第3話 世界は狭いもんだ

「パパ、ちょっと待ってね。見せたいものがあるんだよ」


 いつものことなのだろうか? 由奈はすぐにそう返事をし、そのまま湯船に浸かる。


 お湯の暖かさと胸の柔らかさがたまらない。このまま死んでもいい!!


「じゃあ、パパは書斎で待っているからね」


 由奈は父親のことをパパって呼んでるのか。優しそうなお父さんだよな。俺は幸せそうな由奈の日常を知り嬉しかった。


「パパはね。作家さんなんだ」


 へえ、と言うか、それって無茶苦茶凄くね。


「まあ、コウちゃんに言っても仕方ないけど、かなり有名なんだよ」


 凄いな。俺の父親とはえらい違いだ。


 でも、俺の父親も文才はなかったが、いい父親だった。本当に、お世話になったな。また、会いたいな。そういや、母親や弟の慶太も元気にしてるだろうか。俺は泣いている姿が頭に浮かんでちょっと胸が痛くなった。


「コウちゃん、猫なのにお風呂好きなんだね。これからも一緒に入ろうね」


 本当にこれでいいんだよな。俺が幸せそうににゃーんと鳴くと強く抱きしめられた。


「さっ、上がろうか」


 由奈は俺の体を拭くと部屋着に着替えた。もちろん、服を着る時も俺は由奈を見ないように注意はした。それにしても俺を紹介して大丈夫なのだろうか。父親に関して否定的な意見はないと決めつけているようだが、そんなこと分からないだろ。俺はごくりと唾を飲み込んだ。




――――――




「パパ、入っていい?」


「ああ、いいぞ」


 由奈は俺を抱きしめたまま、父親の部屋をノックした。ゆっくりと開けて、そのまま音を立てないように注意しながらゆっくりと締めた。


「あのね」


 視線の先にある父親は想像した通りの優しそうな英国紳士だった。


「へえ、珍しいなあ」


 父親は由奈のそばに歩み寄り、抱かれている俺をじっと見た。


「羽なんてついてるなんて、奇形かな?」


「奇形じゃないよ、天使だよ!」


 由奈を見ると奇形と言われたのが気に入らなかったのか、頬を大きく膨らませていた。


「まあまあ、怒るなって! 確かに天使みたいに可愛いよな」


 ああ、大丈夫そうだな。この人が娘に対して否定的な意見を言えるはずがない。父親はニッコリと笑うと由奈の頭を撫でた。


「もう、子供じゃないんだからね」


 由奈はもう一度ぷーっと頬を膨らませるが、怒ってるわけでもないようだ。安心した俺は部屋を見渡す、それにしても凄い蔵書だよな。


 きっと小説の資料なのだろう。もとは広い部屋だったのだろうが、今は本に埋もれて、足の踏み場もないようだった。ま、まじか? その中央に置かれた本に俺の目は釘付けになる。絢辻春樹と言えばミステリーの巨匠じゃないか。


 まさか、綾辻がイギリス人だったとはな。そう言えば、日本語とイギリス語のトリックで驚かされたこともある。きっと作者の実体験なんだろう。


 それにしても新刊か!? うわ、これ、読んだことねえよ。俺がじっと見ていると由奈が俺の視線に気がついたのか、小説を手に取った。


「ねえ、コウちゃんにこの本読んであげていいかな?」


 由奈は俺を指差してウィンクした。


「えーっ、流石に猫にはわからないんじゃないかな?」


「天使の羽が生えてるし、分かるんですぅ!!」


 そう言って舌を出して部屋を出て行こうとした。ちょちょちょ、まだ話は終わっていないってばよ。


「それはそうと何か頼みに来たんじゃなかったか?」


 その言葉に由奈の身体が反転する。


「そうだ! ねえパパ、お願いがあるんだけどね」


「ちょっと待て、パパが推理してやろう」


「はいはい、じゃあよろしくお願いします」


 ここで由奈が大きくため息をつく。どうやら由奈の父親は生粋の推理マニアらしく、目をキラキラさせて俺を見た。


「これはかなり難解な推理だよ。由奈がわたしに頼み事をしてくるなんて、なかなか珍しいもんな」


「そうかなぁ!?」


「いやいや、これは大変なことだよ。ワトソンくん!」


「わたし、ワトソンじゃないからね」


「じゃあ、ユナソンくんだ」


「だから、なぜソンが後ろにつくのよ」


「まあまあ、細かいことは気にするな。これは難事件だよ」


 別に特別珍しい話じゃないと思うけどね。娘が親におねだりすると言ったらお金か、化粧品かペット関係だろう。まあ、由奈は前の二つのおねだりはないだろうから、ペット一択だ。


 それからも由奈の父親は暫くウンウンと悩むふりを見せた。あ、これは面倒くさいやつだな。


「で、どうなの! 飼っていいよね?」


「ちょっと待て由奈、それは壮大なネタばらしというものだぞ!!」


 由奈は堪えきれずに結論を口にした。いや、ネタばらしも何も誰が考えても、それ一択じゃないか。


「もう、そろそろコウちゃんと遊びたいんだけど……」


「パパじゃ、ダメ!?」


「じゃあ、飼ってオッケーだよね」


 由奈は父親の話を完全に無視して部屋を出た。


「なあ、ママにはどう言おうか?」


「バレるまではいいんじゃない?」


 由奈は首だけを部屋に入れて父親に声をかける。それにしても強引だなあ。由奈が拗ねたら、大変なことになりそうだ。


 そのまま俺は由奈に抱かれながら、二階の寝室に入る。これが女の子の部屋か!? 俺の部屋とは空気が違うよ。


 それは香水のようなキツさじゃなくて、ふわっとした柔軟剤のような優しい匂いだった。


 由奈はベッドに座ると本を手に持って膝をポンポンと叩いた。


「ほぉら、おいで」


 俺はごくりと生唾を飲み込んだ。おいでって言われたって……。目の前には由奈の太ももがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る