⑨ シクロロンとメトマ





 このところずっと曇っていたためか、晴れ渡る青がいつもより近く感じられる。


「会議室のみんなもたまには外に出ればいいのに。」


 ほんの一間の屋上テラスでシム人の少女はうーんと羽を伸ばす。文字通り、翅を。


「はあー。やっぱりいい風。」


 独り言が増えてしまったのは「勇者」として祭り上げられてからだった。


 旗頭として『ファウナ』に特異な目を向けられてからは前総長の残した「子どもたち」と仲良く談笑していた時間も引き裂かれ、血なまぐさい争いの世界へと引きずり込まれてしまったから。


「そういえばハク、この頃は『ファウナ』の話ばっかりだなー。」


 そんな生活では腹の底の見えないオトナたちの思惑に乗せられ、指示を出すよう指示されるなんてことも日常だった。それでも、求め集う者たちが偽りの勇者に畏敬と安寧を抱く様を目にしてしまえば我慢できる。


「前はもっと楽しいお話も聞かせてくれたのに。」


 とはいえそれも人前でだけの話だ。心も体もまだ若いシクロロンには込み入った組織の支配欲もなければ『ファウナ』の理念を踏襲する情熱もなかった。


「大人になった、ってことかしら。」


 ただ、漠然とした「平和」をヒトビトに、また自分に願ってはいる。


「なっちゃった、ってことかしら。」


 そんなうわべだけの理想を語れる友もいない今となっては、言葉は宙に浮いては己の耳に漂うだけだ。


「ん?・・・あれま。」


 そこへぶーん、とまた群れからはぐれた蟲が数匹、さまよった末に空へ差し出したシクロロンの腕にとまる。

 人種の中で唯一「蟲伝え」ができるシム人とあって、蟲との相性はよかった。


「あなたたちもはぐれてしまったのね・・・何を伝えたかったのか、教えてくれる?」


 小さな体にヒトの言葉を覚えて運ぶ蟲の、その疲れた背をやさしく撫でながら問いかけてみる。

 ひと頃、医法師を目指していたシクロロンにとっては小さな命であってもその閃きが眩しかったのだ。

 特にヒトと関わって傷つき、疲れたものには。


 そして・・・


 きーん。

 きーん。

 きぃーん。


 本当はよく聞こえない高い音を喉で鳴らしシクロロンはその返事を待つ。

 声の調整で響かせた模擬的なメスの羽音であっても、それに応える蟲伝えはこうして再生することもできる。


 ~~・・・・ジュボイ・・キノケイヤク・・・シオン・・・~~


 蟲使いと呼ばれる者よりも波長のコントロールが卓越しているからだろう、わずか数匹の蟲だったがかなりの割合を再生できた。


「・・・ダ、ジュボイさん、のことかな。・・・メトマさんに・・・言おうか。」


 いま立っている教会脇の建物の地下に捕らえられている老ユクジモ人のことは奇襲作戦の時から耳にしていた。


 ただ彼がどの程度の重要人物なのかは抜け落ちていたものの危険を冒してまで手許に置こうとした存在である以上、この蟲の情報は看過できないだろう。


「役に・・・立てるのよね、私。」


 そう判断するとシクロロンは蟲を抱えて会議室へと階段を駆け下りていった。

 きっとハクにも褒められるだろう。いつも小言ばかりのハクだったが、今度ばかりはよくやったと褒めてくれるだろう。自分のミスを庇って、代わりにメトマにつつかれることもあるハクを、これで喜ばせてあげられるだろう。悪い評判ばかりで、それを幼い頃から知ってはいるけど、でも、矢面に立つ前からちょくちょくと目をかけてくれたハクにちょっとでも恩返しができるんじゃないか。


 そんな淡い期待を抱くシクロロンは廊下を走るなとハクにさんざ聞かされたことも忘れてテケテケと幹部の集まる部屋へ走った。


 で、どーん。


「ハクーっ! あ、メトマさ・・・総監も。あ、シクボさん、みなさん、こんにちは。」


 思っていたよりヒトがいてびっくりするシクロロンが飛び込んできてびっくりするみなさん。

 面々はどれも強面の男ばかりだったが、それに臆するということはもうなかった。


「ふぅ。勇者殿、廊下は走らないようにとあれほど・・・」

「これっ、聞いてみてっ! 私では何のことかよくわからないのだけど、きっと、役に立つと思うの。」


 珍しくハクと同じ事を言おうとしたメトマもシクロロンの差し出した蟲には興味を持ったらしく、シクボや幹部たちと顔を見合わせてそれを受け取った。


「・・・ふーん。はぐれ蟲ですねぇ。これをどちらで?」


 メトマの手の中に移動した蟲をしげしげとハクは見つめて言う。


「屋上で。・・・これは持ってきてもいいかなと思って。・・・えと、偶然だったんだけど、すごいよね?」


 それには応えず、傍にいたシクボが細く高く喉を鳴らした。

 器用に喉と口を調整させて特定の周波数に至らせると、憶えさせられた声をアプローチとして再現する習性がこのオスの蟲たちにはある。他にも用途の異なる蟲もいるらしいが、蟲使いが専用の吹鳴具や手笛、口笛などを用いるのに対しシム人の多くは声の延長で蟲の音声の再生を引き出す音域に届かせることができるのだ。


?――――」 

「ふむ、ダジュボイ老への指示だろうか。「キノケイヤク」という部分も気になるが何より、あの狡猾で巌窟な男に指示できる者があるのか、そしてこんな危険のある蟲を地下牢にいるあの男が利用するのか疑問であるな。

 ・・・ハク護衛長、そなたならどう思うかな?

 蟲伝えは吹き込む時は穏便に済ませられても再生時には音が漏れてしまう。そして受け取る時は定位置にいるのが常道。蟲が迷ったりはぐれたりすることもあるのでな。」


 何か言おうとしたハクを遮り、メトマは大きな目をぎょろりと向けて意見を仰ぐ。

 メトマの言わんとすることに気付いたシクボはその二人の緊迫した間隙に息を飲むばかりだ。


「・・・総監のおっしゃるとおりでしょうねぇ。断言し、またそれだけに拘泥するのは外部に対する手抜かりとなるため避けるべきですが、組織の許可なしに隠密な連絡を取る者がいるかの内部監査はしなければなりませんねぇ。

 無論、併せてダイジュボイ老自身からも聴取する必要もあるでしょう。・・・化けの皮をかぶる者があるとするなら見つけ出さねば。」


 そう苦虫を噛み潰すようにハクは声を絞り出す。

 そんな気配を知ってか知らずか、誰にも褒めてもらえなかったシクロロンが、はい、と手を挙げて会話に参加しようとする。このお手柄をなんとしても認めてもらうためだ。


「あのですね、私、音拾いできますよ。」


 ぐおんっ、といよいよ目を剥くハクとメトマ。

 各々の思惑はさておき、「帰宿」と呼ばれる蟲の帰る主、または場所と、メスの「えろもん」をつけることで録音できるようになる「字打ち」の名前を「蟲伝え」と似た要領で引き出せる「音拾い」は蟲使いの中でも限られた者にしか習得できない難易度の高い技術だ。


 ただ、本当の名前を蟲に刻むとこのような状況でヘマするためほとんどは偽名を使うものだが、今はそんな手掛かりでも欲しい時だった。


「おや、シクロロンは拾えるのですね。私は下手なのでできませんが。・・・しかしはぐれ蟲とはいえここまで詮索すると少し心が痛みますね。」


 シム人のシクボも高度な音拾いまでは使いこなせなかった。そしてシクロロンですらもやはり百発百中というわけにはいかない。


 でも。


「じゃ、やってみまーす!」


 きゃゆゆゆゆーん。



 ~~ジウチ、ジウチ・・・・・キシュク、キシュク、フローダイム・・ジウチ、ジウチ~~



「・・・ふむ。「フローダイム」という輩が帰宿でありまた、ダジュボイ老の存在価値を知っている者だということは解ったわけだな。

 どうあれこれは収穫だ。浮島シオンのことも気になるが有効に利用すればヤツから何か聞き出せるかもしれん。」


 無知がたたり後手に回ってばかりだった『ファウナ』側としては、これでダジュボイと問答ができる位置までこぎつけたことになる。手札があるのとないのとでは交渉の進捗効率に雲泥の差が生まれるのは周知のことだ。


「失礼しますっ。」


 ではその対策を、と思ったところで教会勤めの者が開け放たれたままのドアを叩いて入ってくる。


「シクボ様、教会に負傷者が運ばれてきたのですが・・・

 ええと、ホニウの若い男女一名ずつが意識を失っており、その関係者である女児と男がいま休息所で付き添っています。

 一番近くの医法師を呼ぶにしても先ほどの森の轟音騒ぎが村の者や警邏隊に知れてしまうと『ファウナ』のこの方たちにも調べが及ぶ恐れもあって・・・」


 統府とは休戦状態の『ファウナ』とはいえ、ダジュボイ誘拐以降は完全にマークされる存在になっている。いたずらに隠れ拠点を知られれば致命傷になりかねなかった。


「わかりました。私がとりあえず様子を見てきましょう。

 メトマさん、あなた方も逃れるか紛れるかしてください。協力はするつもりですが罪もない負傷者を犠牲にしてまでは保証できません。では。」


 この教会で行き倒れる者が出れば出たでやはり警邏隊の捜査員が派遣されるだろう。

 今はシクボの善処に頼って様子を伺うのが不難だった。


「あ、じゃ、私も行きます。」


 確かにわずかばかりでも医法をたしなんでいたのはシクロロンだけとなるのだが、彼女は見事に顔の割れた『ファウナ』の象徴だ。


「シクロロン様、さすがにそれは――――」

「メトマさ、総監。己の身かわいさに守るべきファウナの傷ついた者たちを見捨てることはできません。

 ふふ、大丈夫。手に負えないと解れば速やかに医法師を手配して私も逃げます。さ、神徒シクボ、急ぎましょう。」


 とったったった、と、入ってきた時に言われたばかりの「廊下を走るな」を全力で忘れてシクロロンとシクボは教会勤めの者を追って走っていった。


「すまぬな、ハク護衛長。やはりシクロロン様ひとりでは心もとない。わたしも残らせてもらう。あとは頼むぞ。」


 あれだけ敵意を剥き出しにしていたメトマにさらりとそう言われると、さすがのハクも面食らってしまう。


「ふ。・・・ま、組織のためでしょうかねぇ。さ、みなさん、ひとまず地下通路へ。安全が確認され次第、伝令を遣ります。・・・ボクも護衛班の長ですからねぇ、勇者殿の安全は守りますからご安心を。・・・はぁ。」


 そうして『ファウナ』幹部を地下へ誘導し見送ったところへ、とったったった、と遣いにやっていた者がハクの元へ駆け寄ってきた。


「失礼します。先程の森の轟音の正体のことですが――――」


 その報告を聞きながら、ハクは自分の顔が同心円状に歪んでいくのがわかった。



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