第21話招かれざる客 その一(店長side)

 厄日だ。

 そう思ったねぇ。

 いやぁ、そうとしか思えなかったさ。


 内心で毒づきながら、来店してきた客に「いらっしゃいませ」と声をかける。


「あ、どうも。お久しぶりです」


 と、その客は気さくに挨拶してきた。

 久しぶりの再会。

 照れくさそうに笑う男の目は、会えて嬉しいだろう?と、語りかけてくる。


 逆だよ、バカたれ!


 こっちは二度とその顔を見たくなかったってのに!


「あ、ああ、どうも」


 あたしゃあ、なんとか笑顔を取り繕って答えた。

 頬が引きつるのを、どうしても止められなかったね。


「随分、ご無沙汰してすみません」

「いえいえ。それで、今日はどうしたんですか? こんなところに」


 つい、嫌味を言っちまう。

 でもねぇ、このくらいの嫌味は許してもらいたいね。

 この男のしたことに、あたしゃあ、まだ腹を立てているんだ。


「ローザを会いに来ました」

「はぁ!?」

「やっと、迎えに来ることができたんです」

「……」

「それで、ローザはどこに?」


 開いた口が塞がらないってのは、まさにこのことさ。

 あたしゃ、しばらく呆然としていた。

 あれから何年経ったと思ってるんだ?

 会いに来た?

 迎えに来た?

 はっ! 今更、なに言ってやがるんだ!!


「公爵子息様。失礼ですが、うちのお嬢様とはお別れになられたはず。貴族のご令嬢と結婚すると仰っておられましたからね。それなのに、今さら迎えに来たとはどういうことですか」


 語気を強めて、詰め寄ったね。当然だろ。

 公爵家のご子息だか、伯爵家のご令嬢だか知らねえ。

 この男が公爵家の跡取りだろうとなんだろうと関係ねえ。

 この男はお嬢様を裏切ったんだ。

 許せるわけがねえだろうが!


「あの時はやむを得ない事情があったんです。貴族の問題にローザを巻き込むことは、とてもできませんでした。それに貴族の不興を買って、この店に迷惑をかけるわけにはいかなかった。でも、もう大丈夫です」

「……」


 ははっ、そりゃあ大した美談だ。

 惚れた女に迷惑をかけたくなかったんだとよ。

 純愛だねぇ! ……反吐が出る。


「奥様との間に三人のお子様がいらっしゃると聞いてますよ」

「え? ええ。約束通り、三人作りました。だから迎えに来れたんです」

「……奥様と離婚はされてないですよね?」

「ええ」


 お嬢様を愛人にするつもりか!?

 ふざけやがって!


「ローザと一緒に暮らすための館も」

「無理だろう」


 あたしゃあ、思わず口を挟んでいた。

 これ以上、男の戯言を聞いていられなかったんだ。


「あんたの言ってることは、ようするにアレだろ? お嬢様を愛人にしたいってことだろ? 下種野郎が!」

「な!? なにを言うんだ! 僕はローザを愛している! ローザを悲しませるようなことは絶対にしない!」

「どの口が言ってやがる! そんならなんで公爵家に行ったんだ? 断ることだってできたはずだ。貴族籍を捨てて、お嬢様と一緒になればよかったんだ!!」

「そ、それは……」

「公爵家は欲しい。そんでもって惚れた女も欲しい。貴族籍は捨てられない。だから愛人にするために、お嬢様を迎えに来たんだろ?」

「……っ!」

「あんたは一度お嬢様を手放しているんだ。今更、迎えに来たって言われても、はいどうぞって言うわけねえだろ! だいたいなんだい、その顔は。全部自分のせいだろうが! なに被害者面してんだよ、クズがっ!!」


 あたしゃ、心底腹が立った。

 このバカ野郎をぶっ飛ばしてやりたかった。

 あたしらが何も知らないとでも思ってんのかね?

 平民の間でも公爵家の噂が流れてんだよ。


が愛人なんて囲えるはずがないだろ? あんたが今しなきゃいけないことは、妻子を大事にすることだけさ」


 あたしの言葉は男の心に刺さったらしい。

 男の顔がみるみるうちに歪んでいったよ。

 どうやら図星らしい。そりゃそうだ。元々、この男は愛人の息子だ。公爵家だって馬鹿じゃない。愛人の息子を跡取りにはできないと分かった上で、男を公爵家に迎え入れた。種馬として。ああ、たしかにね。とっくの昔に三人目は生まれている。なのに今の今までココには来なかった。


 お嬢様を巻き込む?

 店に迷惑がかかる?

 あはははは! あんたはそんな殊勝な男じゃないだろうに!


「そもそも、お嬢様は既にご結婚なさっているんだ。公爵家ご子息様の愛人になんかにできるはずがないだろう」

「え?」

 あたしの言葉に男の顔が青ざめた。

 なに今さら驚いているんだか。

「な、なぜ、ローザが結婚を……」

「なぜって、お嬢様の年齢を考えれば当然だろう?」

「うそだ……そんなのは……」

には父親が必要だろう?」

「あ……ああ……」


 男はその場に崩れ落ちた。

 お嬢様が結婚していたことを知らなかったらしい。

 バカな男だよ。

 女が何時までも自分を待っているもんだと思ってやがる。思い上がりも甚だしい!

 しかも、だ。

 この男は待つように仕向ける真似までしていやがる。


「あんたのことだ。お嬢様が自分との子供を育てながら、自分の迎えに来るのを待っていると思ったんだろ? でもな、そんなわけねえだろう」

「……」

「あんたとお嬢様の仲を知らない連中なんてこの辺一帯にいねぇ。貧乏子爵家の居候坊ちゃんを下宿させて、超名門の難関大学の授業料まで出していたんだ。当然、みんな、あんたとお嬢様が結婚するもんだとばかり思っていたさ。未来の入婿に投資しているんだって専らの評判だったんだよ。なのに、あんたとお嬢様は別れたんだ。それだけじゃない。お嬢様は未婚の身で妊娠した。そう、あんたとの子供をね」

「……」

「男に捨てられて身籠った女がなんて言われるか、知ってるかい? 酷い中傷を受けるのさ。会頭だって同じさ。娘の婿にと金をつぎ込んでた。それがまあ、貢がされるだけ貢いで捨てられたんだ。やり手の商人がド素人の坊ちゃんにまんまと騙された。詐欺だろうが! だけど訴える場所はない。そうだろ? 娘の恋人に、将来の婿に、善意で衣食住を与えて、善意で大学を出させてやったんだ。恩を仇で返すとはこのことさ!」


 ああ、まったく腹が立つね!

 当時のことを思い返すと腸が煮えくり返る。


「それにね、もうここにはお嬢様も会頭もいないんだよ」

「な、なぜ……?」

「当たり前だろ! 悪評が立ちまくって商売にもならないし、街にいられなくなったからだよ!」

「そ……んな……」

「今、この店を経営してんのはあたしだ」

「ローザは……どこへ……」

「さぁね。結婚したっていう手紙が届いてそれっきりさ」

「そ、んな……まさか……」


 男は完全に呆けていた。

 ようやく現実が見えたらしい。

 自分が思い描いていた展開になっていないことに、やっと気付いたらしいね。

 でも、もう遅いさ。

 もう取り返しがつかないんだ。


「今さら手遅れだよ」

「う、うう……ああ……」


 男はそのまま地面に突っ伏して泣いた。

 同情の余地はないね。自業自得さ。



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