EP.7呪いを継ぐ男(後編)

 空き会議室に連れ込まれ、ドアが閉められる。

先生は深くため息をついた後、飲み物の自販機の前で「何がいい?」と尋ねた。


「えっ?」

「だから、何が飲みたいかと聞いているんだ。」

「えっ……じゃあ、いちごオレをお願いします。」


ホムンクルスに飲み物を渡すなんて、今までの先生からは考えられない言動だ。

僕にいちごオレが渡され、彼はアメリカンコーヒーを啜りながら、もう一度ため息をついた。


「……まさか最初に見抜いたのが、ホムンクルスだとはね。流石の私も予想外だった。」


喉を潤したのか、彼は話し始める。


「一つ昔話をしよう。私の祖父は、ホムンクルスを発明した。」

「君にはピンと来ないかもしれないが、私の肌の色と顔立ちは、この国では珍しいんだ。移民と言って、遠い国から祖父はやって来た。」

「この国は移民に対する目は厳しい。なんとかして目覚ましい成果を出さなければ、生活していけないほどだった。」

「そうして祖父は、禁忌に手を染めた……やってはいけないことをしてしまったんだ。」


難しい言葉を、簡単にして説明してくれている。やはりこの人は、ホムンクルスをただの兵器だと思ってはいないのだと感じた。


「私の父もホムンクルス研究に携わり、私は幼い頃からホムンクルスに触れながら育った。彼らがどのように戦うのか、彼らが何を感じて生きていたのか……ずっと知っていたんだ。」


遺品のノートを僕に渡した。「読んでごらん」と彼は言った。

表紙をめくる。それは9号と10号の交換日記のようなものだった。と言っても、日付と一言二言言葉が書いてあるだけの、簡素なやり取りが、10ページ分ほど書いてあるだけだった。残りのページは、ずっと空白が続いていた。


「わかるかい。ホムンクルスには、感受性が……心があるんだよ。」

「ただ、未熟なんだ。人間と同じように育つ前に、ほとんどが死んでしまうんだ!」

「私はそれが辛かった。だからホムンクルスの心をなるべく育てないように、見ないようにしてきた。それが君たちへの対応の本心だ。」


先生が深く悲しんでいるのは理解できた。けれどそのことを、少しも僕は悲しいと思わなかった。はっきり言ってしまえば、すごくどうでもよかった。


「うーん……言いたいことはわかったんですけど、それって僕らが今までされてきたことを許す理由になるんですか?」

「……ならないだろうね。私は許してくれと言いたいわけじゃない。」

「ただ、君は私の嘘を見抜くほどに、大きく成長してしまった。私は、ホムンクルスをどう思っているのかという質問に答えただけだよ。」


先生が僕の頭を撫でる。


「大きくなったね。他のどのホムンクルスよりも、成長してくれたことが嬉しいよ。」


その言葉が本心からのものだと、直感した。それは確かに、ほんのちょっとだけ嬉しかった。


「……っ、僕はどうでもいいですけど、11号はすごく怒ってますよ!関係を直したいなら、ちゃんと謝ってくださいね!」


先生は笑って応えた。「そうだね、そうするとしよう。」

「……そうだ、先生。あなた、名前は何て言うんですか?」

「名前?」

「うん。名前、聞いたことなかったなぁって。」

少し目を丸くした後に、先生は答えた。


「私はアイディン。改めてよろしくね、紺碧。」​​​​​​​​​​​​​​​​




俺と11号は会議室の外で、息を殺して中の会話に耳を傾けていた。あの男がコンさんに近づいた時は、思わず飛び出そうとしたが、ただ頭を撫でただけで拍子抜けした。俺の緊張した背中をそっと11号が叩いた。


やがてドアが開き、コンさんと先生と呼ばれた男が出てきた。俺たちを見て、二人とも驚いた表情を浮かべた。彼は、すぐに表情を整え、11号の方へ向き直った。


「103-11、君に謝罪したい」アイディンの声は低く、真摯だった。

「これまでの私の行動は許されるものではない。本当に申し訳なかった」


11号は明らかに困惑していた。その表情が怒りと戸惑いの間で揺れているのが見て取れた。


「そんなこと言われたって、許してなんかやんねーからな!」11号は顔を背けながら言った。その声には怒りよりも戸惑いの方が大きかった。


彼は諦めたように小さく頷き、今度は俺に向き直った。


「ニカフィムさん、改めて協力関係を結んでくれないだろうか」彼の目は真剣だった。


俺は迷った。この男をどこまで信用していいのか、まだ確信が持てない。そっと紺碧に視線を向けると、彼が小さく頷いた。


「いいんじゃないですか。アイさん……先生が守ってくれるというなら、利用してもいいと思いますよ」紺碧の声には、不思議な確信があった。


その言葉を聞いて、俺は決心した。ゆっくりと手を伸ばし、彼の手を取った。


「協力させてもらおう」俺は言った。「ただし、紺碧に危害が及ぶようなことがあれば、躊躇なく敵に回る。それでもいいか?」


彼は厳粛に頷いた。「もちろんだ。私も、君たちを守ることを誓おう」


「これで契約成立ですね。騒ぎもひと段落したみたいですし、僕お腹空いちゃいましたよ。」


コンさんが場を和ませる。

「そうだな、そろそろ夜も明ける。上に問題がなければ、朝食を取ってくるよ。」

「はーい!僕お肉大盛りでお願いします!」


彼はその様子にくすくすと笑って、食事の支度をするのか、エレベーターで上の階に上がって行った。

彼と紺碧の打ち解けた様子に、少し疑問を持って尋ねる。


「なぁコンさん、あの部屋で何を話したんだ?」

「んー?大した話は聞いてないですよ。」

「ただ、あの人の名前、アイディンって言うんですって。」


名前を聞き出しただけなのか?と思ったが、コンさんは名前を与えられることを、すごく大事にしていた子だ。コンさんにとっては、名前を教えてもらったことは信頼関係の始まりなのだろう。

いや、コンさんに限った話ではないか。名前を知り合うことは、人間関係の第一歩だ。


「そうか。」とだけ返して、朝食の支度ができるのを待つことにした。

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