水筒の違和感

せなね

水筒の違和感


 私が小学生の時の話です。

 秋の遠足で、私たちはT山の頂上にある古い城跡を訪れました。

 そこはかなり標高の低い山で、麓から山の頂上まで一時間もかかりません。子どもの足でも楽に辿り着けるような場所でした。

 山頂の城跡は、少し大き目の公園程度の広さしかありません。周囲は更地になっており、ここが元は城であったことを示すような痕跡は何もなく、あるのは木製の長椅子と簡易トイレ、そして城の簡単な歴史が記された大きな立て看板のみです。

 その城跡の真ん中に私たちは集合し、点呼と先生からの注意事項を受けた後、自由行動の時間になりました。

 みんな思い思いの場所に座り込み、まずは喉の渇きを癒そうと、リュックから水筒を取り出しました。長い山道を登ったせいで、みんなもう喉がカラカラだったのです。

 「あれ?」

 しかし、そこで違和感に気が付きました。

 水筒が、何だか軽いのです。中を開けてみると、家を出る時は満杯だったはずなのに、今は中身が半分くらいしかありません。もちろん、道中で水を飲んだわけでもありません。おかしいなと思って首を捻っていると、私の前に座っていた友達も「水筒の水が減っている」と、言いました。

 「ぼくも」「私も」「俺もだ」

 声はそこら中から聞こえてきました。どうやら水筒の中身が減っているのは私だけでなく、全員がそうだったようです。

 私たちはとても困惑しました。しかし、考えたところで答えが出るわけもありません。私を含め、みんなが「何なんだろう?」という顔をしながら、水筒に口をつけました。


 生臭い匂いがしました。


 「うぇ、何だこれ・・」

 近くにいた男子が、そう言って中身を吐き出しました。私も堪えきれず、地面に水を吐いてしまいました。

 方々で気持ち悪い、生臭いという声が上がります。中には我慢して水を飲み込む強者もいましたが、その顔は酷く歪んでいて、舌を出しながら「うぇ」と唸っていました。

 「これ、飲んじゃダメ!」

 突然、A先生という若い女の先生が大声をあげました。

 先生は真っ青な顔で震えながら、こう言いました。


 「これ、誰かに飲まれてる」



          ※



 後で分かった話です。

 私たちが登ったT山の城跡は、戦国時代、とある豪族が治めていた城でした。

 しかし、その城は隣国の軍勢によって包囲され、豪族と家臣は容赦無い兵糧攻めの末、討ち滅ぼされてしまったそうです。

 私たちが遠足でT山に登ったのは、丁度城が落城した日━━城の命日とでも呼ぶべき日でした。

 「きっと、兵糧攻めで飢えと渇きに苦しんだ人たちが、キミたちの水筒のお水をつい飲んでしまったのでしょうね」

 城で亡くなった方たちのご供養をしているお寺の住職さんがそう仰っていたと、のちに校長先生が私たちに教えてくれました。

 その後、住職さんと学校の先生たちは再びT山に登り、改めて亡くなった方たちのご供養をしたそうです。

 その話を聞いた生徒たちの反応は様々でした。

 怖がる子、面白がる子、気持ち悪がる子━━中には、幽霊に水を飲まれたと周囲に自慢する子までいました。

 私はというと、校長先生のお話を聞いて、怖いというよりも悲しいという気持ちの方を強く感じました。幼いながらに、亡くなった方たちのことを思い、涙を流しました。

 翌年、私の学校には、大きな変化が二つありました。

 一つは、T山が遠足に使われなくなったこと。しかしその代わりに、毎年城が落城した日には、地域住民の手によって、城跡で小規模な供養祭が行われることになりました。

 もう一つは、A先生が学校を去ったこと。先生は転勤ではなく、教師という職自体を辞したそうです。

 かつてA先生ご自身が仰っていたことなのですが、A先生は元は都市部の学校に勤めていた人でした。しかし、そこで何か『嫌なこと』があり、地方の、私が通っていた小学校に転勤してきたのだそうです。

 その『嫌なこと』とは何だったのか?

 当時の私には分かりませんでしたが、成人した今なら分かるような気がします。

 

 ━━━これ、誰かに飲まれてる。


 あの時、A先生は青い顔をしてそう言いました。

 先生は、? 

 あくまでも私の想像でしかありませんが、きっとA先生は、? だから、他の人には何だか生臭いとしか思われなかったあの水の正体が、先生には分かってしまったのではないでしょうか?

 世の中には、女性が口にする飲み物や食べ物に、自分の唾液や体液を入れて喜ぶ変質者が存在します。A先生が都会の小学校を辞めるきっかけになったのが、もしも同僚の教師にそのような真似をされたからなのだとしたら━━

 すべては私の想像に過ぎません。

 しかし、もし私の推理が当たっていたとしたら、あの時、あの山の城跡で、A先生が感じた恐怖はどれほどのものだったのでしょうか?

 A先生のその後は全く分かりません。

 今はただただ、先生が幸せに暮らしてくれていることを願うばかりです。



                  <了>


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水筒の違和感 せなね @senane

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