第6話 如何なる騒音を受難してでも肉声を届ける②

 ドーナツ屋を出た三人は、人目のない薄暗い路地裏へと更に場所を移した。


「《ゲート》オープン」


 口の中で転がすように小さく呟きながら、亜衣は人差し指を立て前方を指す。

 次いで、下方へと指を滑らせた。


 するとまるで指が空間を斬り裂いたかのように、黒い線が空中に出現する。

 かと思えばその線が膨張し、瞬く間に人一人は優に通れるくらいの大きさの穴となった。


 これが、《旅人》の性質を利用して作成した空間同士を繋ぐ穴……《ゲート》である。


 今更見慣れたもので、三人は一瞬たりとも躊躇せず穴の中へと足を踏み入れた。



   ◆   ◆   ◆



 今回、穴の繋がった先は草原であった。

 一見しただけでは、日本のどこかであると言われても違和感のない光景。


 しかしそこは日本ではなく、地球でさえもなく、それどころか。


「ほーん、ここが【ウィズヘイム】かえ」


 世界そのものが、先程までいたところとは異なっているのだ。


 そこは既に、【ウィズヘイム】と呼ばれる異世界だった。


「あれ? ミコさんは初めてでしたっけ?」


 物珍しげに周囲を見回すミコに対して、凜花が意外そうに尋ねる。


「うむ。異世界人の連中とは何人か面識があるが、妾自身が来たのは初めてじゃ」


「異世界っつっても、ウチらの世界とそんな変わらないっしょ?」


 周りを示すように、亜衣が軽く手を広げた。


「そうさのぅ……いやしかし、どうにも空気が違うようには感じるが」


 スンスン、とミコが鼻をヒクつかせる。


「匂い……とも違うのぅ。なんちゅーか、何かに包み込まれとる感じ? っちゅうか」


「うん? もしかしてアンタ、魔素を感じられるの?」


「おい」


「魔素とは何じゃ?」


「なんか、こっちの世界には大気中に魔素ってのが満ちてるらしいのよ。魔法って、その魔素を介して顕現させるんだって。ウチらの世界にもあるにはあるんだけど、こっちよりだいぶ薄いから魔法が使い辛いって話よ」


「伝聞系っちゅーことは、お主は?」


「おいお前ら」


「アタシも空井も、サッパリよ」


「でもミコさんには、魔法の適性があるのかもしれませんね」


「ほーん? ちなみにユートはどうだったんじゃ?」


「もちろん、バツグンの適性がありましたよ……最終的に誰も使えなかったはずの古の大魔法まで使いこなして、この世界の女性陣を魅了する程にね……ふふふ……」


「ちょっと空井、アンタ瞳孔開いてるわよ……?」


 亜衣が、そんな言葉と共に若干引き気味の目を凜花に向けたところで。


「聞けやお前らぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 先程からちょくちょく足元より聞こえていた声の音量が、急激に大きくなった。


 と同時、下方から突風が吹きすさぶ。

 その勢いは凄まじく、三人の少女を軽々と吹き飛ばすほどだ。


「よっ」


「っと」


「ふむ」


 もっとも三者とも、危なげなく空中で体勢を整え音もなく着地してみせたが。


「なんじゃいきなり、無礼な輩じゃな」


 微塵も余裕を崩さず、ミコは不遜に胸を張る。


「こっちのセリフすぎるわ!」


 先程から地を這うような声を出していた……というか、実際に地を這った状態で声を出していた男が勢いよく立ち上がった。


 二メートルはあろうかという巨漢である。


 縦だけでなく、筋骨隆々のその身体は横にもでかかった。

 顔もその体格に見合った厳つさで、子供が見れば泣き出すだろうことは間違いない。


 短く刈り上げられた髪は、空を思わせる青色。

 地球ではまず地毛ではありえない色合いだが、全く違和感がないのは異世界ゆえというところだろう。


 その巨体を包む、髪と同じ色のローブには、くっきりと三人分の足跡が残っていた。

 先程まで、その背中に三人の少女が立っていたためである。


「いきなり現れて人を踏み倒したかと思えば、長々雑談しやがるたぁどういう了見だ!」


 ただでさえ厳つい顔をますます険しくして、男が吠える。


「あっりゃー? アンタの傍に繋いだつもりが、座標ピッタリすぎちゃった? メンゴメンゴ、それに地面みたいな硬さだから気付かなかったわー」


 男を全く恐れることなく、そして明らかに悪びれていない様子で、亜衣がペロッと舌を出してわざとらしく頭を掻いた。


「チッ……まぁいいけどよ」


 フイと、男が顔を逸らす。

 仏頂面だが、その頬は少しだけ赤くなっていた。


「ふむ……?」


 ミコが僅かに片眉を上げる。


「アイ、汝がそのような態度を取るとは珍しいのぅ。何か此奴に恨みでもあるのかえ?」


 眉の角度を戻した顔が、亜衣の方へと向いた。


「まぁねー。アタシがこっちに初めて来た時、アタシを捕まえて売り飛ばそうとした盗賊団のボスだからねー。恨みもあるわよねー」


 そう言う亜衣の口調はしかし冗談めかしたもので、言葉通りの負の感情は伺えない。


「なるほど。汝、いかにも見た目通りのことしとったんじゃのぅ」


「ほっとけ」


 納得顔のミコに、男は憮然とした表情で答えた。


「つか、それに関しては悪かったって何度も謝ってるだろ」


 次いで、拗ねたように唇を尖らせる。

 厳つい大男がやっても可愛くないことこの上ない。


「して、その盗賊団の頭に何の用があるんじゃ?」


「今はもう頭でも盗賊でもねぇよ」


「……なるほど、風魔法ですか」


 男の抗議をサラッとスルーした凜花が、ハッとした表情で呟く。


「……ふむ? 風……なるほど、すなわち空気。声が伝わる媒介そのものを支配してしまおうというわけじゃな?」


「そゆこと」


 即座に亜衣たちの言わんとしていることを読み取ったらしいミコの言葉に、亜衣は満足げに頷いた。


 次いで、掌で男を指す。


「この元盗賊団の団長にして、何を間違ったか精鋭と謳われる王国魔導士団の団長に今や収まってる男、ブレイズ・ウインドはアタシの知る限りこの世界で最高の風魔法使いよ」


「世界最高……」


 意外そうな表情で亜衣を見たのは、当の大男……ブレイズである。


「へっ、そう言われるのも悪かねぇな」


 照れた様子で、鼻の下を指で擦る。


「まぁこの世界に限定しなければ、ぶっちゃけ天条の方が上なんだけどね」


「うぐっ」


 上げたと思えば即座に落としてきた亜衣の言葉に、ブレイズの顔が引き攣った。


「……つーか、結局何の用なんだよ?」


 しかしすぐに気を取り直したらしく、今更な質問を投げる。


「うん。ちょっと、頼み事があってね」


 こちらも表情を改めて、亜衣。


「アンタ、あれ使えたでしょ? なんだっけ、あの……遠くの人に声を届ける魔法」


「あぁ、《ウィスパー》な」


 補足した後、ブレイズは不思議そうに首をかしげる。


「けどあれ、相手が視界に収まってないと使えねーから、すげー使い勝手悪いぜ? ただ届けるだけなら、大概の場合は大声出す方が早いし」


「いいのよ、今回の場合はそれで。ね?」


 振り返った亜衣に対して、凜花とミコが大きく頷きを返した。


「視界の確保程度ならば、まぁ《ユニヴァース》でもどうにか手加減して全てを破壊せずとも可能であろう」


「《幻夢ライアー》で人壁とか作ってもいいですしね」


「……なんか、妙に物騒な話してねぇか?」


 ブレイズの表情は、やや引き気味である。


「まぁいいけどよ、魔法の一つや二つ使う程度。アンタにゃ借りもあるしな」


 しかし表情をフラットに戻したブレイズは、そう言って軽く肩をすくめた。


「んで、《ウィスパー》なんぞ何に使おうってんだい?」


 何気ない調子で尋ねるブレイズ。


「うん、天条に告白しようと思ってさ」


 それに対する亜衣の回答も、何気ない調子であった。


「……はっ?」


 しかし、それに対するブレイズの反応は劇的。


 一瞬驚いた様子で目を見開き、次いで慌てたように仏頂面となった。


「あー、そのー……」


 ブレイズは言いにくそうに視線を彷徨わせた後、ガリガリと強く頭を掻く。


「告白ってのは……その、そういう……?」


 発せられた問いは、その巨大な体躯らしからぬ弱々しい調子だった。


「そういうっていうか、まぁその……愛の告白的な」


 亜衣の頬が、ほんのり赤くなる。


 対照的に、ブレイズの顔は色を失い能面のような無表情となった。


「……やっぱ、やめだ」


 亜衣から顔を背け、固い声でそう告げる。


「え、何が?」


 その言葉に、亜衣がキョトンとして首を傾げた。


「俺ぁ、アンタにゃ協力しない」


「はぁ? 何よそれ?」


 顔を背けたままのブレイズに、亜衣は憮然とした表情となる。


「さっきまで割と乗り気だったじゃない」


「気が変わったんだよ。風使いの心は移ろいやすいんだ」


「初めて聞いたわよそんな話。それにアンタ、アタシに借りがあるってついさっき自分で言ってたじゃない」


「ぐ……いや、よく考えたらそれも、アンタを邪神教団から助けた時のでチャラだろ」


「それを言ったらその後、王国に掛け合ってアンタの懸賞金を外して貰った上に魔導士団にまで推薦してあげたのはどこの誰だったかしら?」


「むぐぐ……とにかく、俺はこの件に関してだけは協力しねぇ!」


「何よそれ!」


 亜衣とブレイズがギャアギャアと言い合う傍ら、ミコが凜花に対して手招きした。

 凜花が腰を折り、ミコに顔を寄せる。


「のぅ、聞くまでもないことじゃとは思うのじゃが……あの男、アイの事が……」


「そうですねぇ……亜衣さんは、全く気付いてないですけど」


「存外、アイもユートのこと言えんのぅ」


 凜花が苦笑気味に笑い、ミコが呆れを顔に表す。


「ともあれ、《ウィスパー》……じゃったか? あの男の他に使える者はおらんのか?」


「それが、声の振動を正確に伝えられるだけの繊細な魔素コントロールが必要な高等魔法らしくって。その割に使い道がないっていうので、あんまり使える人がいないらしいんです」


「使い道なぞ、隠密行動なんかを筆頭に山程あるじゃろ?」


「良くも悪くも、この世界の人たちは正面衝突至上主義的なところがありますから……私が知る限りだと、《ウィスパー》を使えるのはブレイズさん以外だと悠人くんしかいません」


「ユート本人に頼むわけにもいかんしのぅ……ほんじゃあ、アヤツを説得する必要があるっちゅうことか?」


 ミコが胡乱げな目をブレイズに向ける。


 顔を背け続けるその態度は頑なで、ちょっとやそっとで心が動きそうにはない。


「ありゃもう、他の有望そうな奴に一から覚えさせた方が早いレベルではないかえ?」


「あぁいえ、その点はご心配なく。ブレイズさんを『説得』する手っ取り早い方法については、私に心当たりがあるので」


「ほぅ?」


 あっさりと言ってのける凜花に、ミコは興味深げな視線を向けた。


「じゃ、ちょっと待っててくださいね」


 気軽な調子で言って、凜花は腰を真っ直ぐに戻しブレイズへと歩み寄る。


「ブレイズさん」


「んぉ? なん……」


 振り返ったブレイズの瞳が、凜花の姿を写した瞬間に焦点を失った。


「……………………オ? 《ウィスパー》? オォ、マカセロ。オレサマ、オマエ、ナカマ。ナンデモスル」


 かと思えば、虚ろな目でそんな事を言い出す。


「……ちょっと空井、アンタ今何したの?」


 亜衣が若干引き気味の表情で凜花に尋ねた。


「何って、《幻夢ライアー》を使っただけですよ?」


 何を当然の事を、と言わんばかりに凜花は首を傾げた。


「いや、それはなんとなくわかるんだけどさ。さっきの今で、ちょっと幻を見せたからってこうはならないでしょ?」


 こう、と亜衣は妙にカクカクした動きで笑っているブレイズを視線で指す。


「あぁ、過去の記憶まで幻覚で塗り替えましたから。さっきの出来事を無かったことにして、ついでに私の事を無二の戦友だということにしておきました」


「…………え、なにそれこわっ!」


 一瞬遅れて凜花の言葉を理解したらしい亜衣が、恐れ慄いた表情となった。


「アンタそんなこととまで出来たの!? ほとんどマインドコントロールじゃん!」


「ほとんどマインドコントロールちゅーか、まんまマインドコントロールっちゅーか、マインドコントロールよりタチが悪い気がするのぅ。なんか此奴、人格まで変わっとらんか?」


 そう口にするミコの視線の先では、ブレイズが「コンゴトモヨロシク」などと何もない空間に向けて喋っている。


「うわー……」


 それを見た亜衣は、ドン引きの表情であった。


「……あっ」


 そして、ふと何かに気付いたような声を上げる。


「そういやミコがウチの高校に編入する時、公立高校に幼女が入るなんてどう考えても異例の事態なのにやけにあっさり通ったなって思ってたけど……まさかそれも……」


「いや、それは普通に妾が学校の上層部をアブダクションして洗脳したからじゃな」


「結局洗脳はしたんだ……ていうか、普通なのそれ……?」


 思わぬ方向から告げられた真実に、亜衣は引き攣った笑みを浮かべた。


「まーしかし、宇宙の最新テクノロジーを以ってしてもわざわざアブダクションして専用の機材を使わんといかんし、身一つでここまで出来るとは大したもんじゃ。人道的観点から、妾たちではここまで潔く人格をぶっ壊すことも出来んしの」


 そう話すミコの口調は、純粋な感心を宿している。


「アンタ、宇宙人より人道的見地に欠けるって言われてるわよ……?」


「うふふ、そこまで手離しで褒められると少し照れますね」


「マジで褒め言葉と受け取るところがアンタの恐ろしいところよね……」


 本気で照れ笑いを浮かべる凜花に、亜衣の頬の引き攣り具合が増した。


「……てかさ」


 次いで、凜花に疑いの目を向ける。


「まさか、今アタシが認識してる世界もアンタが見せてる幻だったりしないでしょうね……?」


「そうですよね……やっぱりそんな風に、疑いを持っちゃいますよね」


 それに対して、凜花は悲しげに目を伏せた。


「私の《幻夢ライアー》は、皆に怯えられ忌み嫌われる呪われた力……きっと、私のことを本当に信頼してくれているのは悠人くんだけでしょう。それだって、悠人くんに《無能ゼロ》があるからに過ぎません……」


「あ、ゴメ……」


 傷付いた様子の凜花に対して、亜衣は謝罪の言葉と共に手を伸ばしかけて。


「いや、てか今まさに怯えられ忌み嫌われるような使い方したからでしょ!?」


 凜花に触れる直前、我に返った様子でツッコミを入れた。


「ちゅーか汝、実際のとこさっき自分で言ったようなこと別に気にしとらんじゃろ」


「まぁ、便利なんで普通に使いますよね。究極的には、私は悠人くんさえ傍にいてくれればそれでいいですし」


 問いというよりは断定じみたミコの言葉に、凜花はあっさりとそう返す。


「あ、でも亜衣さんやミコさんにこの力を使う気はありません。これは本当です」


 先程までの悲痛な表情はどこへやら、ケロッとした様子だ。


「この世界、確か契約を破ると心臓が潰れるって契約魔法がありましたよね? あれで誓ってもいいですよ」


「別にいいわよ、そんなの」


 亜衣が、フッと柔らかく笑う。


「よく考えたら、アタシの《空間掌握》なら幻覚とか関係無しに全ての実体を捉えるから見破るのは簡単だし」


 柔らかいと見せかけて、その実それは冷笑であった。


「妾も、汝らを解析して開発した能力キャンセラーがあるから問題ないの」


 ミコも淡々とそう告げる。


「肯定の言葉なはずなのに、なんですかこの信頼度皆無感!?」


 二人の言葉に対して、凜花がショックを受けたかのように驚愕の表情を浮かべた。


「まぁ、それはそうと」


 が、すぐにフラットな表情に戻ったためどこまでが本心なのかは不明である。

 恐らく、高確率で大体本心ではないと推測される。


「このままブレイズさんを連れてってもいいんですけど、洗の……幻覚を維持するのもそこそこめんどいですし」


「今、普通に洗脳って言いかけたわね……」


 亜衣のコメントはスルーし。


「せっかくですし、ね」


 凜花は、ミコを見てニッとイタズラっぽく笑った。

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