昨日の晩餐に出た肉はあの人食いウサギだ。この地域では最も食べられて慣れ親しんだ、魔物というよりも食材だ」

「そうか……」


 夫はそれきり口をつぐんだ。

 試しに何人かにナイフや剣を持たせて、人食いカピバラを狩らせようとしたが近付くこともできなかった。


「使用人たちの態度は本当に申し訳なかった」

「気に食わなければまた森に放り込めばいいことだ。これで懲りなかったら本当のバカだろうから魔物の餌にするしかない。私はエストラーダを侮辱さえされなければこんなことはしない」

「……それはもう大丈夫だろう」


 顔色が悪いものの夫は頷いた。それ以降は使用人の態度は改善された。

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