母ヤギのミルク

 紆余曲折あって、シュブ=ニグラスは僕の母になった。今の僕には、生みの母と契約上の母の2つの母がいることになる。

 生みの母は細胞分裂的な増え方をするので、僕には父がいないことになる。アンバランスだな。


 契約上とはいえシュブ=ニグラスと親子関係になったため、僕も黒山羊の肉体を持って生まれる資格を与えられた。そういうわけで、特別な条件を満たすと僕は黒い仔山羊に変身できるのである。


 意味が分からないが、とにかくそんな身体にされた。それを祝福と呼ぶ者もいれば、呪いと呼ぶ僕もいる。


 当のシュブ=ニグラスもまた、紆余曲折あって封印が解かれた後、人間の子供の肉体に閉じ込められた状態だ。閉じ込められたとはいっても、人間の器に収まりきるはずもないので常に溢れている。


 前置きが長くなった。つまり僕はシュブ=ニグラスと同じ屋根の下で過ごしているということだ。そしてこのシュブ=ニグラスという女神はやたらに面倒見がいい。


 色々と口を挟んできたり世話を焼こうとしてくる。その一環として、自分の母乳を飲ませようとしてくるのだ。




「ルカ、乳を飲め。身体によいぞ。よく育つ」


 缶詰の魚をほじくっている僕にまとわりついてそう囁く。見た目は年端もいかない少女だが、か弱そうな雰囲気は一切ない。言葉の節々が威圧的で、あどけない顔と不釣り合いだ。


 僕は邪神の体液なんてごめんだったので、今の今までは母乳を飲まされるのを回避していた。


 回避とはいっても、母(契約)が別のことに興味を惹かれるまでのらりくらりと回避するという何処かで限界が来そうなやり方だ。もう既に限界を感じている。


「これでお腹いっぱいですよ」

「ルカは少食だ……すこし無理して、たくさん食べないと、いつまでもたくさん食べられないぞ」


 シュブ=ニグラスに限らないが、邪神はいつでもよく分からない理論で僕を追い詰める。

 母は仮初の身体で僕の腕をしっかりと掴み、缶詰を覗き込みながら、顔をしかめた。


「いやちょっと度を超えて食べたんですよ。シュブ=ニグラス様の見てないところでですね」

「ルカは、いくつか嘘をついている?すこし、みるぞ」


 ……見る?

 言っていることを理解するより先に、何かが口の中にぬるりと入り込んできた。咄嗟に噛み切ろうとしたが、歯が噛み合うだけで、何の感触もない。


 不可解に思いながら、噛み合った歯を開いた瞬間、胃が文字通りひっくり返された。

 シュブ=ニグラスの触腕のようなものが、僕の胃を口から引きずり出して中身を無理やり出させると、もう一度無理やり押し込んで戻した。


「ルカ……まったく食べてない……嘘をついて、悪い子だ」


 気持ち悪さに激しく咳き込み、腹を抱えて蹲る。痛みはほとんどなかったが、戻された胃の収まりが悪く、なんとか元通りにしようと悶える。


「ルカは、食べることも十分にできないんだな……可哀想に。よしよし、母が食べさせて、やるからな」


 気がつけば部屋は真っ暗だった。シュブ=ニグラスが闇を広げたのだろう。こうすると母は力を大いに奮えるようだ。それか、力を奮う前兆として闇を広げるのか。


 そんなことの前後はどうでもいいが、いよいよもって逃げられなくなったのは確かだ。この母は本気で僕に授乳したいらしい。生みの親は放任主義だが、契約の母は過干渉。バランスが良い。


 口に生暖かい管を突っ込まれる。

 考えてみれば、母にミルクをもらうって人間らしいかもしれないなと思いながら、流れ込んできた温い液体を飲み込む。甘酸っぱくて優しい口当たりだ。すこしねっとりしている。あんがい美味しい……


 痒い。


 痒い。乳に触れた粘膜全てが痒い。舌も頬も、喉も胃の内側も酷い痒みに襲われる。内側を無数の虫が蠢いているような、焼け付くような痒み。


 思わず口から管を吐き出すと、背中を仰け反らして喉を掻きむしり、片手は服に手を突っ込んで胸を引っ掻いた。皮膚が裂ける痛みが僅かに痒みを和らげてくれる。


「ルカ、自分を傷つけちゃ、駄目だ。」


 そんな言葉とともに、母は僕の腕を絡め取って壁に磔にして、管を喉奥まで突っ込む。吐き出そうとしてもびくともせず、噛んでも文字通り歯が立たない。


 逃げ場のない痒みで身体が激しく痙攣し、目から熱い涙が勝手に溢れてくる。痒い。目の前がチカチカと明滅する。


 ふと、母が僕の腹を撫でた。


「ふふふ、ちゃんとお腹が膨らんできてる。お腹いっぱいに、飲ませてやるからな」


 遅れて、腹がパツパツに張っている感覚がした。痒い。熱くて冷たい。早く解放されたいのに、終わりが見えないのが最悪だ。吐き出したい。急に圧迫感が強くなる。


 バツンと下の方で音がしたと思うと、胃が軽くなり、足に大量の温かい液体が流れ落ちる感触がする。


 破裂した。




 目が覚めると、視界いっぱいに青空が広がっていた。


「元に戻ったか、ルカくん」


 グラーキー様の声がして起き上がる。


「すみません。僕、さっきまで何をしてました?」

「ヤギになって部屋から飛び出てここで走り回ってた」


 散々苦しんだ後にヤギに変身したらしい。能力を使いこなせない僕が悪いのだろうか?


「ルカ…」


 今回の諸悪の根源がグラーキー様の後ろから出てきた。あんな目に合わせたくせによちよちと歩み寄ってくる。


「そんな身体じゃ、仔も産めない……お前は弱くて、かわいそうだ。」


 僕の腹を撫でながらそう囁いた。


 冗談じゃないよ。やっぱ邪神って良くないなぁ。



 ちなみに、その後も母乳は食卓に上ったが、僕の身体が適応したのか二度と痒みを引き起こさなかった。


 シュブ=ニグラスの乳は慣れると美味しい。今ではしっかりとおかわりをして母を喜ばせている。


 邪神ってそれなりに良いかもしれない。ミルクが美味しいし。なんだかんだ甘やかしてくれるもんなぁ。

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ルカの楽しい食卓 サントキ @motiduki666

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