天条悠人の平凡な日常③

 俺の名は天条てんじょう悠人ゆうと、どこにでもいる平凡な高校生だ。


 現在、学校からの帰り道。

 凜花りんかは何やら用事があるとやらで、今日は一人での下校だ。


 なんだか隣にあるべきものがない感じがして、妙に落ち着かない気持ちになる。


 とはいえ、実は最近このパターンも多かったりする。

 凜花の奴、隠れて何かやっているのだろうか……?


 思えば、昔から凜花にはそういうところがあった。

 誰かに頼るのが、バツグンに下手くそなのだ。


 なまじ能力が高いだけに、一人でも大抵の事がこなせてしまうのも逆にマズかった。

 いつしか凜花は、人に頼る方法そのものを忘れてしまったかのようになっていた。


 凜花が《異能ギフト》に目覚め、【組織】に狙われたのはそんな時だ。


 今時、世界征服なんて目標を大真面目に掲げて……そしてそれを冗談でも何でもなく実現出来る程の力を備えているくらい強大な敵に狙われながらも、それでも一人でどうにかしようとして凜花はボロボロになっていった。


 同じく《異能ギフト》に目覚めた俺がどうにかギリギリで助けに入ることが出来たものの……結局紆余曲折あって【組織】の連中と全面対決することになってしまったし、多くの仲間の助けがなければ今頃俺も凜花もこうして再び何でもない日常に戻れてはいなかっただろう。


 その辺りの事は詳しく語ると単行本一冊くらいにはなるだろうから詳細は省くけど……あんなに大変なことになっても俺に相談してくれなかったのは、少しだけ寂しかったな。


 もっとも、凜花の異変に気付けなかった俺も相当な馬鹿だったが。

 あれ以来、凜花のことはより一層気にかけるようにしている。


 凜花の方も、少しは俺を頼ってくれるようになったように思う。


 なんだか以前より距離感が……というか一緒にいる時の距離が物理的に縮まったような気もするけど、それも凜花なりの親愛の証だろう。


 少しの気恥ずかしさくらいは、喜んで許容しよう。


「ん……?」


 凜花の事に思いを馳せているうちに、いつの間にか周囲の『空気』が変わっていることにふと気付いた。


「なんか、魔素が……」


 濃い?

 そう感じた瞬間、ビュウ! と強い突風が吹き抜けた。


 思わず顔を腕で庇い、目を瞑る。


 風が吹いていたのは一瞬だけで、再び目を開けると。


「あれ?」


 そこには、先程までなかったはずの人影があった。


 腕を組んで胸を張るミコを先頭に、一歩下がった左右に凜花と出雲いずもが立っている。


 直前に感じたのは、覚えのある魔素の動き。


「今の……まさか、《キャリー》?」


「ほぅ、即座に看過するとは流石ユートじゃの」


 感心と共に、得意気な調子も声に滲ませるミコ。

 なんとなく、褒めて貰うのを待っている子犬を彷彿とさせた。


「身体が魔素を纏ってる、ってことは……ミコ、魔法が使えるようになったのか?」


「うむ! 妾に不可能はあまりないからの!」


 果たして、ミコはその言葉を待っていたとばかりにドヤ顔で頷く。


 余談だが、出会った頃には「妾に不可能はない!」だった口癖に「あまり」が付与されたのはミコなりに謙虚さを覚えた結果である。


「ま、今回に関しては師が優秀であったことも認めるに吝かではないがの」


 ほら、この通りの謙虚さだ。


「確かに魔素のコントロールって感覚的に掴みづらいから、独学じゃ学びづらいもんな。俺も、お師さんが優秀で助かったよ……ま、スパルタだったけど」


 異世界の師との日々を思い出すと、思わず苦笑が漏れた。


「で、ミコは誰から学んだんだ? ミコに優秀って評される程の風魔導師だと……ストーム? それとも、エアリー辺りか?」


 懐かしい友人たちの顔を思い浮かべながら問う。


「いや、ブレイズ・ウインドじゃ」


「ブレイズ?」


 意外な名前に、思わず眉をひそめてしまった。


 なるほど、確かに優秀な……それも恐らくは、あの世界でも最高峰の風魔導士ではあるだろうけども。


「でもアイツ、なんだかんだで天才タイプだから教えるの下手だったと思うんだけど……王国の魔導士団長になって、ちょっとはマシになったってことかな……?」


「それについては、私がすこーし教え方について『アドバイス』しましたので」


 ミコの後ろに控えていた凜花が、そう言って微笑みを浮かべた。


「あぁ、なるほど」


 それで、すんなりと納得する。


 凜花は才能もあるんだけど、その上に努力を怠らないタイプだから教え上手でもある。

 きっと、何かしら適切なコツを伝授したのだろう。


 ……なんだか出雲がやけに乾いた笑みを浮かべているような気がするけど、どうかしたんだろうか?


「いや、けど凄いなマジで。こっちの世界でそのレベルの魔法を使えるなんてさ」


 《キャリー》は、風で物体を移動させる魔法だ。

 そこそこの出力さえあればさほど細かいコントロールは必要ないけど、人間三人を運ぶとなると中級魔法クラスとなる。


 魔素の少ないこの世界で使える奴となると、【ウィズヘイム】でも一握りしかいないだろう。


「ふふん、そうじゃろうそうじゃろう」


 手放しで褒めると、ミコはドヤ顔を更に深めた。


「とはいえ、別段そんなことを自慢しに来たわけではない」


 が、ふとその表情を改める。


「え、そうなの?」


 てっきりそうだとばかり思ってたので、素で驚きの声を上げてしまった。


「汝、妾のことをなんじゃとう思うておるんじゃ」


 と、ミコが睨んでくる。


 けど言われてみれば、今のミコが自慢のためだけにわざわざ来るかというと疑問ではある。


 かつての『王女』という立場しか拠り所のなかった頃と違い、今のミコはわざわざ自慢せずとも彼女自身が数えきれないくらいの魅力を持つ存在になっているんだから。


 わかっているつもりでいても、出会った頃の印象が強すぎてなぁ……。


 確かに今のミコからすると、使えるようになった段階で自慢しに来るんじゃなくて、いざその力が必要となった場面で満を持して使ってドヤ顔を浮かべる方が好みだろう。


「ごめんごめん、そうだよな」


「わかればよい」


 これも出会った頃ならばしつこく噛み付いてきたところだろうが、今のミコはあっさりと鷹揚に頷くのみだ。


「で……てことは、他にも俺に用があるってことか?」


「うむ」


 再び頷いて、ミコは挑戦的な笑みを浮かべた。


「ちゅーか、今回の本題はここからじゃ」


 しかし、その中には確かな緊張も見て取れる。


「よいか、心して聞くがよいぞ?」


「あぁ」


 念押しされ、俺は気持ち姿勢を正した。


 すぅ、とミコが大きく息を吸う。


「妾は!」


 その瞬間。


 どこからともなく爆竹が飛んできて弾け。


 近くを通っていたトラックがけたたましくクラクションを鳴らし。


 低空を飛ぶヘリコプターがやってきて。


 付近の家からピアノの音とギターの音とドラムの音と尺八の音が響いてきた。


 聴覚が、大量の音に支配される。


 だがしかし、そんな中。


「お主の事を!」


 まるで耳元で叫ばれているかのように……いやそれ以上に。

 騒音の濁流の中、ミコの声がハッキリと聞こえた。


 この魔素の動き……なるほど、《ウィスパー》か。


「愛――」


 だが、そこまで。


「っ……!?」


 ミコの声が急激に小さくなって聞き取れなくなった。


 いや、それだけじゃない。

 全ての音が、妙に遠い。


 周りでは爆竹が弾けていたりヘリコプターが至近距離で飛んでいたりと明らかに騒がしい光景が展開されているにも関わらず。

 まるで、音を物凄く小さくした状態でテレビを見ているかのようだ。


 何が起こったのか……それは、両耳に走った激痛とこれまでの経験が教えてくれた。


 『鼓膜』が『破』られた!


「――――――――!」


 気を付けろ、攻撃だ! 耳を守れ!


 そう叫んだつもりだったが、自分の声さえも曖昧にしか聞こえず、きちんと言えたのかはわからない。


 ミコたちは驚いた表情を浮かべ、次いで憤った様子を見せる。


 そんな中、出雲が何か叫んでいるようだ。


 ま・だ・よ……?


 付け焼き刃の読唇術では、どうにか読めたのもそこまでだった。

 身振りから察するにミコに何かを説明してるみたいだけど、何だ……?


 と。


「ユート、聞こえておるか!」


 ミコの声が、やけにクリアに聞こえた。


「――――――――!」


 聞こえる!


 そう叫んだはずの自分の声は、ぼんやりとしか聞こえない。


「よし!」


「――――――――!」


「――――――――!」


 ミコの声はハッキリと聞こえるが、喜色を浮かべて何やら言っているらしい凜花と出雲の声はやはり曖昧なままだ。


「今度こそ聞けい!」


 ミコが喋る度に、こめかみの辺りに極僅かにだが振動を感じる。


 そうか……これ、骨伝導か!


「妾は、お主の事を愛」


 今度こそ、完全に。

 世界から、音が消えた。


 いや、違う。

 肺から勝手に空気が吐き出される苦しみに、眼球がせり出すような痛みに、直感的に悟る。


 消えたのは音じゃない……。


 『空気』だ!


 さっき鼓膜を破られた段階でその可能性は頭をよぎってたが、これで確信した。

 このやり口を、俺は知っている。


「――――――――!」


 窪田くぼた真白ましろ


 その名を呼ぶ俺の声も、空気を震わせることはない。


 チラリと凜花の方に目を向けると、口元を引き結んて頷いているのが見えた。

 凜花も同意見ということだろう。


 窪田真白、それは【組織】の元幹部の名だ。

 その《異能ギフト》は、《暴君ドミネーター》。


 あらゆるものを『支配』出来る能力で、恐らく今は『空気』を『支配』しているのだろう。

 空気を弾丸のように飛ばして俺の鼓膜を破るのも、俺の周囲から空気を奪うのも、お手の物ってわけだ。


 その《異能ギフト》の強力さと圧倒的汎用性の高さ、加えて窪田自身の慎重な性格も合わさって、【組織】と戦った時に最も苦戦した相手の一人だ。

 仲間の力がなければ、決して勝てることはなかっただろう。


 ……だが。

 俺は、口元を獰猛な笑みの形に歪める。


 ――俺を、いつまでもあの時のままだと思ってもらっちゃ困るぜ?


「――――――――!」


 《精霊紋》『風』、解放!


 周囲に優しく風が吹いてきて、ようやく吸い込むことを許された空気が肺を満たす。


「なんじゃ? 急に風の制御が効かんくなったぞ……?」


「天条が《精霊紋》を解放したんでしょうね。精霊王から与えられた《精霊紋》を解放すると、その属性の魔素は強制的に天条に従うようになる……らしいから」


 同時に、ミコたちの声も聞こえるようになった。


 いや、正確に言えば『聞こえ』ているわけではない。

 なにせ、俺の鼓膜は未だ破れたままだ。


 だが今、周囲の風の魔素は全て俺の『支配下』にある。

 それを震わせる振動を声として認識することなど造作もない。


 《精霊紋》は、魔導士が相手なら解放した時点で実質勝負がつく程に強力な切り札だが……あいにく、《異能ギフト》は魔法とはまた別系統の能力。

 魔素を介していない以上、窪田の能力に制限はかからない。


 もっとも……それは、お互い様だ。


「さぁ、窪田……どっちの『支配力』が上か、勝負といこうか」


 かの精霊王に同格と認められた身として、そうそう負けるわけにはいかねぇけどな!


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! いくぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

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