第2話 相田友香の恋慕

「お帰りなさい」

「ただいま」


 相田友香あいだともかは、崇照が玄関の扉を開ける音を聞くや否や、直ぐに玄関まで行って出迎えをした。崇照は友香にいつも笑顔で返事をする。


「ご飯は?」

「まだだ。何かある?」

「カレー作った!」


 その日、友香は仕事も休みだったので、崇照が帰って来るまでの間にカレーを作っていた。と言っても、崇照が冷凍庫に買い溜めしているカット野菜を鍋に入れ、市販のルーをパッケージの指示に従って溶かすだけだ。友香としては、いつも世話になっている崇照の為に、元気があればもっと複雑な料理にも挑戦したいところではあるが、今のところはこれが精一杯である。


「助かる。食べようか」

「うん!」


 友香は早足で台所に向かい、二人分のカレーライスをよそう。崇照は普段、特に何も言わなければ友香が仕事に行っている間に二人分の料理を作ってしまうので、こういう機会がある時は出来るだけ腰を上げて腕を振るうことにしている。友香には今、帰る家はない。実家を飛び出し、若林ホールディングスの経営するホストクラブで散財をしたところで売掛バンスに手を掛け、子会社の運営する風俗店での仕事をしていた友香は、彼女の働く風俗店が経営不振で潰れて以来、崇照の世話になっている。彼女の働いていた店が潰れた遠因は、若林ホールディングスに敵対して王手を掛けた崇照にある。店が潰れ、借金だけが残った友香は、潰れた店の屋上からその身を投げようとしていたところで崇照に腕を掴まれ、命を救われている。その時は友香も、崇照が自分の境遇の遠因になっていることは知らなかったが、義堂崇照という名は街の隅々に轟いており、時が経つにつれ何となく彼が居場所のない自分を自宅に置いているのは、ある種の贖罪なのだということを察するようにはなった。今、友香は以前働いていた店の知人の紹介で別の風俗店で働くようになっており、自分の分の食費など含めた生活費の全ては崇照に渡している。最初、崇照はそれも受け取るのを拒否していたが「自分の気が治まらないから!」と友香が泣いたことで、渋々この共同生活を受け入れた。

 友香の作ったカレーを「美味しいよ」と言って平らげ、おかわりまでした崇照を見て、友香は一握りの幸福を感じた。夕食を済ませそれぞれ、就寝準備をすると、崇照はリビング、友香は寝室に敷いた布団にそれぞれ潜って眠りに就く。寝る前の睡眠薬と頓服薬が欠かせない友香は、自分が薬を飲んだことを必ず崇照にも確認してもらってから布団に入る。普段は薬の効きもあって、泥のように眠る友香だが、時折悪夢を見る。店がなくなった後、身を投げようとする前に、友香は借金回収に来た花崎セキュリティの人間に強引に拉致されそうになった。屈強な男達に破れる服もお構いなく、車に乗り入れられそうになったところから咄嗟に逃げ、友香はあの店の屋上まで向かったのだ。最近よく見るのは、その時の夢だ。


「崇照……」


 深夜も過ぎた時間に起き上がった友香は、リビングまでフラフラと歩き、崇照に声を掛けた。崇照はゆっくりと起き上がり、枕元に立つ友香を確認すると、布団の端に寄り、また横になった。友香は崇照のあけたスペースに潜り込み、崇照にしがみ付く。友香は、崇照と体を重ねたことはない。一度だけ、せがむ友香にキスだけ応じた崇照は「これっきりにしてくれ」と友香の頭を抱き締めるだけだった。それでも、友香が苦しい夜、崇照は何も言わずにこうして友香に胸を貸す。


「崇照、今日は大丈夫だった?」

「友香が心配することじゃない」


 言って、崇照は友香の頭を抱く。友香は、それだけで安堵する自分を憎く思う。崇照に付き纏うように慕っている弟分の斗真に「どうすれば崇照は振り向いてくれるのか」と智香は相談したことがある。その時、斗真は肩を竦めて「俺に聞いたって兄貴には内緒にしてくださいよ?」と彼の来歴を少しだけ教えてくれた。崇照にも以前は、恋人と呼べる女性がいたらしい。まだ陽暁会ようぎょうかいを一つにする前に、内部で争っていた陽暁会ようぎょうかいの武闘派にその恋人を人質に取られ、抗争の中、その恋人は命を落としたのだと。それ以来、崇照は誰か特定の人間を愛することはなくなったのだと。それはもう勝ち目がない、と友香は思った。崇照が自分を気にかけてくれるのも、自分での好意ではなく贖罪であることを友香は知っている。その上で、死んだ元恋人の話を聞かされてしまっては、もうそれに対抗しようだとか思う気持ちもなくなった。けれど、だからこそボロボロの自分でも出来るだけの恩返しがしたいと思う。なのにこうして情けなくも恩を買い続けている自分が悔しい。崇照はそんな友香の想いを知ってか知らずか、友香の背中を擦る。その規則的なリズムに友香は安心して、ぐっすりと意識を閉ざしていく。

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