第12話 如何なる障害を回避してでも文字を見せる③

「お久しぶりでございます、殿下。そして初めまして、お嬢さん方」


 ハイパー・プリンセス号に一行が到着すると、そこには既に先客がいた。


「わたくし、マッド・サイエンスと申します」


 そう名乗って頭を下げるのは、恐らく齢六〇は過ぎているだろう男性だ。


 髪は真っ白ではあったが、豊かで丁寧に撫で付けられている。

 これもまた真っ白な髭が胸近くまで伸びているその出で立ちは、どこか仙人を彷彿とさせた。


 しかし銀縁眼鏡の奥に位置する理知的な瞳とその身を包む白衣が、彼を科学者然と見せている。


「一応、ユニヴァース帝国立研究所の所長なぞやっております」


 深い皺の刻まれた顔に浮かんだ笑みは、柔和なものだ。


「ちなみにマッド・サイエンスというのは偽名で、本名はイチロウ・ヤマダと申します」


「すぐに本名名乗んなら、なんで最初に偽名使ったのよ……?」


「というか、本名は本名でなんか偽名っぽいです……日系……地球系? の人なんですか……?」


「百代遡っても全員ユニヴァース産まれっちゅー生粋のユニヴァース人のはずじゃが……まぁ此奴の名前のことなぞ、今はどうでも良い」


 ペチンとミコがマッドの尻を叩くと、マッドは「あふん」と先程までの落ち着いた声色とは明らかに異なる声を上げた。


 亜衣の目がキランと光る。


「それより、早かったのぅ。一時間後と言うておいたはずじゃが」


 ハイパー・プリンセス号が鎮座しているのは群青高校のすぐ裏手にある山であり、先程の電話からはまだ三十分と経過していない。


「それはもちろん、殿下のお美しいお姿を一刻も早く拝見致しとうございましたがゆえ」


「ふんっ、気色の悪いおべっかはいらん」


 気色の悪い、の部分でマッドの鼻息が僅かに荒くなり、亜衣の目がまたキランと光った。


「それよりも、モノは用意できとるんじゃろうな?」


「無論にございます。子機二十万は既にこの星に放ってありますがゆえ、こちらで操作可能でございます」


 恭しく腰を折った後、マッドが取り出したのは薄型のタブレット端末のようなものだった。


「ふむ、ご苦労。もう帰って良いぞ。お主の視線、なんかキモいからの」


 端末を受け取ったミコが冷たく言い放つ。


「これはこれは、ありがた……いえ、残念なお言葉。わたくしめが、端末の操作方法を手取り足取りお教え致しますよ?」


「いらん。じゃって汝、すぐ妾の尻とか触ろうとするじゃろ」


 ミコに半目で睨まれても、マッドは涼しい顔を崩さない。

 ただ、徐々に鼻息が荒くなってきてはいた。


「実際に触ったことはございませんでしょう? なにせ、罰として蹴っていただくことが目的なのですからね」


「そうじゃったんか!?」


 ミコ、驚愕の表情。


「というわけでお尻は触りませんので、蹴っていただけませんか?」


「もはや意味がわからん!?」


 ミコ、更なる驚愕の表情。


「えーい、えぇからもう下がれぃ! 今回の働きの褒賞として、汝が欲しがっとった研究器具買ったるから!」


「それは今度でいいので、蹴って……いえ、もう殿下のおみ足でとは申しません、道具を使っていただいても構いませんがゆえ」


「もうマジなんなの汝!?」


 叫んだ後、ミコは匙を投げるようにマッドを指さし亜衣の方を向く。


「アイ! 此奴をユニヴァース星まで強制送還せい! ……ってなんで汝、やたらと輝いた目になっとるんじゃ!?」


 亜衣の目は今や、ギランギランと光りまくっていた。


「貴方と語り合いたい気持ちはあるけれど、貴方にはとってはこれもご褒美よね」


 亜衣は、悲しみと喜びの混じったような笑みをマッドに向ける。

 マッドも、「わかっておりますとも」とでも言いたげな穏やかな笑みを返した。


 その時、二人の間には確かな絆が結ばれていた。

 恐らくは、結ばれない方が良い類のが。


「《ゲート》オープン」


 亜衣が口にすると同時にマッドの足元に《ゲート》が開き、マッドは特に抵抗も見せずいい笑顔のままそこに落ちていった。


「ところで、それは結局何なんです?」


 何事もなかったかのように、凜花がミコの持つ端末を指差す。


「あー……うむ」


 やや渋い顔となっていたミコは、気を取り直すようにコホンと咳払いして表情を改めた。


「これは、《バグズ》と呼ばれる虫型探索機体の操作端末じゃ。子機たちに搭載されたカメラの映像はこの端末に映すのはもちろん、《バグズ》の針を刺すことで視神経に直接リンクさせることも可能。つまり目を潰されたところで問題ないし、《バグズ》の子機は二十万機放っておるがゆえ少々の攻撃を受けたところで予備が山程あるから十分対応可能という寸法なのじゃ!」


 話しているうちに調子を取り戻してきたミコが、最終的に端末を掲げて胸を張る。


「ふーん? で、それってどうやって使うの?」


「知らん! 説明書を読むのじゃ!」


 その威風堂々たる雰囲気を微塵も崩さず胸を張ったまま、ミコはいつの間にか床に転がっていた分厚い本を指した。


 軽く見ても千ページは下らないだろうそれは、どうやら親切にもマッドが《ゲート》に落ちる直前に置いていったものらしい。


「………………え? それもしかして、アタシに読めって言ってる……?」


 説明書を指差したまま動く気配を見せないミコに、しばらくして亜衣は眉を顰めながらそう尋ねた。


「うむ! なにせ妾、宇宙船と《スピリッツ》以外の機械操作はからっきしじゃからな! ビデオの録画も出来んぞ!」


 相変わらず、ミコは威風堂々と胸を張ったままである。


「なんで偉そうなの……?」


「けど今時『ビデオ』という言い方が、機械音痴っぽさを醸しだしてます……ウチのお婆ちゃんも、全く同じこと言ってました……」


「何を言うておる、今現在宇宙ではベータマックスが最先端の映像メディアじゃぞ?」


「なんでそこだけ遅れてんの……?」


「遅れてるというか、なんか別系統に派生してます……というかS○NY、宇宙に販路拡大してたんです……?」


 亜衣と凜花が大変微妙な表情となった。


「ま、まぁともかく……」


 気を取り直したらしい亜衣が、床から説明書を取り上げる。


「おっも……つかこれ、一五〇〇ページもあんじゃん。こんなの読んでらんないわよ……?」


 そして、説明書の末尾のページ番号を見るやげんなりとした表情となった。


「そこをなんとか、頑張るがよい」


 鷹揚に頷くミコに、亜衣がジト目を向ける。


「なんで何もしないアンタが偉そうなのよ……」


「王とは、人を使うてなんぼじゃからな」


「なら、さっきの人に教え役やってもらえばよかったじゃない」


「………………じゃってアヤツ気持ち悪いし」


 ここまで尊大な態度を崩さなかったミコの口調が、初めて弱めのものとなった。


「大体、アヤツめっちゃ教え下手じゃぞ? わからんという感覚がわかっとらんからな」


「あぁ、頭良すぎる人にありがちなやつね……」


 溜め息を吐き、亜衣は再び手元の説明書に視線を落とす。


「じゃあ、何にせよこれ読まないといけないのか……」


「ちょっと貸してもらえます? 私が読んでみます」


 うへーと口を歪ませる亜衣の横合いから、凜花の手が差し出された。


「いいけど……?」


 訝しげな表情ながら、亜衣は素直に説明書を手渡す。


「すぅ……はぁ……」


 亜衣から説明書を受け取った凜花は、閉じたその表紙を見つめたまま一つ深呼吸。

 それから、カッと目を見開いた。


 そして。


 バララララララララ……!


 片手に説明書を載せたかと思えば、もう片方の手にて猛烈な勢いでページをめくり始める。

 パラパラ漫画でも見ているかのようなそれは、読むどころか文字を認識出来るかすらも怪しい程の速度である。


 そのまま、数秒。


「………………ふぅ」


 最後のページまでめくり終えた凜花が深く息を吐いた。


「大体、わかりました」


 そう告げる表情は、自信ありげなものだ。


「アンタ、速読の心得でもあったの……?」


 そんな凜花に、亜衣が半信半疑の目を向ける。


「いえ……時間が加速した幻の世界を自身に重ねることで、結果的に認識速度と思考速度を速めたんです。今、私の主観では八百時間ほどが経過しました」


「はー……」


 亜衣の返答は、感心とも呆れともつかない溜め息のようなものだった。


「前々から思ってたけど、アンタの能力ちょっと汎用性高すぎない?」


「体質の付属みたいな感じで太陽系規模の空間認識能力を開拓して、あまつさえ更にそのおまけのような感じで人の脳内に直接思考を届けられるようにまでなってる亜衣さんにだけは言われたくないです……」


 凜花が亜衣へとジト目を返す。


「ちゅーか妾的には、普通に八百時間もこんなもんを読み続けられるという事実に驚きなんじゃが」


 ミコが、また別観点から感心の声を上げた。


「この程度、並行世界での自分と体感二万時間に渡って幻覚合戦を繰り広げたのに比べたら余裕ですね」


 言葉通り、なんでもないことのように言う凜花。


「まぁとにかく、です」


 次いで仕切り直すように、パンと手を叩いた。


「行きましょう」


 自信を感じさせる笑みを共に、凜花は二人を振り返る。


「今度こそ、私たちの想いを伝えに」


 凜花の言葉に力強い頷きを返す亜衣とミコの目には、もう完全に光が戻っていた。

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