第3話 如何なる能力を駆使してでも邪魔を排する②

 亜衣が出て行ってから、三十分程が経過した頃。


「ですからね? その時、私は言ったんですよ。悠人くん、それってペンじゃなくてトムじゃないですか? って。そしたら悠人くんが言うんです。いいや……俺が、俺こそがペンだ! ってね。すると実際、悠人くんの姿がペンに変わり始めて……」


「お、おぅ……妾と出会う前のユートについて聞いとったはずなのに、なんかいつの間にか怖い話になっとらんかこれ……? 妾、今のうちにトイレ行ってきていい……?」


 亜衣を待つ間、凜花とミコはそんな雑談に興じていた。


「おっと、アイが帰ってきおったぞ」


 ふと店の入り口に目を向けたミコが亜衣の姿を発見し、どこかホッとした様子でそう告げる。


「結果は……聞かなくても、わかりそうですね」


 振り返った凜花が、亜衣の様子を見て苦笑気味に笑う。


 肩を落として『ズーン』という擬音が似合いそうな程に影を背負った亜衣は、トボトボトと凜花たちの方に歩いてきていた。


「告白しようとした瞬間に、突風に運ばれてきた警報機が学校の前を走ってたトラックに突き刺さって、コントロールを失ったトラックが教室に突っ込んできて積荷の花火が爆発したわ……」


 席に着くなり、亜衣は暗い声でそう告げる。


「思うとったより悲惨じゃな……」


「それで亜衣さん、お怪我はありませんか?」


 ミコが乾いた笑みを浮かべ、凜花が心配げに尋ねた。


「流石にビックリして一瞬固まっちゃったけど、まぁ自分が避けるだけならね」


 皮肉げに、亜衣は肩をすくめる。


「確かに、回避力で言えば汝はユートハーレムの中でもピカイチじゃろうからな」


 亜衣の《旅人》は今や、タイムラグ無しで任意に空間の裂け目を発生させることが出来るまでに制御可能となっている。


 更に、空間の裂け目が繋がる先に距離的な制限は無し。

 つまり、当たる前に認識さえすれば亜衣はどんな攻撃だろうと回避することが可能なのである。


「その不本意な名前の集団の中に入れるのやめてもらえる……?」


 当の亜衣は、嫌そうに顔を顰めた。


「ちなみに、悠人くんはどうでした?」


「トラックに轢かれて花火の直撃食らって落ちてきた警報機に潰されて割れたガラスの破片が突き刺さったくらいよ」


「良かった、その程度ですか」


「入院するまでもなさそうじゃの」


 凜花がホッと胸を撫で下ろし、ミコがニィと笑う。


 普段悠人が負っている怪我はどれも致命傷寸前――時によってはモロに致命傷――であるため、色々と感覚が麻痺している少女たちである。


「で、なんだけど」


 亜衣の表情が、これまでになかったほど真剣味を帯びる。


「認めるわ。確かに、アタシが安直だった」


 それは、強敵を前にした戦士の表情であった。


「実際、場所の選定は重要ね……誰の邪魔も入らない所となると……」


 亜衣と共に、凜花とミコも思案顔となる。


「なかなかないですよね……」


「なかなかない、っちゅーか……普通では邪魔が入らんような場所でも、どっかしらから邪魔が入ってくるからのぅ……」


 難しい顔を突き合わせて唸る三人の少女たち。


「……ふむ」


 ふと、ミコが何か思い付いた様子で表情を僅かに和らげた。


「ここは、発想を逆転してはどうじゃろうか?」


「それ、ホントに逆転してるんでしょうね……?」


 先の実績を受けて、亜衣の目はだいぶ懐疑的な色を宿している。


「邪魔の入らん場所を選ぶのではなく、選んだ場所に邪魔が入らんようにするんじゃ」


 人差し指を立て、ミコは自分の考えをそう説明した。


「……それって、何が違うんですか?」


「一般人にとっては、あるいはほとんど同じやもしれぬ」


 首を捻る凜花に、ミコも首肯する。


「じゃが、妾たちは違う。じゃろう?」


 次いで、その口元に不敵な笑みを浮かべた。


「例えば、リンカの《力》を使ってみるのもよかろう」


「……なるほど」


 得心した様子で、凜花も不敵に笑う。


「つまり……色仕掛けで悠人くんの意識を釘付けにすることで、あらゆる邪魔を無効化してしまおうというわけですね?」


「違う」


 凜花の発言から、一秒置かずしてのミコの否定であった。


「……そう速攻で否定されると少し恥ずかしいです」


「汝がいらんボケを挟むからじゃろうが」


 軽く頬を染めた凜花に、ミコが冷ややかな目を向ける。


「別にボケのつもりはなかったんですけど……?」


 凜花は不思議そうに首を傾けた。


「アンタ、地味にハート強いわよね……」


 呆れとも感心ともつかぬ調子で亜衣が呟く。


「そういうことではなく、じゃな」


 コホンと咳払いを挟んで、ミコはそう続けた。


「例えばリンカの《幻夢ライアー》で周りの者に片っ端から幻覚を見せて近づかれぬようにするとか、そういう話じゃ」


「あぁ、そういうことですか」


 今度こそ本当に、凜花も理解した様子である。


「うーん……」


 しかし、その表情は渋いものだ。


「なんじゃ、斯様な事に自らの力を使うのは気が進まんか?」


「いえ、そんなことは全くないというか悠人くんに想いを伝えるためならどんな汚い手段だろうと取ることも厭わない所存ではありますが」


 ハッキリと告げつつも、凜花の表情はすぐれないままである。


「ただ、自分の能力だけにその弱点も把握していますので……」


「昔ならともかく、今のアンタの能力にそんな露骨な弱点なんてあったっけ……?」


 今度は亜衣が首を捻る。


 凜花の《幻夢ライアー》は、かつては三秒以上目が合った相手にしか発動しないというやや即時性に欠ける能力であった。

 しかし幾度の戦いを経て成長し続けたそれは、今や五感のいずれかで凜花を認識するだけで――たとえそれが無意識下であっても、あるいは対象の意識がなくてすらその夢の中で――発動可能という強力なものとなっている。


 つまり凜花の姿を視認するだけで、凜花の声を聞いただけで、凜花の体臭を嗅いだだけで、凜花が触れたものを口にしただけで、凜花に触れられただけで、能力が発動するのである。


 だが、しかし。


「結局どこまでいっても、私自身が《幻想ライアー》の発動を念じる必要がありますからね。死角とか不意打ちに滅法弱いんですよ」


「ふっ……」


 凜花の言葉に対して、ミコは自信ありげに笑った。


「汝、何のために妾たちを集めた。今の汝は一人ではないのじゃぞ?」


「……なるほど」


 ミコの言葉に対して、凜花より先に亜衣が反応する。


「確かに、死角に関しちゃアタシの《空間掌握》でカバー出来るわね」


 出雲亜衣の《旅人》は、空間に裂け目を発生させる体質である……と、当初は思われていた。

 しかし亜衣がその体質の制御を極めるにつれ、その本質は空間に『触れる』ことだとわかってきた。


 空間に裂け目が出来るというのは、触れる際に『力を入れ過ぎた』結果発生する事象に過ぎないのである。


 そして空間に触れる『手』の長さは、肉体に縛られない。

 数もまた、然り。


 というか、今の亜衣にとってそれは『手』の形として意識する必要すらない。

 ただ自然と、周囲の空間を『感じる』のである。


 それが出来るようになった時、亜衣はそれを《空間掌握》と名付けた。


 今の亜衣は物質の内部含め、周囲の空間の全てを『掌握』して認識することが出来る。

 すなわち、出雲亜衣にとって死角は存在し得ない。


 これこそが、亜衣の回避力がピカイチと称される所以である。


「基本的に邪魔になるようなもんは全部、《ゲート》にぶち込めばいいし……逆に、《ゲート》を避けるような奴には空井の能力が有効ってわけか」


 《旅人》によって開いた空間の裂け目のことを、亜衣たちは《ゲート》と呼んでいる。


 しかしあくまでそれは裂け目に過ぎず、例えばブラックホールのような吸引力は存在しない。

 つまり、知覚さえすれば回避も可能なのである。


 だが、知覚するということは少なからずこちらを認識しているということ。

 すなわち、多くの場合幻想(ライアー)の発動条件を満たす。


「なるほど……普段の戦いでやっている連携が、そのまま生かせるというわけですね」


 ようやく表情の和らいだ凜花の言う通り、彼女たちはこの手の連携などこれまでの事件の数々で散々行ってきている。

 阿吽の呼吸の域ですら、とうの昔に通り過ぎた程に。


「そういうことじゃ」


 口元を緩めるミコ。


 終始自信に満ちた彼女の表情の意味にようやく思い至ったらしい凜花と亜衣も、顔を見合わせた後に似たような表情となった。


「そうとわかれば、怖いもの無しです」


「俄然、行ける気がしてきたわね」


「うむ、その意気じゃ」


 三人、頷き合う。


「それじゃ、早速行きましょう! たぶん、悠人くんはまだ教室にいるはずです!」


 そして、彼女たちは力強い足取りでファストフード店を後にした。

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