EP.6呪いを継ぐ男(前編)

 痛みに耐えながら、コンさんと共に逃げ出した俺たち。だが、その逃走も長くは続かなかった。


「ニカフィム!」


聞き覚えのある声。振り返ると、そこには親友のレヴィエルが立っていた。その目には、悲しみと怒りが混ざっていた。


「……堕天、したのか。」


「ああ、そうだ。」


彼は眉間を押さえた後に、剣を抜いた。


「人間に情報を渡すわけにはいかない、悪いが、お前には死んでもらう。」


レヴィエルの剣が俺に向けられる。まだ堕天の痛みが残る体では、とても太刀打ちできない。


その時、俺の前にコンさんが飛び出した。


「触るな!」


コンさんの声は、今まで聞いたことのないような激しさを帯びていた。そして、その姿は...


人の形を完全に失っていた。どの動物にも似ていない、異形の姿。全身が刃となり、レヴィエルに向けられている。


レヴィエルの顔が青ざめるのが見えた。


「く……退くぞ!」


レヴィエルの命令と共に、周りにいた天使たちが次々と姿を消していく。


コンさんの姿に恐れをなしたのか、あっという間に敵の姿はなくなった。


静寂が訪れる。


コンさんの体が、ゆっくりと人の形に戻っていく。


「コンさん...大丈夫か?」


心配そうに声をかける。コンさんは少し困惑したような表情を浮かべている。


「え?ああ、大丈夫です。ニカさんこそ...」


コンさんは自分の変化をどうとも思っていないようだった。あの姿は...一体何だったのだろう。

思い返せば、再会した時のスライムのような形状も、今まで戦って来たホムンクルスには見られない形態だった。

コンさんは何か特殊な力を持ったホムンクルスなのか……?と思案する。

だが、それ以上に状況を切り抜けられた安堵感が大きかった。コンさんが無事で良かった。そう思いながら、俺たちは再び歩き始めた。



 さて、天使の一団は退けたが、これからどうするべきか。この基地を脱出してまたあの家に戻るべきか、それともここに留まるべきか。

 考え事をしていると、突然、褐色で長身の男性が俺たちの目の前に現れた。瞬間、空気が凍りついたような緊張感が漂った。彼の目が俺の顔へ、そして紺碧へと移る様子を見て、状況を把握したことが分かった。彼の表情には混乱の色が浮かんでいたが、それ以上に気になったのは紺碧の反応だった。

紺碧は彼を見るなり、まるで野生動物が危険を感じたかのように身構えた。その青い瞳に浮かぶ警戒心は、レヴィエルに向けたものと同様のものだった。俺は思わず紺碧の肩に手を置き、安心させようとした。


褐色の男は落ち着きを取り戻すと、俺に向かって尋ねる。「君が、先程堕天したという天使かな。」

「そうだ。」俺は肯定する。

「それで、その堕天に103-12が深く関わっていると。」

「……それは紺碧の、この子のことか。」

「ホムンクルスに名前をつけたのか!?……そうか、そういうことなんだな。」


彼は一人で納得したように頷くと、紺碧に向かって言った。「103-12、味方を得たようだが、君の立場を忘れるんじゃないぞ。その気になれば我々は二人諸共解剖してやることもできるんだからな。」


その言葉に、俺の中で怒りが沸き起こった。しかし、紺碧の反応は予想外だった。


「ニカさんに危害を加えるなら、この基地にいる全ての人間を殺し尽くすまで暴れてやりますよ。」


冷たいその言葉と、怒りによりまた体から滲むように出た刃は、コンさんの瞬発的な覚悟の現れだった。この様子だと本当にやりかねない。俺はコンさんを宥めるように背を叩いた。


彼は一瞬、言葉を失ったように見えたが、すぐに冷静さを取り戻した。「ホムンクルスの遺品を整理すれば、どこかの部屋が開くだろう。堕天使の処遇を決めるのには時間がかかりそうだ。それまでは103-12の部屋で待機していてくれ。」


そう言い残すと、彼は踵を返して去っていった。その背中を見送りながら、俺はコンさんを抱き寄せた。コンさんの小さな体が僅かに震えているのを感じ、俺は優しく頭を撫でた。


「大丈夫だ、コンさん。あの男に何をされたのか知らないが、俺がついてる。」


コンさんは黙ってうなずき、俺の胸に顔を埋めた。

ここの人間に見つかってしまった以上、脱出は困難かと判断して、俺たちは言われた通り、103-12の……コンさんの部屋で待つことにした。



 コンさんの部屋は想像以上に簡素なものだった。2対のベッドと机と椅子、タブレットがあるだけで、他は簡単な筆記用具のようなものすらもない。

コンさんは緊張して疲れたのか、それとも安心してくれているのか、俺の膝の上で眠ってしまった。紺色の髪が膝の上で乱れ、長い睫毛が頬に影を落としている。安らかな寝顔を見ていると、この子がどれほどの苦難を乗り越えてきたのか想像もつかない。そっとコンさんの頭を撫でた。


突然、金属音を立ててドアが開き、緑色の目をした少年が入ってきた。彼は俺を見て一瞬たじろいだが、すぐに理解したように鋭い目つきで俺を見据えた。


「お前が12号が堕天させた天使か」彼は低く、抑えた声で言った。その声音には警戒心が混ざっていた。


「ああ、そうだ。あんたは?」俺は静かに答えた。緊張感を和らげようと、できるだけ柔らかな口調を心がけた。


「……そいつと相部屋のホムンクルスだよ。」

彼はそう答えると、部屋の隅にある自分のベッドに腰掛けた。彼の動きには無駄がなく、常に警戒している様子が伺えた。


「……あんた、紺碧のことを教えてくれないか?俺が出会う前のことを」

俺は静かに尋ねた。紺碧の過去を知ることで、彼をより理解できるのではないかと思った。


「名前呼ばれてんのマジだったのかよ……。」

11号は少しうんざりしたような仕草を見せてから、ゆっくりと口を開いた。

「オレたちは生後7ヶ月のホムンクルスだ。こいつが脱走する前は……オレはずっとだが、この基地の地下にいる。」

彼の声には、わずかながら苦々しさが滲んでいた。


「そうか……。」

俺は驚きを隠せず、思わず紺碧の寝顔を見やった。幼さが残るとは思っていたが、たった7ヶ月の命なのか。

「さっき、黒髪で背が高い男と会ったんだが、彼は?」


「あー、『先生』のことか。」


11号の声には明らかな嫌悪感が滲んでいた。彼の緑の瞳が怒りで燃えるのが見えた。


「あいつがオレたちを管理してるんだ。戦闘訓練とか反抗したヤツの処罰とかやってる。」


「処罰?」俺は眉をひそめた。その言葉の重みが胸に沈んだ。


「ああ」11号は冷ややかに答えた。彼の表情は硬く、目は遠くを見ているようだった。

「あいつは異常者だ。ホムンクルスを虐待して楽しんでる。毒物の注射とか...」

彼は言葉を途切れさせ、苦痛の記憶を追い払うように首を振った。


その言葉に、俺の中で怒りが燃え上がった。拳を握りしめ、深呼吸して感情を抑えた。


「俺は...ホムンクルスは殺戮にしか興味がない、人の形をした兵器だと思っていた。」

俺は正直に告白した。自分の過ちを認めることの重要性を感じていた。

「でも、コンさんと触れ合って、それが間違いだったと気づいた。むしろ、周りの環境がそうさせているんだ。」


11号は無言で俺を見つめていたが、その目には何か理解を示すような光が宿っていた。彼の表情が僅かに和らいだように見えた。


そのとき、紺碧が小さくうめき声を上げ、身じろぎした。ゆっくりと瞼が持ち上がり、青い瞳が現れた。

「ニカさん...?」眠そうな声で呼びかけた。


俺はコンさんに優しく微笑みかけ、その頭を撫でた。「ああ、ここにいるよ」と答えたが、心の中では先生への不信感と怒りが渦巻いていた。これからどうすればいいのか、俺たちの未来はどうなるのか。そして何より、どうやってこの子たちを守ればいいのか。そんな思いが頭の中を駆け巡り、俺は決意を新たにした。​​​​​​​​​​​​​​​​




しばらくして、紺碧の部屋のドアが鋭くノックされた。俺たちが開けるまでもなく扉が開かれ、そこには先生と呼ばれた男が立っていた。コンさんも起き上がり、警戒の目を向けている。


「処遇に関する会議と遺品整理が終わった」

彼は淡々と告げた。その声には僅かな疲れが混じっている。

「天界の貴重な情報源であること、また103-12の変異を考慮し、しばらくは基地での様子見となった」


俺は眉をひそめた。彼の言葉の裏を読もうとしたが、11号の話が頭をよぎり、この男をどこまで信用していいのか判断できずにいた。


「基地にいる限り、天界や他の勢力から守れる。こちらも暴力は控える。協力関係を築きたい」彼は提案した。彼が時々喉を押さえる仕草が気になった。


突然、コンさんが口を開いた。「そのノートは何ですか?」


先生は手に持つノートを見つめ、一瞬躊躇したように見えた。「9号と10号の遺品だ。12号と11号以外の同期は皆、先の襲撃で命を落とした」


「ああ、そうだったんですか……」

コンさんは続ける。

「先生って、ほんとは僕らのことどう思ってるんですか?」


「いきなり何を……。ホムンクルスは兵器だ。それ以外の何者でもない」彼は素っ気なく答えた。


「それは嘘でしょう」

まるで常識を話すかのように、淡々と紺碧は続ける。


「あなたはホムンクルスを必要以上にいじめるし、その割にはそのノートをすぐに処分しなかったり、僕のことを保護したりする」


先生の表情が一瞬崩れた。「……っ、保護などしていない!変異体で、堕天使との関係維持に重要だから、危害を加えないというだけだ!」


コンさんは更に追及した。「いいんですか?危害を加えないなどと言って。僕らは危険で残忍で、力で支配しなければすぐに人を殺す存在ではないんですか?」


「それは違う!ホムンクルスは……!」

「……っ、来なさい!」

先生は言葉を途切れさせ、突然コンさんの手首を掴んで部屋から連れ出した。


「あーあ、あいつ終わったわ」11号がため息をついた。


「一応追いかけようぜ」11号は提案した。「死ぬほどやばい折檻されそうでも、お前なら止められるだろ」


俺と11号は静かに後を追った。先生の異常な反応に警戒心を強めながら、コンさんを守る決意を固めた。この状況がどう転ぶかわからないが、俺はコンさんを絶対に手放すつもりはない。先生の本当の意図を探りつつ、最悪の事態に備えて神経を研ぎ澄ませた。

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